空を見上げ、腕をあげ続けるきつい仕事。
それを炎天下の中、何年も続けられている方々がいる。
生産量一位を誇る山梨。ブドウ農家の方々である。
毎年実る滋味深いブドウは、全国に出荷され、沢山の人を楽しませている。
ただしその実りは、時に身を粉にするほどの努力で支えられている。
きつい仕事の中で、体調不良を押してでもブドウを実らせる農家の方々。
土と生きるということ。
農家の方々からのご相談を受けるたびに、自然と生きることの過酷さを、思い知らされている。
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ご高齢の女性から、不眠のご相談を受けた。
70歳、女性。
ブドウ農家に嫁いで数十年。人手不足もあり、未だに現役で働いていた。
夏になると茹だるような暑さに見舞われる甲府盆地。
滝のような汗をかくことが当然で、
毎年夏になると体重が落ち、冬になると戻るということを繰り返していた。
昨年の夏は、例年に比べて忙しかった。
そして冬になった。仕事もひと段落し、やっと骨休めができるという状況になった。
しかし今年は、もどるはずの体重がもどらない。
ご飯は食べている。ただ食べても体重が増えていかない。
そして体重がもどらなくなると同時に、いつの間にか眠ることが出来なくなってしまっていた。
今までも寝付けないことはあった。
その時は病院で処方された入眠剤を飲む。いつもはそれで寝つけていたのだという。
しかし今回は、入眠剤を飲んでもまったく寝付けない。
さらにそれだけではなく、心配事ばかりが頭に浮かんで、不安でしょうがなくなってしまった。
物音に敏感になり、夜間外で鳴る様々な音に、ハッと驚いて眠ることが出来ない。
見るからに痩身の女性である。目を充血させながら、穏やかながらも焦りを孕んだ口調でそう説明してくれた。
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一通りの説明を受け、心の中で深くうなずいた。
過酷な労働による代償。
年齢を加味しても、明らかにオーバーワークによる自律神経の乱れである。
お話を聞いた時点で、治療の方針はある程度決まった。
ただし、詳しく確認しなければいけないことがあった。
胃気(いき)。
人体が生きるために持つ「食べる力」。
食事は変わらず食べているという。しかし普通であればこの時、胃気は落ちて当然だった。
詳しく聞くと、食べてはいるものの、それほど多くは食べられないのだという。
年齢的に見れば当然ではある。加齢と伴に若い頃のようには誰だって食べられなくなる。
胃気の判断が、やや難しかった。
こういう時は、一旦ゆったり構えた方が良い。
今までの流れをもう一度ゆっくりと伺うと、最近、慰安旅行で飛行機に乗った際、気持ちがわるくなって吐いたというエピソードを話してくれた。
まずは胃気への配慮を行うべきだと断じる。
口乾あるも手足煩熱なし。冷えの自覚もなし。ただし風呂に入った時に良く眠れたという。
処方が決まる。
血流の促し方が、はっきりとイメージできた気がした。
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14日後。
結果は上々だった。味に不具合なく、やや寝つきが良くなったと喜ばれていた。
そして、食事が美味しく食べられるようになったようである。
今までは体重を増やそうと、やや無理やり食べていた。
それが無くなった。ちゃんとお腹が減って、ご飯を食べたいという気持ちが湧くようになっていた。
しかし、気になることがあった。
漢方薬を服用してから体が温まった。ただし若干暑いくらいに、火照る感じがあるのだという。
薬はかなり慎重に出した。強く火照らないよう、配慮したつもりだった。
それでも火照りを強く感じている。
私が想定していたイメージに、ほころびがある証左だった。
思っていた以上に血が「濃い」。
浅田宗伯がいう所の「血道を滑らかにするの手段」。
お出しした処方を変更し、今後の変化を慎重に見守るべく、仕切り直して14日分のお薬をお出しした。
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それ以来、患者さまの眠りは日に日に回復していった。
若干の改良ではあるものの、薬能の変化をすぐに実感されていた。
体が暑くならず、さらに眠りが深くなった。
そして何よりも気持ちが落ち着いた。気持ちが安定してきたことに、患者さまも体調に自信がついてきたようである。
数か月服用を続け、そろそろお薬を止めても良いでしょうという段階になった。
しかし服用していると安心する、だからこれからも続けていきたいとおっしゃられていた。
私はそれに賛同した。身を削る仕事、農業の大変さを目の当たりにしていたからだ。
不眠に陥るほどの過酷な労働。
美しく陳列されたスーパーのブドウからは想像できないほどの過酷さを、少しでも和らげることが出来ればと思った。
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■病名別解説:「不眠症・睡眠障害」
■病名別解説:「自律神経失調症」
〇その他の参考症例:参考症例