心と体。両者は相関する。
気持ちの落ち込みや緊張は、必ず体の不調として表れるし、
その逆も然り。体の不調は、気持ちにも影響を与えて心を重くさせる。
漢方では当たり前に認識されているこの事実、
では、いったいなぜ両者は相関するのだろうか。
心と体、両者には双方をつなぐものがあるということ。
「血流」。
約9万Kmと言われている、体に流れる大河。
おそらく人は、この巨大な川の流れによって体を動かし、そして同時に心も動かしている。
そう考えると、辻褄が合うのである。臨床を通じて、しばしばそう感じる瞬間がある。
今回の患者さまもそう。
不調を伴う心身に耳を傾けていると、そんな人体の不思議が、垣間見える時がある。
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23歳、女性。
中肉中背の普通体形。ただし顔色は芳しくない。
そして、何よりも表情が重い。
初めて合う赤の他人である私に、声が緊張し、口調が硬かった。
仕事を始めた19歳の頃から、月経が不安定になった。
1年前に婦人科にかかるも、
特に器質的な問題はなく、ホルモン剤を処方され、服用を始めた。
月経はそれで来るようになった。しかし服用を止めて後、自力では月経が来なかった。
最後に月経が来たのは3か月前。
漢方薬によって改善するかもしれないと、お母さまと一緒にご来局された。
そして、よくよく体調をうかがうと、
患者さまを悩ませている不調はそれだけではなかった。
ジストニア。
筋肉の収縮によって、自分では制御できない運動を起こしてしまう症状の一つである。
患者さまの場合、手足などが勝手に動いてしまう症状があり、
特に疲れた時や、仕事中など緊張する場面で起こることが多かった。
程度が軽いため病院では特に治療はせず、経過をみていきましょうと言われている。
原因は不明。しかし、心療内科的な問題ではないかと指摘されていた。
本人曰く、体を動かしにくく、ギュッと力が入ってしまうような感覚なのだと。
確かに。
私とお話している最中でも、どうにか勝手に動かないようにと、体をギュッと強張らせていた。
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見て取れる強い緊張。
そして、不安をたたえた目。
彼女はこの状態で仕事を続けていた。並々ならぬ疲労を感じていて当然である。
案の定、疲労感について聞くと、
仕事では気を張っているため疲労を感じる余裕もない、しかしその代わりに、仕事が終わって帰宅すると疲れが押し寄せ、何もやる気が起きずに横になってしまう。
さらに聞くとこの状態が約2年間、ずっと続いているのだという。
23歳の若さで、である。お母さまの心配そうな表情も、至極当然のことだった。
ただし私は、
その中であっても、治療方針を決定すること自体はそう難しいことではないと感じた。
やることは決まっているように思えた。問題は、それを現実的にどう実現していくのか、である。
詳しく症状をうかがう。
便通はやや不定期で、時に冷たいものの飲食で腹痛・下痢を起こすことがある。
食欲はあるものの、疲れた時に胃が重くなることがある。
足が冷えやすく、顔がほてりやすい。
緊張したときには、ジストニアと同時に動悸を打つことが多かった。
そして強い疲労倦怠感。月経があった時は、月経前と特に月経中、だるさが強くなった。
なるほど。
これならどうにかなるかも知れない。
疲労感が強いものの、未だにどうにか仕事を続けていられているという点、
そして何よりも、彼女の心の乱れ方と、体の症状とに矛盾がなかった。
古人が言っていた疲労状態の一種。
その際生じる身体の状態に、とても近似している。
「血痺虚労」
体の中から血流を促し、身体の緊張を去って体の力を抜く。
それができれば、月経がまた再開してくる可能性がある。
症状としては重い部類に属するものの、やってみる価値はあると思った。
患者さまに「半年ください」と伝えつつ、
私はまず最初に、7日分の薬を出した。
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最初の配剤は成功だった。
服用し始めてから、大便が毎日出るようになった。
それと同時に便の形が安定し、お小水の量も増えて気持ちよく出るようになった。
漢方を飲むと体が温まるのだという。そして足の冷えがなくなり、ほてりもあまり感じなくなった。
今の段階で言えること、それは治療の方向性はおそらく正しい、ということ。
私はこのままの流れで処方を出し続け、
そしてある段階から、さらに血流を促す配剤を強めていった。
その一か月後、月経がはじまった。
出血は7日間。不正出血ではなく、期間とキレとに申し分のないちゃんとした月経である。
さらにこの頃から、体の動かしにくさも気にならなくなってきた。
血が通った。
「血痺」とは、よく言ったものである。
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無月経の治療は、基本的に時間がかかることが多い。
月経を繰りかえす必要があるからである。1回月経が来ただけでは、改善したとは言えない。
また月経がきはじめると、体もそのタイミングで不調の波を打つようになる。
患者さまの場合もそうだった。
月経前後に、疲労感が強く表れるようになった。
そして同時に、メンタルも乱れ始めた。
月経に伴い気持ちが落ち込む。泣きたくなるような悲壮感が押し寄せてくるようになった。
治療途中で、思いのほか強い月経前後の症状が出現してきたが、
私はそれほど焦らなかった。その頃はもう、以前の彼女ではなかったからである。
患者さまは自分の体調を、緊張することなくスムーズに私に伝えてくれた。
聡明な回答で、非常に分かりやすかった。これなら、的確にPMSに対応していくことができる。
薬の改良を続けながら、服用を続けてもらった。
2回目の月経は、一か月経っても来なかった。
しかし、彼女は落ちついていた。その落ち着きが、とてもうれしかった。そして二か月経った頃、また月経がはじまり、そこからは順調に毎月くるようになった。
その後、4回月経を繰りかえす頃には、月経前症状は消失していた。
その時の彼女は、表情も、しぐさも、そしてその口調も、始めの頃とは見違えるようだった。
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体調が良いということで、患者さまは結局、一年半服用を続けた。
最後には「もう大丈夫だね」と、お互いに笑いながら治療を終了した。
無月経も、ジストニアも、疲労倦怠感も、結局のところ一緒に改善していった。
そう聞くと、何かとてつもない治療をしたように聞こえるが、決してそうではない。
私がやったことは、一つだけ。
血流を良くした。ただ、それだけのことである。
人体に流れる川。
地球の円周2週分に及ぶ大河。
その流れには未だに解明されていない何かがあって、
そう考えることが、私にはとても自然なことのように思える。
未だ到達できない海の底があり、未だ知ることのできない星があるのと同じ。
知り得ない何かを感じることが治療。
そう理解させてくれた、思い出に残る症例である。
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■病名別解説:「無月経」
〇その他の参考症例:参考症例