一般的な治療で治る人は来ない。
そういう宿命が、漢方専門の医療機関にはある。
当薬局にご相談に来られる方々も、
他の医療機関では、打つ手なしと言われてしまった方がほとんどである。
当然と言えば当然の話で、
そういう方のために、漢方などの代替医療があると言ってもいい。
最後の砦として、期待される医療。
であるならば、漢方治療とは「漢方を使う治療」ではなく、
改善への道筋を、本気で模索する治療でなければならない。
そうなると大切なのは、「どの薬を出すか」ではない。
「どのような治療方針を示すのか」
それが、一番大切になってくる。
・
徐々に暖かくなり始めた三月中旬。
44歳。細身の女性がご来局された。
主訴は、定期的に起こる頭痛、胃痛、腹痛と下痢。
痛みに悩まされる方特有の、眉間にしわを寄せる表情が印象的だった。
聞けば、過去にかなりの大病を経験している。
お子様を二人授かり、その5年後に、
子宮筋腫が発覚して子宮を全摘。
その後、それが原因で腸に癒着を起こし、再度手術を行っている。
癒着を剥がし、病院では手術は成功と言われたが、
その時期から数ヵ月に一度、
突発的な胃痛と腹痛・下痢が起こるようになった。
そしてしばしば、腸閉塞が来る。
当然、その痛みは強く、激しい。
腸閉塞とまではいかなくても、絞られるような激痛が起こることもある。
その時、痛み止めは効かず、ただ治るのを待っているしかなかった。
痛みがいつ来るのか分からないという恐怖。
激烈な痛みに対する不安が強い、と本人も気持ちの乱れを自覚されている。
病院ではストレスの関与が強いと指摘され、
抑肝散加陳皮半夏を処方された。しかし、効いている感覚は特にないという。
私は初診の時点で、精神的な問題は否定できると感じた。
というよりもむしろ、これだけの痛みを抱えていれば、不安に感じて当然だった。
今回の治療では、痛みを止めることが絶対条件になる。
一筋縄ではいかない、という印象。
しかし、何処に行っても治らなかった先の東洋医学である。
漢方治療ではむしろ、この難しさは当然のことだった。
・
手術は成功し、癒着は剥がれている。
しかし、腸や子宮といった骨盤内臓器の活動・機能が乱れていることは明白だった。
したがって、如何に骨盤内の乱れを改善できるのか。
治療方針としては、そこから外れることはないと感じた。
あとは、どのようにしてそれを実現するのか。
体調の大枠を掴むべく、詳しく症状を伺う。
日常的に腹の張りと胃もたれがあり、
特に油もので強くなり、耳鳴り・耳閉感が毎日ある。
子供の頃からIBS(過敏性腸症候群)と言われ、
病院に通っていたが、治らないので今は通っていなかった。
発作が起こるきっかけは、
主に疲労と冷え。そして食べ過ぎと寝不足である。
発作時に吐き気はなく、
普段から冷え性。発作時に手足が冷えるかと聞けば、
発作の時は痛みでそれどころではなく、分からないという。
小便正常、舌萎でやや白苔がある。
眠りに問題はなく、疲労感も人並み程度だと思う、とのこと。
やや掴みどころに欠けるが、
まずは王道から入る。
骨盤内の血行障害。
と聞けば、漢方家はどうしも駆瘀血剤を出したくなる。
ただし、それでは恐らく効果はない。
特に日常的に胃もたれがある場合、駆瘀血剤の「重さ」は胃に負担をかける可能性さえある。
王道とは「温める」こと。
腸閉塞が起こるという時点で、まずは使っておきたい薬がある。
『腹満寒疝宿食』の大刀、大建中湯。
山椒・乾姜をもって温めるこの有名処方を使って、まずは様子を見ることにする。
・
一週間分の大建中湯。
2回目の来局時、きっちりと服用された患者さまに様子を伺った。
腹の張りと胃もたれは、依然として続いていた。
ホットケーキを食べたのが良くなかったのか。本人はそう言って、食生活の改善がなかなかに難しいとおっしゃられていた。
今回のケースでは、食養生は必須。
したがって、養生を徹底してもらうよう、初回に説明はしていた。
ただしそれが難しいことも、良く分かる。
日常を変化させることは、言うほど簡単なことではなかった。
しかし一週間にして不変の原因は、おそらく私の薬の選択にある。
服用後、腹が温まる感覚がまるで無い。
そうであれば、この薬では、私の治療方針が体現できる可能性は低い。
私はすかさず、初回から考えていたもう一つの薬を差し出した。
患者さまに、その場で飲んでもらう。
熱く温めた薬を、一口、二口と、ゆっくりと服用してもらった。
すると、胃がじんわりと温かくなった。そして、みぞおちにあった硬いものが、柔らかくなっていると感じられた。
飲み切っていただき、そのまま少し時間を置くと、
手が温まり、さらに汗をかくように、からだ全体が温まってきた。
胃と腹が温まり、体の外側にまでその熱が波及していく感覚。
私が欲しかったのは、このリアクションだった。
大寒痛を温める大刀、大建中湯。
しかし温めるだけでは足りない。「火」をくべる必要があったという証(あかし)だった。
適応処方の中核は捉えた。あとはこれをより適切に服用していただく。
患者さまにもう一度食養生の徹底をお願いし、私は14日分の薬を出した。
・
それから4か月後、
患者さまの体調は、以前に比べてだいぶ良くなった。
頭痛や胃痛が穏やかになり、下痢することはほとんどなくなった。
調子の良い日が増え、日常生活も楽になっていた。
ただし、どうしても寝不足の日には胃もたれが起きる。
時に胃痛が起き、さらに雨天になると頭痛や胃痛が、どうしても強めに起こる。
当初から、必ず波を打ちながらの治療になると説明はしていた。
それをちゃんと理解し、不安に負けることなく、がんばって治療を続けてくださっていた。
患者さまも私も、ここは我慢のしどころだった。
治療方針としては、間違っていない。
今まで患っていた期間を考えれば、持重して同方を続けることが最短の道のりだった。
私は患者さまが来局される度に、
今どのような治療をしているのか、
改善するためには、どのような養生が必要なのかを説明し続けた。
患者さまも治したい一心で、耳を傾けてくれている。
ねばりの治療。
時間をかけながらの、根気の治療である。
・
それからまた数ヵ月、
今でも忘れない。患者さまが、急に晴れ晴れとした表情でご来局された。
症状が突然、全く出なくなったのだという。
胃もたれが全くない。胃痛も頭痛も腹痛も下痢も、起こる気配がなくなっている。
どんなマジックなのか。
本来であれば、まだ時間はかかるはず。
急に良くなったことに、私は驚きを隠せなかった。
いったい、どうしたのか。
患者さまに聞くと、その返答はこうだった。
気を付けていた食事を、もう一度見直した。
今までも気を付けていた、しかし、まだ甘かったと実感した。
うなぎを食べたりパンを食べたり、ちょこちょこと油ものを口に入れていた。
それを全くやめた。
そして睡眠時間をちゃんと確保した。
筋トレも毎日やった。食事も良く噛んで、ちゃんと食べるようにした。
言われた守るべき養生を、自分なりに本気で実践してみた。
そしたら体が急に変わったように、症状が全く出なくなった。
最後の扉が開いた、という気分だった。
・
漢方の医療機関には、一般的な治療で治る方は来ない。
誰もが治らないから、漢方の門戸をたたく。
治らないけれども、本気で治したいと思うから、漢方治療をお求めになられる。
そういう強さが、いつだって治療を支えていて、
ひとたび正しい治療方針を組み立てたならば、
それに向かって、本気で進んでいく。
薬だけではない。完全な薬など、そもそも無い。
薬は要素の一つにしか過ぎない。体に起こすべき変化を、さまざまな手法で実現していくのである。
今回の患者さまは、そのことをちゃんと実感してくれた。
治療期間、約7か月。廃薬後も、おそらく症状を再発させることはないだろう。
そう思えるのは、患者さまが本気で治そうと、努力を実感してくれたから。
私の力だけでは、ここまでの改善を実現することは到底できなかった。
先代である父が良く言っていた。
どこに行っても治らない、そういう方が一人でも救えたなら、すばらしいことじゃないか、と。
本当にそう思う。
最後の砦たり得る、医療機関には何が必要なのか。
それを教えられた症例。
感謝の症例である。
・
・
・
■病名別解説:「慢性胃炎・萎縮性胃炎」
■病名別解説:「頭痛・片頭痛」
■病名別解説:「下痢」
〇その他の参考症例:参考症例