漢方の臨床を始めたばかりのころ、
私は東洋医学理論の奴隷であったと、今は思う。
日本漢方を学び中医学を学び、その成果を患者さまに披露したいと意気込んだ。
そして症状一つ一つを東洋医学的にどう解釈するべきか、血眼(ちまなこ)になって追いかけていた。
当時の私は、患者さまを置き去りにしていた。
思うような効果をあげることが出来ず、一人で空回りしている実感もあった。
そんな時、先代である父にこう言われた。
患者さんの前では、勉強してきたことを忘れろ。
当時はまったく意味が分からなかった。
しかし今ではその真意が少しだけわかる気がする。
自分のつたない理屈に患者さまを当てはめてはいけない。
肩の力を抜いてみる。するとお体の欲していることが自ずと見えてくる。
ご相談を受ける時、私は今でもこの言葉を思い出す。
そして、前のめりの姿勢が元の位置に戻ると、お体が何を欲しているのか、スッと聞こえてくることがある。
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40代前半の女性。
主訴は疲労感と頭痛。
体格に削げた所はない。しかし眼にはどんよりとした曇りがあった。
とにかく体がだるく、重い。
そして首の付け根が痛くなり、そこから決まって頭痛が起きてしまう。
天気の悪い日はとくに痛みがひどい。そういう日は朝から胃がもたれて、吐き気が起こるという。
患者さまが訴えられる症状は多岐に渡った。
上半身がほてり、足が冷える。
たくさん食べると下痢をしやすい。
緊張しやすく汗が止まらなくなる。
不安で仕方なく、夜の寝つきも悪いという。
これら一つ一つの症状は、お体の状態を知る上で大切な情報である。
しかし様々な症状に気を取られると、体の声は聞こえなくなる。
考えるべきことは、今患者さまの体がいったい何を欲しているのか。
すべての症状はリアクションであり、本当はどんなアクションを起こしたいのかを探ること。
そう考えると、見えてくるものがある。
この患者さまは、私にそれを最初に教えてくれた方である。
胃を動かせば良い。
私は漢方の胃薬をお出しした。
効果を感じるまでに、それほど時間はかからなかった。
服用後、すぐに胃が動く感じがした。やや不快感を伴ったが、私は継続するようお話しした。
そして3日後、あきらかな熟睡感を感じる。同時に目覚めた時の胃もたれが消え、上半身のほてりを感じなくなった。
その後、頭痛は急速に終息していった。同時に下痢も汗も不安感も、すべて順調に回復していった。
たった一つの胃薬が起こした効果であることに、私は驚いた。
そして漢方とはこういうものかと、この時初めて東洋医学の入り口に立った気がした。
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勉強してきたことは忘れろ。
その言葉は、父がくれた口訣の中でも重要なものの一つである。
臨床家になりたいならば、机上の理屈を捨てろ。そして実際の患者さまから学べという、三代目への教えであった。
そして多くの患者さまに出会い、そこから学ばせて頂くことで、初めて本物の理論が作られていく。
東洋医学理論に囚われることなく、東洋医学の中を自在に泳ぐことができる。
まだまだ到底及ばないが、そんな臨床家のイメージを持てるようになった、感謝の症例である。
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■病名別解説:「頭痛・片頭痛」
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