数多ある漢方処方、
そのうち3つ以上の生薬で構成されたものの中で、
最も基本となる処方を一つ挙げろと言われれば、何か。
桂枝湯。
これは、ほとんどの漢方家に異論はないと思います。
では二つ挙げろと言われれば、何か。
まずは桂枝湯、
そして四逆湯。
では、三つ挙げろと言われたら。
桂枝湯と四逆湯、
そして麻黄湯。
桂枝湯と四逆湯が、一本の軸を作る。
そして麻黄湯が分岐を作る。
数多あるとはいえ、漢方処方には例えばこういう繋がりがあって、
幹から派生する枝のように、そこから無限の広がりを作り上げていきます。
・
漢方家は腕を上げていくと、
たくさんの処方が使えるようになっていく、
そう思われがちですが、実はそうではありません。
むしろ、使う処方の数が少なくなっていきます。
先代の父はおそらく10くらい、多く上げて20個くらいの処方しか使っていませんでしたし、
東京での修行時代、他の先生たちも、おそらくそれくらいの数の中で処方を切り回していました。
正確に言うと、これはたくさんの処方を使う必要がないから。
全ての処方は繋がっているということです。
全く違う処方でも、その幹は同じだったりする。
そして幹が同じなのであれば、それはもう同じ処方だと言っても過言ではない。
それくらい、割り切ることが出来るようになる。
考え方が、至極シンプルになっていくということです。
それは、病態の把握がシンプルになっていくということであり、
同時に人体の見立てに、無駄がなくなるということです。
だからこそ、単純な処方でも効かせることが出来るようになってくる。
多くの処方を世に残した浅田宗伯でさえ、
おそらく自身が運用していた処方は、それほど多くは無かったのではないかと想像します。
・
ある処方を使ってそれが効かないと、
違う処方を使いたくなる、他に効く処方を探したくなります。
しかしその行為は、おそらく間違いです。
単に効かない処方を増やしていくだけだからです。
ある処方を使って効かないのであれば、
処方ではなく、見立てを見直すべきです。
考え方を変えなければなりません。
処方はあくまで道具にしか過ぎず、
道具は使い方次第で、どのようにでも使えるものです。
道具が悪いのではなく、使い方が間違えているということ。
道具のせいにしてはいけないということ。
例えば起立性調節障害に補中益気湯が効かなかったとしても、
それは補中益気湯が効かないのではなく、
使う場を間違えているということ、
もしくは効かせる使い方が出来ていないということです。
漢方薬を飲んでも効かなかったという声を耳にするたたびに、
私は少々納得すると同時に、とても残念に思います。
昨今の漢方医学にはなぜか、処方第一主義的な考え方が蔓延しておりますが、
自分に合う漢方薬を探すというやり方だけでは、
漢方治療を行っているとは言えません。
数多ある漢方処方の中で、
最も基本となる処方、それをもし、五つ挙げるとするならば、
あなたは何を挙げますか?
桂枝湯と、麻黄湯と、四逆湯と、あと二つ。
各処方は漢方の哲学という壮大な理論の中で、全て繋がっています。
それが恐らく漢方の歴史そのものであり、
何百年も継承され続けた医学である所以です。
・
・
・