師匠の勉強会

2019年10月30日

漢方坂本コラム

今年の4月から、東京にいる師匠の新しい勉強会に参加させてもらっている。

座学に終始していた20代の頃の私に、臨床のいろはを教えてくれた師匠である。

30代に差し掛かる頃、私は山梨に帰った。

そして父のもとで家業を継ぐ道を選び、一旦師匠から離れた。

離れていはいたが、私の中で師匠の教えはむしろ濃厚になった。

東京の頃に叩き込まれた教えが血肉になっていることを、臨床の中で何度も実感したからである。

今思えば父はそんな私の素地を感じ取ったのかもしれない。

基礎的なことは一切口にせず、臨床のコツやその応用、そして経営のことなどを私に教え続けた。

20代の頃の座学、そして30代に経験した臨床。師匠と父とに教わったことは、今では私の宝である。

父が他界し、私は家業を継いだ。そして40代に入り、再び初心に戻るべく師匠の門戸を叩いたのが今年の4月である。

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父に言われたことがある。

「自分が教わった時は、どんな先生も本当のことは言ってくれなかった。盗むしかないぞ。教わろうと思うな。盗んでこい」

確かにそうだと思う。漢方の教えは受け身では身につかない。

実際にお会いしてきた多くの先生方は、自分自身が本当に身につけた知識を、それほど簡単には人に出さなかった。

それは意地悪とかでは多分ない。そして教えたくないということでも、多分ない。

臨床から得た回答というものは、たとえ一言でいえたとしても、一口では説明できない。

幾多の失敗と気づきとを経た、その右往左往があって初めて一言に集約できるものだからである。

すなわち教わる側にその右往左往がない以上は、言われたところでその一言が理解できない。

また教える側にとっても、その右往左往を説明するには、それなりの根気と力量がいる。

教える・教わるということはかくも難しいものかと、最近になってようやくわかるようになってきた。

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数年の月日を経て、再び門戸を叩いた師匠の勉強会に私は驚愕した。

この勉強会は挑戦だった。生徒の挑戦ではない。師匠にとっての挑戦だった。

師匠は長年の経験から導き出した回答を、幾多の臨床からたどり着いた回答を、直接叩き込むという勉強会を行なっていた。

それをそのまま出せば、生徒は当然理解できない。

しかし師匠はそれを理解させ得るシナリオを用意していた。漢方の勉強法を根本から覆すシナリオである。

このシナリオを作り出すためには、とてつもない根気が必要だったと思う。

そして何よりも腕の良い臨床家を育てたいという熱意、それがなければできるはずがない。今までにない新しいものを作りだそうとしているのである。

これからも本当の漢方が生き残り続けるための挑戦。

漢方の正道を探求し続けることのできる人材を育てようという挑戦。

教える側が、これほど本気で挑まれている勉強会を、私は知らない。

強力な熱を帯びた、師匠の挑戦である。




Kampo lab collage

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