想像を続ける理由

2025年05月22日

漢方坂本コラム

いくら漢方を専門に扱っていると言っても、

歴史を知らなければそれは専門家とは言えない。

と、感じられる漢方の先生は多いと思います。

少なくとも、私はそう感じてしまいます。

漢方はどうしてもその歴史抜きには語れません。

東洋医学というイメージから言っても、それは何となく理解してもらえると思います。

ではなぜ歴史を勉強しなければいけないのかというと、

その理由は基礎だからとか、教養だからとか、そういうことではなく、

ただ単純に、治療の腕に大きな差が出るからです。

歴史を知ったところで腕が良くなるわけではない、

方法論だけ理解していれば漢方薬は使いこなせる、

そう思われている方もいらっしゃるでしょう。

事実、8割の医師が漢方を処方していると言われている中で、

漢方の歴史的背景をご存知の方はどれほどおられるのか。

それでも確かに漢方薬を使い、実際に効かせておられる先生がいらっしゃいます。

しかも現在これだけ多くの解説書が出ていれば、歴史を知らずとも漢方薬を使えるようにはなるはずです。

しかし残念ながら差が出ます。

歴史を知る人とそうでない人とでは、差が大きく開きます。

それが現実だから仕方がありません。

これは漢方の性質上、どうしても仕方がないのです。

確かに古典を見なくても薬は使えます。

むしろ漢方を広めるべく奮闘した昭和の名医たちがそれを促しました。

古典なんて見なくて良いからまずは簡単に使ってみて欲しいと。

そうやって作られた本が沢山販売されているし、いわゆるツムラの手帳というがそのために作られたものです。

ただし、それでもやはり歴史を紐解かなければなりません。

なぜならば、全ての処方が過去に作られたものだからです。

そして誰かの意図をもって作られたものだから。

すなわち、その処方の本当の使い方を知るためには、

歴史をさかのぼり、その意図や成り立ちを出典にまで立ち戻って解読していく必要があるからです。

漢方において、その創作者の意図を理解せずに薬を使うということは、

何か知らないけどこうやって使えって書いてあるから使いました、ということ。

それではちゃんとした効かせ方が出来るはずもなく、

かつ処方を応用しながら使うことも出来ません。

故に歴史を知る人、紐解く努力をしている人とそうでない人とでは、

処方の使い方、すなわち治療方法が全く違ってきます。

そしてその違いが腕の差に表れてくる。

だから漢方は、歴史抜きでは語れないもの、

医学として成り立たないもの、なのです。

ただし、

今回、私が本当に言いたいことはここから先にあります。

漢方薬はどんなにその出典を解読しようとしたところで、

完全なる答えなど出ません。どこまで行っても完璧に理解することなど出来ません。

つまりいくら創作者の意図を紐解いても、想像の域を脱することはない。

どんなに理解を深めたとしても、「何かしらないけどこうやって使うのだろう」という「想定」の範疇を超えることはありません。

なぜならば、結局漢方医学自体が想像によって作られているから。

どこまでいっても漢方は「曖昧な医学」という宿命から逃れることはできません。

そもそもどんな漢方薬も過去の人間の想像の産物です。

具体的に薬として残っていはいますが、今のように体の状態が詳しく分かっているわけではなかった以上、人体の機能を想像し、生薬の薬能を想像して作ったものが漢方薬です。

すなわち古典を解読するとは、古人がどう想像したのかを知ろうとしていることに過ぎません。

故に、今までこの曖昧という宿命から脱出するために、様々な試みが行われてきました。

漢方にも科学のメスが入るようになりました。高いエビデンスを保証する臨床研究も増えてきています。

そういう試みがあるからこそ、現在でも漢方は残り続けています。

ただ、同様に行わなければならないことがあります。

それは、これからも「想像」を続けることです。

漢方が現在に生き残り続けた理由は、

この想像したものが病治という実益において利用可能だったからに他なりません。

確かに想像にしか過ぎないのですが、

しかし実益を備えた想像があったからこそ、今まで生き残り続けてきということです。

当然、今まで廃れてきた想像はいくらでもあります。

想像だから廃れて当たり前です。

しかし一方で、生き残った想像もあります。

実際に使える想像だったからこそ、生き残ったのです。

現実に使えるということを、病治において正しいと言い換えて良いならば、

生き残った想像は正しい想像だったということ。実は、漢方は正しい想像性によって作られてきた医学です。

長い年月をかけて正しい想像を積み重ねてきた医学、

そこにこそ漢方の価値があると私は信じています。

未だにすべてを理解しつくせない人体、

だからこそ正しい想像性を発揮する医学がこれから先も必要だと思うのです。

それにこの先科学が今よりも進歩していくためには、

今よりもっと正しい想像性が必要になってくるはず。

そもそも科学は人間の想像力がその原動力であったのだから。

だからこそ、科学のためにも、漢方を扱う人は想像を止めていはいけないと思うのです。

何かを知ろうとすること、理解することには、

必ず想像力が介在します。

まったく想像することなしに何かを作り出し理解することはおそらく不可能でしょう。

そして正しく行われた想像には力があると、私は思っています。

今回のコラムのような話は、今までも何度もしてきました。

多分、読まれている人は耳にタコでしょう。

それでも私は言い続けたい。漢方は想像によって作られた医学だということを。

だからこそ曖昧で、はかなく、

そして価値があるのだと。

消滅させてはいけない医学だと、私は思うのです。



【この記事の著者】店主:坂本壮一郎のプロフィールはこちら

※コラムの内容は著者の経験や多くの先生方から知り得た知識を基にしております。医学として高いエビデンスが保証されているわけではございませんので、あくまで一つの見解としてお役立てください。また当店は漢方相談を専門とした薬局であり、病院・診療所とは異なりますことを補足させていただきます。