漢方薬局あるあるなのですが、
お越しになられる患者さまのご年齢は、
治療者と同じ年代であることが多いものです。
私は今年で44歳。
当薬局では比較的幅広い年代の方が来られるものの、
それでも、最も多い年代は40代。
理由は分かりませんが、何故かそうなる傾向にあります。
ただ近年、
お子さまのご相談が増えてきたなと。
ここ5.6年の間で、一気に増えたという印象があります。
起立性調節障害や過敏性腸症候群など。
時代のせいか、はたまたメディアの影響か、
もしかたら40代の方々が子育て世代であることが、
一番影響しているのではないかと踏んでいます。
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お子さまにおける漢方治療。
各世代の中でも、特殊な治療を必要とする傾向にあります。
目まぐるしく身体が変わる。
精神的にも大きく成長する。
人生においても特殊な時期である成長期。
その特殊性を鑑みる必要が、どうしてもあります。
ただし、それよりもっと大切なことは、
「まだ幼い」ということに執着してはいけないということです。
大人子供関係なく、まずは人として診なければならない。
私の経験上、お子さまを診ているという先入観によって、
自分自身が治療を難しくしてしまっていることが多々あります。
大人や子供である前に、人。
そうやって診る。すると、見えてくるものがあります。
一つのことに縛られると、正確な判断を見失うことがあって、
漢方治療はいつだってそうです。
捉われた瞬間に、素直でシンプルな発想が失われていきます。
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子供は時に、大人以上に過酷です。
しかもそれを言わない。親にも言わない。
友達にさえも、その愚痴をこぼせないこともあります。
その理由はたぶん、性格とか以前の問題として、
それが当たり前だから、かも知れません。
過酷なことが当たり前。
生来の不安を抱えることも当たり前。
そして人に言った所で解決しないと思うこともまた、
当たり前だと感じているのかも知れません。
口に出して言ってほしいものです。
言うことで、少しは楽になることもあります。
ただこの考えは、
私は核心を突いていると思っています。
少々言い過ぎかも知れませんが、
そもそも生きること、それ自体は本質的に過酷なものだし、
基本的には、自分でどうにかしなければならない問題だからです。
大人になると、子供の時のことを少しずつ忘れていきます。
過酷だったことも忘れます。おそらく、いろいろなことに慣れてくるからです。
人と話すことにも慣れる。笑い飛ばすことにも慣れる。
私もいつも間にか、いろんなことに慣れました。
そうやって、今の自分がある程度安心できる、落とし所を作ってきました。
しかし、それができない、未だ慣れない状態で、
人生の過酷さを理解したならば。
どうしても、そこに立ち向かわなければなりません。
簡単に諦めることなど、できるはずがありません。
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理想の自分と、現在の自分。
夢と現実。そして先に広がる未来。
頑張ればどうにかるかもしれないという、未だ残され続けた可能性。
それらに、立ち向かっていかざるを得ません。
そういう人生に立ち向かおうとする姿は、
時として私には、大人より立派に見えます。
大人は経験によって強くなっているように見えますが、
少なくとも私には、その自身がありません。
もし私が、慣れの経験を失った状態で、
学生時代に戻り、真正面の過酷さに立ち向かわなければならない状況に戻れと言われたら。
絶対に嫌です。ヘタレな自分には、過酷過ぎます。
それを、お子さまたちはやらなければなりません。
しかも、起立性障害や過敏性腸症候群など、
大人でもキツイと感じる体調不良を抱えながら。
しみじみと思います。未成熟なことと、弱いことは同じではありません。
未成熟だからこそ、強い意思を必要とします。
多少の体調不良を抱えながら、たとえ起きられなくても、学校へ行けなくても、
時には怠けているように見えたとしても、
必ず、立ち向かおうとしています。
そうせざるを得ないからです。
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私はお子さまとお話させていただく時、
子供ではなく、人として、お子さまの話を聴いています。
中学生になったらもう、特にそうします。
それがコツだと分かったからです。最初から、子供として見てはいけません。
敬意。あくまで人として見るべきです。
治療上、成長期特有の状況について解釈するのは、
その後で良いと思っています。
当薬局におかかりになるお子さまは、治療しようという意思がある時点で、
本質的に気持ちの弱い子など、一人もいません。
だから、治った時は本当にうれしい。
成長期に、体調不良が起きたことがある。
その経験が、必ず後の人生で大きな意味を持つはずです。
人生の慣れ方が、人とは違うはず。
優しくなれるはず。
私はそう信じています。
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