<はじめに>
自著『漢方と感性』では、
現在の東洋医学の在り方に対して、私なりの想いを書いております。
西洋医学との違いや、感性を必要とする医学であるということ、
それらを通して今後の漢方の可能性を書かせていただきました。
しかしながら、この本にはそのより深い所に、
また違った想いが込められています。
よりダークな側面。
東洋医学の危険性について。
扱いを間違えてしまえば、東洋医学は危険な医学になり得る。
だからこそ、「感性」が必要だという想い。
今回のコラムは、本当は『漢方と感性』の中に収載するつもりでした。
そうしてはじめてバランスが取れると思ったからです。
しかしながら敢えて、番外編として当HPのみで紹介しようと思います。
一度世に出した本に、後付けのように文章を加えることなど、
どれだけ興をそぐことなのかを重々承知の上で。
現在の東洋医学とその生業、そして
我々に問われる倫理について、書いていこうと思います。
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東洋医学と問われる倫理
昨今、SNSが集客方法の中心として活用されるようになり、
各個人が宣伝を行いやすい環境が当たり前になってきました。
その傾向は医療においても出てきていて、
「東洋医学が優れている」というアナウンスをしばしば目にするようになりました。
例えば病院で治らなかった病が東洋医学で治るとか。
○○の病は東洋医学で良くなるとか。
時に西洋医学よりも優れているような言い回しで投稿されていることもあります。
東洋医学はたとえエビデンスに乏しかったとしても、決して科学が全てではない。
東洋医学には長年の経験則がある。そして実際に効くし、回復する患者さんがいることも事実。
集客のためにそう言いたい気持ちは分かるし、
文章や写真や動画などの具体的な形でそれを示したくなる気持ちも分かります。
しかしネットやSNSでそう叫んでしまうのは、私は違うと思っています。
危険だと思います。
不特定多数の方に提示するのであれば、できるだけ慎重に行わなければならない。
東洋医学とは本来、そういう性質のものです。
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東洋医学はどうしたって「曖昧な医学」です。
そこからは逃れようがありません。
1から10まですべて内容が個人の経験や考え方で変化してしまいますし、
それを経験則と言ってしまえば何にだってそう言えてしまいます。
しかも「東洋医学には決まった理論がある」というような記載を目にすることがありますが、
とんでもない。東洋医学は今までの歴史上、その理論が完成されたことなど全くありません。
その時の時代時代で体制化する努力を続けているのが東洋医学です。未完成なまま生き残り続けている。それが東洋医学の今ある姿です。
未完成な医学。曖昧な医学。
しかし現代においても使うべき価値のある、無くすには惜しい医学です。
そんな東洋医学を扱い、不特定多数にそれを説明するならば、
正解はこうです。
「エビデンスに乏しい東洋医学、だからこそ我々はこれを専門家として慎重に扱っています」と。
そういう姿勢。
でなければならないと、私は考えています。
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あくまで情報発信は慎重にするべきです。
こと東洋医学においては絶対にそうです。
でなければ、東洋医学は過去そうであったように、
医学として認めらないものになってしまいます。
実際に昔、そういう時代があったのです。
江戸末期から明治・大正・昭和と、東洋医学は我が国において一度衰退しています。
東洋医学をやっていると言えば馬鹿者扱いされた時代。
人々は漢方という言葉さえも知らない時代です。
東洋医学にはそれほど廃れた時代があった。しかし今、漢方薬は保険に適用され、医師の8割が使い、漢方という言葉は広く認知されるようになりました。
廃れた時代から、ここ五・六十年で一気に医学として認められるようになったのです。なぜか。
そうなるように努力し続けた人達がいたからです。
幕末から明治にかけて新政府の医療体制に異を唱えた漢方家たち、
その意思を継いだ昭和の名医たち、
また漢方薬の効能を科学的に証明しようと努力を続けている研究者、
さらに漢方薬が市場から消滅しないよう企業努力を続けている生薬メーカーの方々に至るまで、
東洋医学に携わる人間たちが時代の苦渋を噛みしめながら努力し続けたからこそ、
私たちは今、東洋医学が医学として認知されている良い時代に医療を行うことが出来ています。
東洋医学の危うさを認め、
西洋医学の視点に敬意を払い、
その上で何とか認めてもらえるよう努力をし続けてきた。それが東洋医学の歴史です。
自然派・優しいという耳障りの良い言葉を打ち出し、
あたかも西洋医学よりも東洋医学の方が優れているようなアナウンスを行うことは、
今までの東洋医学の流れを完全に無視するものであり、
同時に先人たち努力を踏みにじる行為です。
東洋医学の正しい立ち位置はあくまで代替医療。
西洋医学という大きい器が医学の骨格であるならば、
その大きな器から漏れてしまう人を支える小さな器。
それが東洋医学です。流行る必要は無い、ただし無くなっていけない医学です。
そういうあるべき姿を壊そうとするアナウンスは、
私は見ていて危ないと感じています。
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覚えておいて欲しいのです。
東洋医学はあくまで我が国に残すべき小さな器であるということを。
医療という立体構造の中で、大きく手を広げているのが西洋医学だとするならば、
あくまで医療の深みを担う小さな器が東洋医学です。
医療という立体構造を、それぞれの立場で両医学が支えている。
そのあるべき場所、正しい解釈を理解してさえいれば、
何も声高々に東洋医学の良さを叫ぶ必要はないのです。
もっと自然な形で、人にも国にも本当の意味で必要とされる医学になれると思うからです。
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漢方坂本/坂本壮一郎|note