漢方治療の心得 9

「処方に溺れる」という言葉がある。

昔、師匠と電話していた時の話。

私はある処方の使い方が分からず、それを師匠にご指導頂いていた。

「この処方はこういう病態に使うべきものだから、このような患者さまに使って良いと思うのですがどうでしょうか?」とか、

「この処方は○○という病に使うべきものなのですよね?」とか、

確かそういう質問をしていた時だったと思う。

その時、師匠は私にこう言われた。

「坂本くん、処方の中に病態は無いよ」と。

処方の中に病態は無い。この言葉は、当時の私には到底理解できるものではなかった。

処方の中にこそ、それを用いるべき適応病態があり、

それを理解することで始めてその処方が使えるようになると思っていた。

人と処方とを繋げる。それが私たち臨床家の務めであると信じていたからだ。

しかし今なら分かる。それは間違いである。

臨床家は人と処方とを繋げているのではない。

人の中から病態を見出し、その病態をもって処方という形を導いているのである。

極論を言うならば、処方は何だって良い。

正確に病態が掴めているのであれば、治し方はどのような形であろうともかまわない。

同じ病態であったとしても、ある人は桂枝湯(けいしとう)を用い、ある人は六君子湯(りっくんしとう)を用いる。

観るべきものは人中の病態であり、処方ではない。

そして処方は解答ではなく、あくまで手法である。

形は違っても病態に正しく合わせることが出来るのであれば、そのレシピは何だって良いのである。

この考えはやや難しいかもしれない。

しかし臨床家であれば必ず意識しなければいけない思考である。

正直、腕の差を決定づけると言っても過言ではない。

処方の中に病態は無いという考え方は、感覚として骨の髄にまで染み込ませなければいけないものである。

なぜならば、分かっていても癖のようにやってしまうからである。

ある病にこの処方が効いた。それを聞くと、無意識のうちに同じ病を得た人とその処方とを繋げたくなる。

それでは決して効かない。もし効いたとしても、まぐれにしか過ぎない。

同じ病の人でも、誰一人として同じ病態の人はいないからである。

病を得た人と処方とを直結する。この考え方は日本漢方の伝統的な手法である。

「方証相対(ほうしょうそうたい)」

この漢方理論の根底にあるものが、当にそれを物語っている。

ただし忘れてはいけない。

「方証相対」とは「昭和の漢方家たちが、漢方を知らない医療者に向けて、分かりやすく、使いやすく説明するために引き合いに出した概念」である。

つまり漢方の初歩概念といっても良い。

賛否あると理解してはいるが、あえて初歩概念だとここでは言いたい。

○○湯の証があるから○○湯を用いる。そんな概念は役に立たない。

そうとは分かっていても、無意識のうちにそう考えてしまう臨床家は多い。

ある意味で「方証相対」という魔法の言葉は、それほどまでに日本に浸透した言葉なのだとも言える。

「処方に溺れ、証に溺れる」

昭和時代から時を経て、今はもう令和である。

そろそろ、この矛盾から脱却しても良い時代ではないだろうか。



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