昭和の大家の一人として有名な大塚敬節(おおつかけいせつ)先生は、
桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう)中に含まれる芍薬の薬能を、「重り」と言いました。
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歴代の漢方家たちは、しばしばこのような独特な表現を使います。
一見何を言っているのか分からない表現ではありますが、
我々の感覚に訴える言葉をわざと用いて漢方を説明するのです。
明治の巨塔・浅田宗伯は、石膏の薬能を「糟袋の汗を手にてしめて、絞りきってしまふ道理」と表現しました。
江戸の名医・山田正珍は、黄連・黄芩の苦味をもって「気を養う」と表現しました。
枚挙にいとまがありません。漢方家たちは何故か、このような分かりにくい表現を使うのです。
わざと分かりにくい表現をしたのでしょうか。
医療の発達していなかった時代では、それを説明する言葉が足りなかったのでしょうか。
おそらくそうではありません。
感覚的に理解することこそが、理にかなっていたのです。
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良くも悪くも、漢方の臨床では感覚的に理解することが必ず求められます。
現代においては、西洋医学的な知識や検査値は漢方治療を行う上でも重要な参考情報です。
しかし、それですべての病態が紐解ける訳では決してありません。
漢方家は身体の五感を研ぎ澄ませながら治療を行い、腕を磨いてきました。
この方には「重り」が必要だ、
この状態であれば「絞りきって」しまおう、
そういう独特な「感覚」を養うことこそが、漢方治療には求められているのです。
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