漢方治療の心得 18

沢山勉強はしている、でも患者さまを治せない。

実はそういう事ってよくあることで、

私自身が、昔はそうだったと思います。

そこから脱却するために、今まで頑張ってきたと言っても過言ではありません。

今日のコラムは、そんな昔の自分への反省を込めて、

気付いたことを、端的にお話してみたいと思います。

今だからこそ、分かってきたこと。大切なことだと思っています。

例えば何でもよいのですが、

「頭痛」と言われた時に、いくつ処方を思い浮かべることができますか?

頭痛に使う漢方処方。呉茱萸湯(ごしゅゆとう)とか、五苓散(ごれいさん)とか、川芎茶調散(せんきゅうちゃちょうさん)とか、釣藤散(ちょうとうさん)とか。

良く勉強されている方なら五つか六つは簡単に上がるはず。

10個くらいパパパッと思い浮かぶ方もいるかも知れません。

では、これはどうでしょう。

「頭痛」と言われた時に、

何人、患者さまを思い浮かべることができますか?

実は、ここが学者と臨床家との違いです。

処方を思い浮かべることが出来たとしても、患者さまが思い浮かばない。

この状態が、勉強をとても頑張っているけど、治せないという状態の典型だと思います。

臨床家に愛される漢方の聖典・『傷寒論(しょうかんろん)』。

この本には何が書かれているのか。

処方? 症状?

人によっては、どのような症状にどの処方を使うかが書かれている、いわば処方集のようなものだと言われる方もいます。

しかし本当にそうでしょうか。

私は違うと思います。

『傷寒論』には、人が書かれています。

病を患う人。つまり患者さま。

『傷寒論』には、非常に具体的な、「患者さま」が書かれているのです。

だから『傷寒論』の文章を読んだ時に、人を思い浮かべなければ読めていることにはなりません。

症状をパズルのようにならべ、そこから処方を紐解いたとしても、

何の意味もありません。思い浮かべるべきものは、人なのです。

気力を失い脱力した姿態、苦悶に満ちた表情、

そういうリアルな患者さまが、生き生きと描かれています。

写真も撮れない、動画も撮れない、絵をかく余裕もない(そもそも紙がない)。

そういう時代だからこそ、一言一句の文字に人を乗せた。

それが読めるようになった時、

初めて『傷寒論』が、臨床の本になるのだと思います。