漢方治療の心得 19

2020年10月06日

漢方坂本コラム

分かると、分からないとの差。

観えると、観えないとの差。

ある日、急な坂道の途中で休憩していた時の話。

坂道の下から、リアカーを動かしながら登ってくる人たちがいた。

若く小柄な人が、前でリアカーを引っ張っている。

そしてやや年配のガタイの大きな人が、後ろからリアカーを押していた。

リアカーに乗っているのは家財道具。

引っ越しだろうか。年配の方が「うっし、うっし」と掛け声をかけていた。

前を通り過ぎるとき、私は二人に話しかけた。

まずは前で引っ張っていた若者に。

「後ろの人は、あなたのお父さんですか?」

「いいえ、違います。」

家族ではないらしい。しかし二人の顔は、どこかしら似ている。

そこで後ろの人が近づいた時に、こう聞いてみた。

「前の方は、あなたの息子さんですか?」

すると、答えはこうだった。

「はい、わたしの息子です。」

出どころは忘れましたが、以前どこかで見聞きしたお話です。

面白いなと思って、覚えていました。少し細部は違ったかもしれません。

もしこの二人が嘘をついていないとしたら。あなたはこの話を理解することが出来ますか?

直感的にどちらかが嘘をついているぞと思う前に、なるほどなと、納得することが出来るでしょうか?

前の若者は、後ろの人を父ではないという。

しかし後ろの人は、前の若者を自分の息子だという。

この矛盾を消し去る着想が、あなたに観えるでしょうか。

そうですね。

一つだけ可能性がある。

後ろの人が「母親」である、という可能性です。

先入観。

物事を正しく見るために、必要であると同時に、往々として邪魔になり得るもの。

治療においては、いつだってこのバランスが問題になる。

分かったと思いつつも、本当に分かっているのかを、常に自問し続けなければなりません。

例外はありません。あらゆる知識や情報に対して、この作業が必要です。

曖昧な概念を扱う東洋医学。だからこそ、この作業から目を背けることができません。

師匠が最初に教えてくれたこと。

それは、今までの常識にケツを向けろ、ということでした。

つまり、先入観との折り合いを模索し続けろということ。

分かると分からない、観えると観えないとの狭間にこそ、真実があるという口訣です。

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