今回の「漢方治療の心得」は、
漢方を勉強されている方のみならず、
漢方治療にご興味を持たれている患者さまにもお伝えしたい内容です。
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現在の漢方治療は、多くのケースで「処方第一主義」をとっています。
症状があればそれを治す「処方」を探し、
病があればそれに効く「処方」を探す。
病を得た患者さまが漢方でそれを治そうと思ったら、
○○湯や○○散など、おそらく自分に合った「処方」を探されるはずです。
そして、患者さまだけではありません。
現在漢方に携わる多くの治療者にも、この傾向があります。
治すべき「処方」を探そうとします。そして効かなければ「処方」を変え、新たな「処方」を探します。
方(処方)と証(病態)とが相対するという、漢方の基礎理論から言えばそれでも良いのかも知れません。
しかし、その先がある。
漢方治療には、「処方は決して解答ではない」という、その先の領域があるのです。
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「病を本気で治そうと思ったら、使う処方なんて、何でもいいんだよ。」
昔、師匠に言われた言葉です。
この意味、分かる方いらっしゃるでしょうか。
何やら意味の分からない言葉に感じられるかもしれません。
一つの注意点としては、
「薬で治そうと思うな、生活習慣の改善で治せ」、そういう意味ではないということ。
あくまで、病を改善するのは「処方」。
的確な「処方」を服用しなければ、病は決して改善へとは向かいません。
しかし、そういう前提があったとしても、
やはり「処方」は何であっても良いのです。
なぜならば、
重要なのは処方という目に見える「形」ではないからです。
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実際に病を改善へと導いているのは、
処方という「形」ではありません。その「形」に内包されている「真意」です。
これが病態に則しているかどうか。
内包する「真意」が正しく病態と適合した場合にのみ、
漢方薬は効能を発揮します。そういう仕組みになっているのです。
葛根湯には葛根湯の「真意」があります。
「病態に対してこういう効かせ方をしたい」という、
そういう意図があるのです。それが処方の「真意」です。
そして全く形が違う別の処方の中にも、
葛根湯と同じ「真意」が隠されていることがあります。
たとえ内包している生薬が全く違ったとしても、
同じ「真意」をもって作られた処方が存在するのです。
だから葛根湯を使っても良いし、違う処方を使っても良い。
「真意」が正しければ。同じようにちゃんと効能を発揮するのです。
故に漢方家は、処方の中に内包されている「真意」を探ろうと努めます。
西洋医学では治すことが難しい、どの医療機関にかかっても改善しなかった、
そういう病と対峙されている漢方家は、必ずこの作業を行っています。
各生薬がなぜ内包されているのか。
その処方を作った古人が、いったい何をもってそれらの生薬を構成したのか。
そういう「真意」を探っているのです。
そうして初めて「処方」が使えるようになります。
だから、ちゃんと「真意」を理解することが出来ていれば、
どの処方を使うかは些末な問題。各治療者のクセのようなものです。
ある病に竜胆瀉肝湯を使う先生もいれば、
同じ病に八味地黄丸を使う先生もいらっしゃいます。
漢方治療とはそうであっても良いのです。
解答は決して、一つではないのです。
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昨今の漢方治療は「処方第一主義」です。
あたかも、病を治すためには「絶対的な処方」を見つけなければいけないというような、
そういう「処方が全てである」というような考え方が、非常に強いと、どうしても感じてしまいます。
しかし違うのです。
処方は何であっても良いのです。
「真意」をちゃんと理解していれば。
そういう領域こそが、漢方の世界なのです。
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