漢方、および代替医療では、
それをアナウンスすることは大変難しいというお話です。
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東洋医学を専門としている医療機関にこられる患者さまは、
他の医療機関にかかっていたが治らなかったという方が、少なからずお越しになられます。
そして経験を重ねていくうちにそういう方が治せるようになると、
徐々にこう感じるようになります。世の中の治療は全くダメだな、全然治せてないじゃないか、と。
例えば一般的に行われている保険治療の漢方は全然効かないな、とか。
特効薬のように使われている漢方薬があるけれど、実際は全然効かない。漢方の使い方が分かっていないな、とか。
敢えて誇張して言っていますが、まんざら間違いではないと思います。
東洋医学専門を謳っている治療者であれば、どこかしらでそう感じる所がゼロではないはずです。
気持ちはわかります。そう思うことは確かにあります。ただしその判断は決して正確ではありません。
なぜならば私たちが知っている医療現場というものは、全体から見れば極々小さな、それこそ米粒のようなものだからです。
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○○湯という薬を飲んで効かなかった患者さまが来局され、他の漢方薬飲んでもらって治ったとします。
また後日、違う患者さまが来て同じ○○湯を飲んで治らなかったと言われれば、はいはいそうだよね、その薬効かないよね、と私たちは感じがちです。
しかし、その○○湯を飲んで治った人がいないとは、決して言いきれません。
もしかしたら○○湯を飲んで治った人は、結構いるかも知れません。
実際は想像通りあまりいないかもしれませんが、正確に言えばそれは私たちには分かりません。
なぜなら東洋医学専門を謳えば謳うほど、ほかで治らなかった人しか来ないからです。全体からみたら極々小さな医療現場でしかない私たちは、現場の全容を知ることができません。
にも関わらず、どうやってその薬は効かないと判断できるのでしょうか。それこそ「それはあなたの感想ですよね?」という話です。
だから医療を、特に漢方のように効果判断がどうしても曖昧になってしまう医学は、それをアナウンスすることが大変難しいのです。
自分自身がそう感じたのであれば、それを発信することは構わないと思います。
しかし少なくとも個人の感想の域は出ません。それを読み手に注意していただく配慮は必要だと思います。
すでにインターネットやSNSでの情報発信が当たり前になっている時代だからこそ、注意していきたいことではあります。
ただしそれを前提として、何故私たちが情報発信をするのか、その意味についても伝えておきたいのです。
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医学と医療は違います。
医学は学問の面に、医療は治療の面に、それぞれ重点があります。
東洋医学を医学として成り立たたせるためには、個人の主観だけでは難しい。そこには必ず客観的な視点が必要になります。
そうでなければ学問になりません。他者にちゃんと説明し理解させることが出来るものでなければ学問ではありません。
医学である以上は、個人の見解というだけではなく、客観的かつ再現性を持った根拠を提示する、よりエビデンスレベルの高い水準が求められて然るべきです。
ただし同時に、東洋医学は医療でなければなりません。
医療であるということは、人が治せるということ。症状を消失させ、病による生活の質の低下から救済するということです。
目の前にいらっしゃる患者さまにそれが実際に施せなければ、東洋医学は医療として成り立ちません。
ですから、医学として成り立ちながらも、医療としての実益を同時に成り立たせなければなりません。
この医学と医療、当然両者はともに大事です。ただしこういう現実があります。
医学として高いレベルにあったとしても、すべての人を治せるわけではない、という現実です。
医学としてレベルが高い治療とは、高い「確率」をもって効果が出る治療を指します。それが客観的かつ再現性をもって証明されている治療を指しています。
高い確率で治せる治療、ある意味でそれは医療としても高いレベルであるとも言えます。ただし、あくまで確率です。
つまり運悪く漏れてしまう人も、当然いるわけです。
そしてもし、その確率から漏れてしまったとしたら、その患者さまはその治療を、良い医学・医療と感じることができるでしょうか。
その人にとって良い医療とは、その人を救える治療です。患者さまの気持ちになれば、医学としてレベルは時として関係ありません。
高い水準を持つ医学は広く大きな治療を提供しますが、代替医療はたとえ医学としての水準が高くなくても、その広く大きな治療から漏れてしまった人たちに施し得る医療であり、救いの手になる可能性があります。
言うなれば代替医療は医療に広さではなく、漏れてしまった人たちを底で支える深さを作り出すことができます。
だから私は、情報を発信すること自体は大切だと思っています。
高い水準を持つ医学であったとしても、医学である以上は完璧ではありません。
完璧ではないからこそ、他の支えがあるという情報が救いになる人は必ずいらっしゃる。
それこそ主観ですが、現実に、確かに、いらっしゃいます。
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私は漢方は流行る必要は無いと思っています。
医学としての水準を高めることも難しいし、なにより今後は生薬という資源の問題もあります。
安易に使われるべきではないし、誤った使い方では人のためにもなりません。
だから流行らない方が良い。しかし、無くなってはいけないものだと思っています。
東洋医学は曖昧な医学です。
そうである以上、情報発信には難しさが伴います。
客観的に判断しにくい、あくまで個人の主観の垂れ流しになってしまう可能性が高い。
医学としてのレベルが低い分、見ている方に勘違いを起こさせてします可能性は十分にあります。
だからこそ丁寧に、慎重に。安易にこれが効く、これは効かないという発言は慎むべきです。
間違えた伝え方をしてしまうと、それこそ消えてなくなります。
私たちが行っている東洋医学はそれほどに繊細で、壊れやすい医学です。
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