父が遺した掛け軸

2019年03月19日

漢方坂本コラム

栗園翁(浅田宗伯のこと。宗伯は晩年故郷の栗林村から号を栗園と称した)は一介の町医者から幕府の御典医にまで上り詰めた江戸漢方最後の巨頭です。

64歳の時には年間三万人の患者さんを診察し、数々の国の要人を治療せしめた逸話があり、さらに多くの名著を残しました。

深い「学」と廣い「術」とを持った稀代の漢方家です。

今でこそ漢方はこの国に広く認知されるようになりましたが、

1875年(明治8年)に漢方を廃絶する法律(医術開業試験※)ができたことで、漢方を志す医師が激減した時代があります。

宗伯の晩年はそんな時代の真っただ中。

漢方家たちによる医師免許改正の請願運動が頂点を迎えるさなか、1894年(明治27年)3月16日に満80歳の人生を終えました。

貴賤の差別なく毎日200人の患者さんを診ていた宗伯のお葬式には、道一杯に町人が溢れていたそうです。

 寧(いずく)んぞ羶羯(せんけつ)をして冠裳(かんしょう)に代えん
 神母(しんぼ)の遺風(いふう) 国光(こくこう)を仰ぐ
 何れの日にか駆(か)らん 他の鼾睡(かんすい)する者を
 山は青く水は緑に見れども疆(かぎ)り無し

 どうして野蛮な異民族をして、文明のある民にとって代わらせることができようか。
 神母の遺風を偲び、わが国の誉れある歴史をふり返る。
 いつの日かあの傲慢な異民族を追い払おう。
 そうすれば祖国の山河は限りない美しさをとり戻すことであろう。

尊王攘夷の思想を背景とする時代、強い憤りを感じさせる文脈。

愛国心か、筆頭としての責任感か、浅田宗伯 晩年の書です。

※医術開業試験・・・試験にはすべて西洋医学が採用され、これより医師はすべて西洋医学の医師でなければならなくなった。

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