生きた技

2021年06月26日

漢方坂本コラム

修行していた東京から、山梨に帰郷し家業に入ったのがちょうど30歳。

あれから12年が経った。

当時は東京が好きだった。山梨に帰るなんて考えもしていなかったのに、今ではもう山梨以外に住もうなんて微塵も考えなくなりました。不思議です。

「住めば都」。これは本当だと思います。

さらに故郷は、出不精かつ土着欲求の強い自分の性に合っていました。

安心できる場所というものは、結局自分にとって大切なんだなと。そんなことを考えながら今、改めて東京にいた頃の修行時代を思い出しています。

親里離れて、東京に行って良かった。今では心からそう感じています。

なぜって、ここにいたら会えない人達に会えたから。

本当にたくさんの方々に。いろいろなことを勉強させてもらいました。

特に様々な漢方の考え方に触れることができた。知識というだけでなく、その人柄に触れたことが大きかった。

「考え方」はその「人となり」の表れ。生きた思考は、人柄に触れて初めて感じることが出来るのだなと、私はそう経験的に感じています。

私が得てきた漢方の技術が、それを如実に物語っています。

教えられてきた技術には、その先生方の人となりがはっきりと表れているのです。

頑固者であまり笑わず、訥々とつとつと話すような先生から教えていただいた技術は、言うなれば「真面目」な技。

効くときにはゆっくり・じっくり、そして確実に効いていく。その技を使う時はいつも、なつかしむ気持ちで先生の眉間のしわを思い出します。

大事なことをあえて軽く言う。そんな先生もいらっしゃいました。いつも思考がくるくると変わるように見えたものです。

そんな先生から教えていただいた技はまさしく「軽妙洒脱けいみょうしゃだつ」。さまざまな症状をあしらい、受け流す使いやすさ。それでいて多くの状況に応用可能。やはり、生きた技だと感じます。

人柄と、わざ

私が得てきた技の数々には、先生たちの人柄が滲み込んでいます。

それこそが「生きた技」。

特に、今でもご教授いただいている師匠から得た技には、それが色濃く滲んでいます。

漢方の知識と同時に、師匠の人柄を感じ続けてきたからこそ、そういう生きた技を教えてもらえたのだと思います。

ただし、「伝授」なんていう仰々ぎょうぎょうしいものではまったくなく。

むしろ他愛もない話や、笑っちゃうようなしょうもない話の隙間に、ふと、それを教えてくれたりするのです。

今でも師匠とは定期的にお電話させていただくことがあります。

結局いつものしょうもない話なのですが。ただ、やはりその隙間に、ハッとするような技に触れることがあります。

だから先生に言ってみたのです。

「この会話、師匠の生徒さんたちも、絶対に聞きたいと思いますよ。」と。

現役の教育者でもある師匠は、現在「Kampo lab collage」という勉強会を開いておられます。

私はその初期メンバーの一人。他愛のない話を通して、本当にたくさんの考え方や具体的な技を教えていただきました。

今思えば、そういう人柄に触れる会話を何度も重ねてきたことが、確実に自分の身になっていると感じます。

だから皆さんも。

自分の師から、たくさんの人柄とその感性とを感じて下さい。



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※コラムの内容は著者の経験や多くの先生方から知り得た知識を基にしております。医学として高いエビデンスが保証されているわけではございませんので、あくまで一つの見解としてお役立てください。

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