自律神経失調症という病名は、ある種のゴミ箱的診断名として使われているという話を耳にします。
様々な検査をしても問題が見つからない。決して重い病でもない。
それでも病名を付けなければならない時に使われる言葉だと。
故に生活習慣に気を付けてくださいで、済まされてしまう方が多いようです。
SNSでたまたま流れていた動画であるお医者さんがこう言っていました。
「自律神経が壊れているというのは本当に特殊な状況であって、そうそう起こることではない。
おおよそ医者が自律神経という言葉を口にするのは、明らかにメンタルに問題がある患者さんにそのままメンタルの問題だと伝えると気分を害してしまうから。
そういう時に自律神経が乱れているねと説明してあげると納得される方が多い」と。
だとするならば、確かに自律神経という言葉は安易に使われ過ぎています。
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実際のところ、自律神経という言葉が巷に氾濫していている印象を私も受けることがあります。
例えば当薬局にお越しになられる患者さまの中にも、とにかく私は自律神経が乱れていると自覚されている方がしばしばいらっしゃいます。
そして今まで自律神経を調えるという治療を探し求めて散々試されてきた、それでも治らなかったと。
ある意味自律神経という言葉に振り回されてしまっていると言えなくもありません。
そもそも自律神経、その働きは、未だに分かっていないことがたくさんあります。
その全容は掴み切れておらず、乱れているといっても何がどう乱れているのかを判断することは大変難しいことです。
科学を根拠とする西洋医学が使う時でさえ、自律神経という言葉は曖昧で、漠然としています。
しかし、その一方でこうも言えるのです。
自律神経自体は確実に体に備わる器官であり機能、
そしてすべての病に関与し得るほどに、人体にとって基礎的な機能であると。
分からないからといって、無視し、放っておいてよい働きではないのです。
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実際に存在しているのにも関わらず、未だにその全容が分かっていないもの。
大切なものであり、かつ未だに判然としないもの。
それが自律神経です。そして私はこう思います。
だからこそ、漢方は今後も残り続ける医学になり得るのではないかと。
結局のところ漢方は、その独特の視点で自律神経を把握している医学です。
六経という流れ。陰陽という循環。
そういった概念の中に、季節を感じ取り恒常性を維持するべく働いている自律神経が、その機能が、理として内包されているように私には感じられます。
日進月歩の医学の発展、西洋医学の目まぐるしい発展の中で、
このままその発展が続けば、今治せない病でもどんどん治療可能となっていくでしょう。
それでも尚、漢方が必要とされ、消えずに残るのだとしたら、
それは「自律神経への理解と治療介入」にあると、私は感じています。
つまりこれから先、漢方がその治療の意義を失わないためには、
「それは自律神経だね」で済まされてしまった患者さまに、
どこまで具体的なパフォーマンスを上げることができるのか。
その腕にかかっています。
そして、単に場渡り的に治療を行うのではなく、
その経験からちゃんと理論を紐解き、作り上げていくこと。
もしそれが出来たらならばその時は、
きっと西洋医学にとっても漢方から学ぶべきものがあるはず。
そういう可能性を秘めた医学になり得ると、私は考えています。
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