「いつも、いつまでも、健康でいたい。」
ごく自然な欲求として、人は誰しもが健康でいたいと願うものです。
この欲求こそが、養生の源(みなもと)。
人が持つ、とても強力な「願い」と「祈り」です。
そもそも医療自体がこの欲求によって支えられてきました。
「健康でいたい」と願うこと、それがそのまま医療を進歩・発展させてきました。
そしてその願いが持つ力は、非常に濃く・深いもの。
歴史的に幾多の国家が興(おこ)り、滅びる中、医療は絶対に滅びなかった。
政治的意図から焚書坑儒(ふんしょこうじゅ:儒学の弾圧)を行った秦の始皇帝でさえ、
医学書は絶対に燃やしませんでした。
「健康でいたい」という欲求が人にとってどれだけ根深いものなのか。それを歴史が証明しています。
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ただ少し怖いと感じる部分もあるのです。
そもそも「健康」とはいったい何なのでしょうか。
WHO(世界保険機関)から言わせれば、
「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)
わかったような、わからないような・・・。
人が原始的に持つ強い欲求であるにも関わらず、
「健康」とは何かを明確に言える人は少ないのではないでしょうか。
だからこそ、人は惑わされる。
「健康」という言葉に人は振り回され、
「健康でいたい」という欲求に、思考を停止させてしまうことさえあります。
この強力な「願い」と「祈り」には、付け入るスキが沢山あるのです。
だから怖い。
強く願い、深く祈るのであれば、
まずは「健康とは何なのか」ということを、今一度よく考えなければなりません。
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人は願うことができます。祈ることもできる。そしてこれらを叶える力も持っています。
しかし、時に願いは妄想となり、祈りは畏れになります。
こうあるべきだ、こうした方が良い。そういう意見にしがみつきたくなる気持ちだってある。それが人というものでしょう。
だからこそ、理解していなければなりません。
目の前に答えがないからこそ願い、叶っていないからこそ祈るのだということを。
「健康とは何かを考え続けること。」
何かを食べる、何かをやる、そういうこと以前の問題として、
まずはそれこそが、養生の本質です。
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