〇漢方治療の実際 ~治療における漢方家の頭の中身~

2023年05月12日

漢方坂本コラム

漢方には気や血や陰や陽など、独自の尺度があります。

これらの尺度をもって患者さまの病状を測り、適切な処方を導いていくのが漢方治療です。と、そう説明されています。

しかし実際には、いくらこれらの尺度を用いて病態を把握しようとした所で、治せる薬を出せるわけではありません。

重要な尺度であることは確かなのですが、これらの尺度をチャート化し、いくら測ったところで、適切な薬方を導けるわけではないのです。

では治療が上手い先生方は、いったいどうやって漢方薬を選択しているのでしょうか。

治療にあたって漢方家が何を考え、どのようにして治療を行っているのか。

今回は漢方治療における治療者の頭の中身を、簡単に解説していきたいと思います。

ネットや本などに載っている漢方にまつわる情報では、

気血水や五臓など、さまざまな尺度をもって人体を把握すると書かれています。

漢方治療ではこれらの尺度でお体を測り、患者さまの症状に当てはめて薬方を選んでいるように感じられるかも知れません。

しかし、それらをいくら行った所で効かせる治療が出来るわけではありません。

むしろそれらの尺度に縛られ、治療が困惑する場合も少なくありません。

なぜならば、これらの尺度はそもそもが「非常に曖昧なもの」だからです。

気や血といったものが体の中に実際にあるわけではないのです。これらはあくまで、東洋医学を構成する「概念」にしか過ぎません。

気血水や陰陽などの概念は、概念であるが故に捉えようによっていくらでも解釈を変えることができます。

いくら大切な尺度といっても、客観的指標には絶対になり得ないものです。

漢方家が百人いれば、百通りの気・血・陰・陽があると言っても過言ではありません。

薬方を選択する上での重要概念ではあるものの、客観的にチャート化するという行為において用を成すものではありません。

では、現実的にどうやって人体を把握し、適切な薬方を選んでいるか。

漢方家は患者さまを診ながら、実は「思い出している」のです。

漢方家は治療に当たって、患者さまを診ながら頭の中で、思い出しています。

今まで治療してきた患者さま、そしてそのやり取りや治療の結果、そういう自らの治療経験を思い出しています。

その中で、おそらくこの患者さまはこういう状態だろう、こういう治療が必要だろうという判断を下しているのです。

ある薬方が効いた例や、効かなかった例を思い出し、その経験に裏付けられたポイントを患者さまのお体から探しているのです。

この感じは昔見た患者さまのあの状態に似ているな、と。

その時はこれが効いた、ただし今回もそれを行うべきなのかどうか、と。

この部分とこの部分とが違っている、ただし、この差異はおそらく重要ではない。

本質的にはこの病態に属しているのだろう、と。

例えば漢方家は、こういう思考で患者さまのお話を聴いています。

この時、気や血や水といった概念が頭の中にないわけではありません。

確かにこういった重要概念は、薬方選択において不可欠ではあります。

しかし、これらの概念は先生方の経験によっていくらでも解釈が変わってきます。

治療経験を通して、その先生独自の「気」の解釈が生まれてくるということです。

つまりこの「経験を思い出す」という行為を一切行わずに、単に一般的な気血水という解釈だけを用いて薬方を選択することはありません。

もしやったとしても効きません。漢方とは、そういう仕組みになっているものです。

そもそも漢方の習熟とは、これらの概念を自分なりに具現化していく行為です。

経験によっていくらでも解釈が変わります。そして臨床という経験を通せずして、それは行うことは出来ません。

漢方は良くも悪くも経験を根拠とする医学です。

先生方が得てきた経験、それを基準にしながら人を見立てるというやり方、それ以外のもので成り立つものではありません。

むかし私が初学のころ、大量の文献を読み漁って加味逍遙散の使い方を記事として書いたことがあります。

それを見たある先生に言われた一言を、私は今でも思い出すことができます。

加味逍遙散って、どんな人?、と。

最初、私はこの質問の意味が分かりませんでした。

加味逍遙散が適応する患者さまとはどういう人か。おっしゃる意味は分かるのですが、それはこの記事に書きました、と言い返したい所でした。

しかし、今なら分かります。この記事には、それが書かれていなかったのです。

加味逍遙散が適応するであろう情報は確かに書かれています。昔の人は肝気の乱れとか、気血の不足とかがある人に使えと言っていますと、そういう情報をたくさん記載していたからです。

しかし、この記事を読むことで実際にそういう人間を思い浮かべることが出来るかというと、それは出来ません。そういう「生きた内容」を思い浮かべることが出来る内容ではなかったからです。

いくら文字で記載しても概念は概念、机上の空論にしか過ぎない。

気や血や陰や陽という尺度は大切ではありますが、これらの尺度で患者さまを診ているわけではありません。漢方家は、以前経験したことのある生きた知識、現実的な着想を常に思い浮かべながら治療しているのです。

西洋医学は生じている症状をヒントにして、検査によって病を特定します。

そしてあくまで客観的データを優先します。医者自身がもつ主観的な判断も当然介入はしますが、自らの感覚よりも先に、誰が見てもそうだと言える情報、客観的な情報をあくまでベースにおくことで治療を進めていきます。

しかし東洋医学では本質的にそれを行うことができません。尺度はあっても全てが曖昧、客観的に表すことの出来るものではないからです。

ある意味、漢方は人という検査機器をもって人体を測る医学。

漢方家自身が固有かつ有機的な検査機器となり、人を見立て、治療していくのが漢方医学です。



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