【漢方処方解説】八味地黄丸(はちみじおうがん)・中編

2021年08月25日

漢方坂本コラム

八味地黄丸(はちみじおうがん)・中編

<目次>

八味地黄丸の現実:疑問を感じる使用法

■元気を出させる薬ではない
■骨の変形を元に戻す薬ではない
■生殖能力を回復する薬ではない

八味地黄丸の現実:現実的な使い方とその効能

■うっ血性心不全の初期に用いる
■糖尿病に用いる
■排尿障害に用いる

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「腎」の働きが衰えた高齢者に元気をつける薬、として紹介されている八味地黄丸。

「腎」は人間の「寿命」に深く関わる臓器で、「生殖能力」や「排尿」、「骨」の成長や代謝に関与していると言われています。そして八味地黄丸はこの腎の弱りである「腎虚」を改善する「補腎薬」です。

そのため本方は、「高齢者に使われることが多い薬で、体力があまりなく、疲労や倦怠感が激しく、寒がりで特に手足や腰から下が冷え、夜間にトイレへ行くことが多いような人によく用いられる」と、インターネットや本などで解説されています。

確かに人は、加齢によって活力や気力、生殖能力や下半身の機能、骨などが衰えてきます。この現象を東洋医学では「腎」という着想をもって解決しようとしました。分かりやいという意味では確かに有意義であり、さらに近年、骨の形成に腎臓が関わっているということが明らかになった点を見ても、想像とは言えこの着想の全てを否定することは出来ないと思います。

しかし、この着想には思弁的な要素が色濃く滲んでいます。純粋に頭の中だけで解釈しようとするあまり、実際の現実にはそぐわない部分が多く潜んでいるのです。

「腎」とはいったい何なのか。そして八味地黄丸とはいったい何を改善する薬なのか。そのことを理屈や概念だけでなく、現実的な経験として考えていかなければなりません。思想は時に考え方の骨幹をなす大切なものですが、それに拘泥こうでいしていては現実を見失います。そういう東洋医学の弱点が未だに解決されていない処方が、この八味地黄丸なのです。

ここからは漢方の先人たちや私自身の経験から、八味地黄丸の臨床の実際をご紹介していきたいと思います。

現行の八味地黄丸運用を見ていると、その使用に疑問を感じざるを得ないやり方が未だに多く行われています。しかし、本方には実際に効果を及ぼし得る症状や病態が当然あるのです。八味地黄丸とは如何なる薬方なのか。八味地黄丸運用の具体例を見ていくことで、本方の本質を紐解いていきたいと思います。

※上編はこちら→【漢方処方解説】八味地黄丸(はちみじおうがん)・上編

八味地黄丸の現実:疑問を感じる使用法

■元気を出させる薬ではない

何らかの症状に苦しんでいる方が、その症状から少しでも開放されれば、どのような方であれ少しづつ元気が出てきます。症状が改善されることで気持ちが前向きになり、元気が出てくる感覚を誰だって受けると思います。

八味地黄丸を飲むと、確かに元気が出てきたとおっしゃられる方はいます。しかし、八味地黄丸は単に「高齢者に元気を出させる薬」ではありません。老化現象と呼ばれる非常に広い意味をもった状態を、何でもかんでも回復してくれる薬ではないのです。

すなわち「高齢者で、元気がないから八味地黄丸」という使い方は全く通用しません。総じて漢方では「元気をつける薬」と称されているものが沢山あります。しかしこれらの多くは非常に曖昧な解釈です。元気をつけるというならば、元気というものをちゃんと定義・分類してからそう提示するべきです。

八味地黄丸は確かに老化現象の一側面を回復する薬ではあります。そのため元気が出てきたとおっしゃられる方も当然います。しかしどのような元気の無さに使うのか、その見極めは少々むずかしいところがあります(詳しくは後述します)。単に元気がないので疲労を回復したい、というのであれば補中益気湯の方が良いと思います。

ときに八味地黄丸に内包されている地黄は胃に負担をかけます。そのため使用に際しては、それほど使い勝手の良い薬というわけでもないのです。

■骨の変形を元に戻す薬ではない

声を大にして言いたいのですが、八味地黄丸・もしくはその類方である牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)を脊柱管狭窄症せきちゅうかんきょうさくしょう変形性膝関節症へんけいせいしつかんせつしょうといった「骨」や「軟骨」に変形を伴う疾患に用いたとしても全く効きません。骨の変形は、補腎薬では回復しないのです。

「腎」にまつわる東洋医学理論の中で、大きな勘違いを生んでしまうものの一つが「腎は骨を主る」という概念です。これ自体は古典に載る基礎概念で、それを否定するつもりは全くありません。しかし、骨の変形と伴う疾患だからという理由でいくら八味地黄丸を使ったとしても、そこから生じる痛みや痺れに対してはほとんど効果を発揮しないのです。

変形した骨を、飲むことでみるみる回復させる薬などありません。たとえ腎が骨を主どっていたとしても、「骨は補腎すれば治る」というものではないのです。古典でも骨が変形したら腎を補えなどとは一言も書いてありません。この無意味な運用は、「腎は骨を主る」という格言から、「骨の変形」=「腎虚」と短絡的につなげてしまった功罪です。

八味地黄丸は確かに腰痛に効くときがあります。しかし本方が適応する腰痛は、骨の変形によって生じるものではなく、あくまで他の病態に起因しているものに効果を発揮します。

腰部脊柱管狭窄症は老化現象の一旦として発生しやすい病ですが、そうであっても本方が適応する病態とはかけ離れています。また変形性膝関節症などにも使われることが多いようですが、これも同じです。明確な効果が出ないはずなのになぜ使われているのか、私には不思議でなりません。

骨や軟骨の変形を伴う病態であれば、他の手法を選択するべきです。例えば変形性膝関節症には「湿病」と呼ばれる病態の理解が必要で、脊柱菅狭窄症にはまた別のアプローチの仕方が必要です。

■生殖能力を回復する薬ではない

近年、男性不妊やED(勃起不全・勃起障害)といった病が注目を集めているように、男性の生殖能力を温存し回復させる治療が東洋医学においても求められるようになりました。そこで着目された概念が「腎」です。先述のように生殖能力を主るのが「腎」だからです。

そしてここで大いなる勘違いが生まれます。生殖能力が低いという理由だけで、八味地黄丸をいくら使ったとしても効果はありません。にもかかわらず、男性不妊やEDに対して八味地黄丸が頻用されているという現実があります。八味地黄丸はそんなに簡単な薬ではないのです。

はっきりと言えば、生殖機能を高める試みは、東洋医学においてもいまだ未知の領域です。その中で補腎という概念が先行するあまり、補腎薬である本方や鹿茸ろくじょう海馬かいば海狗鞭かいくべんといった動物性生薬でなんとかしようとする、やや盲目的な手法が試みられています。また桂枝茯苓丸けいしぶくりょうがんなどの駆瘀血剤を無作為に用いるやり方も行われているようですが、それも全く同じことだと思います。今後の研究が期待されるところです。

八味地黄丸の現実:現実的な使い方とその効能

■うっ血性心不全の初期に用いる

八味地黄丸はまず「うっ血性心不全」のごく初期の状態に効果を発揮します。

「うっ血性心不全」とは心臓のポンプ機能が弱ることで血流が停滞し、心臓に直接つながる肺や、心臓から最も遠い下半身などにうっ血からくる浮腫を発生させる病です。そして進行するとこれらの浮腫が全身に波及していきます。腹部に水が溜まってお腹が腫れたり、心臓性喘息といってゼコゼコといった喘鳴を起こすようになります。

八味地黄丸が適応する病態はこの段階ではありません。これよりもずっと初期に当たるものです。すなわち、足が重いなとか、足に力が入りにくいなと感じ始めている段階です。また坂道や階段を登ると、最近息苦しいなと感じ始めていることも一つの目標になります。

この段階では通常西洋医学的な検査を行ったとしても心機能の弱りはそれほど顕著に表れません。八味地黄丸はそのような未だ心機能に明らかな弱りがあるわけではないという段階において運用する場があります

足腰が弱る・最近息切れしやすいというのは、加齢とともに誰しもが感じやすい症状です。年齢を経るにつれて、若いころに比べて体力が無くなったなぁと感じられるあの感じです。うっ血性心不全と聞くと大病のように感じられますが、この病は決してそのようなものではありません。年齢とともに誰しもが感じられる、比較的日常にありふれた症状です。

うっ血性心不全は、いうなれば一種の老化現象によって起こります。産まれてから死ぬまで休むことなく働く心臓は、加齢と伴にどうしても弱りを見せてきます。現代においてはもし心臓に致命的な障害があったとしても、手術などの処置によって回復することが可能です。しかし未だ西洋医学が発達していなかった時代においてはそういうわけにはいきませんでした。

心機能の弱りが顕在化してしまうとそれこそ致命的な状態になってしまうため、より早く、より適切に心機能の弱りを見極め、致命的な状態を未然に防ぐという手法が必要でした。そうやって培われた手法の一旦が八味地黄丸の運用です。つまり八味地黄丸は老化した状態をもとに戻す処方ではなく、あくまで老化を未然に防ぐという場で用いるべき処方です。

■糖尿病に用いる

次に八味地黄丸が効果を発揮する病は「糖尿病」です。

糖尿病は身体のエネルギー源である血中の糖分を組織に到達させるインスリンの低下によって、血液中の血糖値が高まってしまう病です。そして血管中に過剰に高まった糖分が腎臓にて尿として多量に排泄されるようになります。するとお小水が多量に出ることによって血管中に脱水が起こり、強いのどの乾きを生じて水をたくさん飲むようになります。

急激に糖尿病が発生している時にはこのような多尿・口渇が起こります。八味地黄丸はこのような場、もしくはこの状態に陥らせないようにするという場において、効果を発揮することが確かにあります

糖尿病では血中の糖が過剰になる分、組織に糖が不足していきます。そのため疲労感を感じやすくなり、さらに血液が濃くなることで血流障害や免疫力の低下(化膿しやすい状態)が生じてきます。

八味地黄丸はおそらくこの状態を緩和させる薬能を所持しています。すなわち、血液の濃さ(粘稠さ)を緩和し、糖が枯渇する組織に潤いを付ける働きです。つまり、血糖値を下げるというよりは、糖尿病による合併症を予防する働きを主として発現しているものと考えられます。そのためいくら糖尿病に効くといっても、食事や運動による養生は絶対条件です。

歴史的に非常に古くから着目されている薬能で、漢武帝の消渇しょうかち(糖尿病)を治したという逸話があるほどです。私見ではこの薬能にこそ、八味地黄丸の本質的な意図が隠されているのではないかと感じています。

■排尿障害に用いる

そして八味地黄丸は排尿障害に対しても効果を発揮します。

ここでいう排尿障害とは、菌などによっておこる感染性のものではありません。かといって前立腺肥大のように明らかな物理的圧迫によって起こるものとも違います。

より日常的に起こり得る排尿障害で、特に老人性のものと呼ばれる病態です。つまり加齢によってどうしても弱りを見せる膀胱の筋肉活動やそこに指令を送る仙骨神経叢せんこつしんけいごうの不具合によって起こる、尿の出にくさ、尿の止めにくさ、尿の我慢できなさなどに対して効果を発揮することがあります。

ただし、老人性の排尿障害だからといって、即座に八味地黄丸とすることは短絡的に過ぎます。本方が適応する排尿障害は、ある特徴的な「老化の流れ」を示されている方に適応するという印象があります。

つまり先に述べたうっ血性心不全のように、心臓や腎臓などを含めた、加齢による循環器障害とも言えるような状態です。したがって階段の上り下りで息切れしやすいとか、年とともに足首に靴下の痕がくっきりとつくようになったとか、そういうより身体の総合的な状態を目標として使用しなければ効果は発揮されません。

さて、中編では八味地黄丸によって実際に効果のあるものと、そうでないものとを、実際の臨床経験に基づいて解説してきました。

「高齢者の元気をつける薬」と称される八味地黄丸ですが、そのような文言では八味地黄丸をちゃんと説明しているとは言えません。むしろ勘違いを生んでしまいかねない表現であるということが、今回の解説を通して感じてもらえたのではないでしょうか。

そして、我々漢方家はここからが思考の本題に入ります。

八味地黄丸が適応する「腎気」とは何か、ということです。

そのことに対する一つの見解を、下編にて述べてみたいと思います。漢方家がいかに蒙昧もうまいから不昧ふまいへと理解を進めていくのか、その一例を示していこうと思います。



下編へと続く・・・

■病名別解説:「心臓病・動悸・息切れ・胸痛・不整脈
■病名別解説:「頻尿・尿漏れ・排尿困難(過活動膀胱・前立腺肥大など)
■病名別解説:「腰痛・足の痛み・しびれ(脊柱管狭窄症・腰部椎間板ヘルニア・ 坐骨神経痛など)

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