お会いすることの大切さ

2020年05月09日

漢方坂本コラム

以前、「漢方のデータ化」というものが盛んに行われていた時期があった。

富山医科薬科大学だったかな。間違えていたらごめなんなさい。

「気虚」や「血虚」など、漢方特有の尺度をデータ化するという試みだったと記憶している。

データ化することの目的は、東洋医学的な病態解析に客観性を持たせるためだ。

100人の治療者がいたら、100人が同じように病態を解析できるようになる。

素晴らしい試みだったが、今はもうあまり言われなくなった。

データ化の試みは、あの後どうなってしまったんだろう。最近ふと思い出しました。

白状すると、

漢方家は、東洋医学理論を駆使して人体を把握しているわけでは決してない。

そういう理論や理屈だけでは人は把握できない。

もっと感覚的なものを拠り所にして、人を把握しています。

「この方のこの感じ、前にご相談を受けたあの方に似ている」とか

「昔、〇〇湯で治ったあの人、あの人の不安定さと方向性が一緒っぽい」とか

少なからずそういう感覚的なものを通して病を把握し、治療しています。

なんて曖昧なやり方なんだと、驚かれそうだけれども。

ただしこの感覚は、経験を経る毎に、ものすごい武器になります。

まず治療までの道筋に無駄がなくなる。つまり効き目が早い。

そして何よりも再現性が高まる。あーだこーだ言う前に、バチンと適応処方を導き出せるようになります。

名医と呼ばれる先生方には、このような感覚の鋭さが必ず備わっています。

そしてこの感覚の大切さもまた、良く知っておられます。

ある先生曰く、「患者さんを見て、処方を出すのに5分迷ったら、もう効かない」

ある先生曰く、「話だけ聞いても分からないよ。会えば一発だけどね」

理論・理屈を言うことを、極端に嫌う先生さえいらっしゃる。

これらは皆、感覚的に把握するということが如何に大切かを物語っています。

漢方のデータ化。

もしこの感覚さえもデータ化できるようになったら。

そしたらすごいことだと、思っていたのだけれども・・・。

人はデータ化できない。

だからこそ、お会いすることが大切なのです。

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