シンプルお萩

2022年01月30日

漢方坂本コラム

以前コラムで書かせていただいたように、

わたくし、おはぎという猫を飼っています。

元気にしています。ちょっと太りました。

冬毛かも知れないけれど、よりもち感が出てきました。

相変わらずの食いしん坊で、お腹が減るとわざと怒られることをします。

ドライフラワーを噛み壊すのが得意技です。それくらいなら、はっきり言って知らんぷりです。

でも最近はコンセントを噛むようになりました。

さすがに洒落にならんということで、ご飯をちょっとだけ、あげています。

こうやって、お萩は自分の意思を貫く術を身に着けていくんだなぁと。

猫ながらに知恵を絞っているんだなぁと。困り半分、少々関心しております。

ところで猫を見ていて思うのは、

なんとシンプルな生き物なのだろう、ということです。

行動そのもので生命を謳歌しているというか、

頭で色々考えて行動するのではなく、あくまで体が自然にそれを行っているように思えるのです。

まぁ、実際にそうなんだと思いますけれども。頭で計算とか、できないわけですし。

でも、ああするべきとか、こうするべきとか、そういう信念が無いというのは、

それはそれで、とてもうらやましい、

生命活動として正しい、とさえ私は思ってしまうのです。

武道とかでよくあることなのですが、

頭で考えるという行為をいかに無くすか、

体が本質的に備えている反応をいかに引き出すか、

そういうことが非常に大切なのだと。それを「理」と言ったりするものです。

体はもともと生きる術をすでに刻み付けていて、

そのための活動を自然に行っていて、

だからその働きをちゃんと継続できてさえいれば、最も長く、寿命を真っ当できるということ。

逆に、そこから不自然な要素が入り込めば入り込むほど、体のバランスを崩していく。

断捨離とか、ミニマリストとか、そういう話ではなく、

余計なものとは、まずは思考。

ああしなければいけない、こうしなければいけない、

そういう欲や、信念や、志や、夢でさえ、

あくまで生物という立場で見れば、あまり必要ないのかも知れません。

「考えない・考えていない」ということは

純粋に生きるということだけに、すべての感覚が集中している状態なのではないかと。

そんなこんなで、お萩をみていると、

この子はいいなぁと。

生命は、備わっている時点ですでに完全、ということです。

あ、でも違うわ。

お萩は食欲のかたまりだ。

そしてまた、がりがりがりがり、がりがりがりがり、

今もドライフラワーやらコンセントやらを噛もうとしているわけです。

でもまあいいか。元気な証拠。

コード噛み防止テープを巻いてきます。



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