義務教育と、漢方家が持つべき素質。

2021年03月01日

漢方坂本コラム

突然ですが「義務教育」の話。

小学校・中学校の義務教育で習うこと。

その知識の多くが大人になってからほとんど使わない・意味がないと、

そう思っていらっしゃる方、多いと思います。

本当にそうでしょうか。

いや、意味があると胸を張って言いたいわけではないのです。

ただ以前、TVか何かの討論番組で、

「古文・漢文」は必修科目じゃなくても良いのではと、

そんなことが議論されていたことがありました。

興味深く見ていたら、

結局「必要ないかも」という流れになっちゃった。

ちょっと腑に落ちなかった私・・・。

そこでこの場を借りて、私自身の考えを徒然と述べます。そんな今回のコラム、お時間がある時にでも。

というのもこの話、

その根っこにあるものは、漢方に関わる話だと感じているのです。

名医と呼ばれる漢方家であれば、

皆一様にその大切さを、その意味を理解しているように思えます。

それは「古文・漢文」を知らないと、昔の漢方の本が読めないからとかそういうことではなくて、

臨床において最も必要な知識とは何か、

ひいては人生において最も役に立つ知識とは何か、

そういうことを理解しているかどうかの問題だと、私は感じるのです。

人生において最も大切な知識とは何か。

それは「選択」するための知識。

私はそう解釈しています。

人生は常に選択の連続で、

その積み重ねで人生が変わる。

大なり小なりの選択肢を無数に選び続けるというのが人生で、

極論を言えば、良い人生とは良い選択が出来た人生だと、言えるのではないでしょうか。

だとするならば、

より良い選択を行うための知識こそが、人生においては必要です。

良い選択を行うための能力。それこそが人生に必ず求められ、かつ早くから身につけるべき能力だと私は思うのです。

では、その力とはいったいどうやって身につくのでしょうか。

例えば仕事を決める時、

後悔の無い仕事を選択するためには、多くの知識が必要になります。

数学や英語なんかは実用的です。時には政治・経済の知識も必要になるでしょう。

しかし、もしこれらの知識が沢山あったとしても、

人はそれだけで選択を行うことはできません。

そういう実用的な知識だけでは、絶対に選択することができない。

なぜならば人には「感性」があるからです。

物事を選択する際には、必ず「感性」がつきまといます。

実用的な知識だけで選択することは、実は非常に難しい。

何となくこれは嫌だな、

そういう感覚が、多かれ少なかれ必ず選択に影響を与えるからです。

どんなに頭が良く、知識に長けていたとしても、知識だけで行動することが人にはできません。

人はまず、感覚で物事を判断します。感覚の方が、思考よりも早いからです。

知識の多い方は、受けた感覚を多角的に判断したり、正当化する能力は高い。

しかし、必ず思考の前に感覚がやってくる。

だから知識だけで、物事を選択することはできません。

人の意見を否定する時は、まず否定したいという感性が、必ずその土台にあるはずです。

思考の方向性を決めるのが感性。知識の土台として、感性は必ず、関与してしまうものなのです。

選択は知識だけではできません。

もっと有機的な、もっと理屈では言えないような、

そういう「感性」としか言えないようなものが、多分に関与することで選択は行われています。

では、人が選択を行う時に、持たなければいけない能力とはいったい何か。

それは感性を磨くこと。

さらに言えば、

その実態は多分、「美意識」です。

これ何かいいな、これ何か嫌だな。

その感性を左右するものはおそらく、人がそれぞれもつ「美しさ」の尺度です。

そして、この尺度は育ちます。

始めは稚拙な美意識も、美しいものに触れて感動し、時には嫌だなと思うものに眉をひそめて、

そうやって繰り返し「美」の事線に触れ続けて、

美意識は育ち、はぐくまれていくものです。

この世の中には沢山の「美」があります。

いろいろな場所に、さまざまな美しさがあります。

そしていろいろな時代にも「美」がある。

たくさんの「美」が折り重なることで、私達が生きている今があります。

我が国には他に類を見ない特別な「美」があります。

もしかしたら、日本人だからこそ感じやすい「美」なのかも知れません。

そういう学問に、早くから触れていることは、意味が無いことなのでしょうか。

始めはただの漢字の羅列が、

ある時から人の心や自然の情景に想えてきたら、

それは意味がないことなのでしょうか。

「美」を感じる力は、本当に必要のないものなのでしょうか。

確かに義務教育には、社会生活において無駄と思えるものがあります。

しかし、そう思えるからこそもう一度考えてみて欲しい。

自分の「美意識」に、もう一度尋ねてみて欲しいと思います。

歴代の漢方家。

彼らは皆一様に「美」を解釈できる人たちでした。

なぜなら「古典を読む」とはそういうことだから。

そして「人を観る」こともまた、そういうことだからです。

人生で最も大切な能力とは。

あなたはどんな能力だと思いますか?

【この記事の著者】店主:坂本壮一郎のプロフィールはこちら