漢方とアート

漢方とアート 10 ~デザインの危機~

漢方薬は「道具」です。人体に影響を与え、治癒へと導くための道具です。道具である以上は、必ずデザインされています。創作者の意図が、その構成に必ず介入しています。中国・漢代。未だ物資が豊かではなく、かつ薬が希少であった時代。その中で合理的・機能的な美しさを持つ薬を作り上げたのが、『傷寒論』の著者、聖医・張仲景です。

漢方とアート 10 ~生きた色~

漢方家は人を観ます。人を観て、症状を把握します。そして、その症状を消し去る方剤を出すことで、病を改善へと導いていくわけですが、その時、私たちが把握する症状は、そもそも非常に曖昧で相対的なものです。患者さまが訴える症状は、患者さまの人柄やその時々の状況、さらに我々受け手の状況によって、常に不安定に揺れ動いているものです。

漢方とアート 9 ~拒絶と気品~

修行時代、私は多くの先生方にお会いしました。そして先生方の治験例もまた、たくさん拝見してきました。今までどこに行っても治らなかった患者さま。その病を思いもよらない処方で、鮮やかに治療する現実を目の当たりにしてきたのです。驚くような結果が現れる時、そこには「自分だけで考えた何か」が、必ず介在します。

漢方とアート 8 ~根拠の意味~

想像力は、現実に対する戦いにおける唯一の武器である。ルイス・キャロルが残したこの言葉は、おそらく真理を突く言葉の一つでしょう。医学であろうと文学であろうと、人が織りなしたものには必ず想像性が介入します。想像性を確かなものにするために、科学というエビデンスがあり、また経験というエビデンスがある。

漢方とアート 7 〜ファッションとスタイル〜

漢方の世界では、正解は一つではない。正しさは常に複数個ある。その中で、何を選択するかはその人の経験と感覚とに委ねられている。だから、感覚を磨くことがとても大切になる。今までの歴史上の名医には、必ず「型」があった。尾台榕堂(おだいようどう)には尾台の、浅田宗伯(あさだそうはく)には浅田の「型」があった。

漢方とアート 6 〜薔薇を描く〜

融通無碍(ゆうずうむげ)。漢方の世界では、治療に長けた先生方の処方運用をしばしばこう表現します。一つの見方・考え方にとらわれるのではなく、自由自在にものを見、考え方を変える…。どんな病であっても個人差があり、その差を見決めるためには疾患というカテゴリーから時に思考を外さなければなりません。

漢方とアート 5 〜文化の育ち方〜

自分たちがやっていることの良さを、外に向かってアピールすることが普通なのに、日本人はそれをわざとしない。日本人の芸術や芸能といった文化の育み方には、このような面白い特徴があるという。そして漢方の書籍にも、こんな排他的文化が滲んでいると私は思っている。

漢方とアート 4 〜理解の先〜

心から「なるほど」と思えるものは、理解ではありません。実感です。その実感を積み重ねることこそが、漢方の本当の理解につながるのだと思います。まず実感すること。理解や知識はその後でいい。自分を取り巻く全てのものから得られる確かな実感こそが、漢方の本質を理解するために必要なものだと、私は思います。

漢方とアート 3 〜普遍性〜

仮に芸術を「表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。」と定義するならば、私にとって漢方とは芸術そのものです。一つ一つの漢方処方(表現物)は、それを学び理解するたびに、私たち漢方家に感動を与えます。

漢方とアート 2 〜違う絵〜

西洋医学では診断方針や治療方針が正確に定まっていなければなりません。これがすなわち各疾患の「ガイドライン」です。一方で、東洋医医学の場合。○○湯でも△△湯でも、同じように病が改善していくことがあるのです。つまり解答が違ったとしても、両者ともに正解になり得る。「漢方は科学(サイエンス)というよりも芸術(アート)に近い」これが東洋医学の特徴であることは確かです。