漢方のメモ書き

暮れとピカソとカルテ整理

身になる・腑に落ちる。漢方治療においてはこの感覚が、私はとても大切だと思っています。見て、聞いて、話して、試し、理解する。そういう「経験」を積み重ねる中で、なるほどなと、自身が深く、理解することが「実感」です。実感の無い理解は、ただ知っているだけに過ぎず、その知識は往々として、あまり臨床の役にはたちません。

知識を欲する全ての方へ

医学の中でも正しさを求めることが特に難しい漢方の世界。なるべく率直に、ありのままに。私が知り得た情報や漢方の世界観をそのまま表現した辞書。そうやって作ったのが、このHPです。患者さまや学生さん、医療関係者の方々など、漢方にご興味のある全ての方に、見てもらえる情報源を作るというのが、このHPの本来の目的です。

何百年も継承され続けた医学である所以

数多ある漢方処方、そのうち3つ以上の生薬で構成されたものの中で、最も基本となる処方を3つ挙げろと言われれば、何か。桂枝湯と四逆湯、そして麻黄湯。桂枝湯と四逆湯が、一本の軸を作る。そして麻黄湯が分岐を作る。漢方処方には例えばこういう繋がりがあって、幹から派生する枝のように、そこから無限の広がりを作り上げていきます。

処方の先に見えるもの

どんな患者さまでも、たとえ本人が病と闘う気持ちを失っていたとしても、治ろうとしていない体などありません。薬は、その治ろうとしている体が、欲しているものを、救わんと欲することを、ただ形にするだけ。漢方家にとっての薬は、患者さまに伝えるべき言葉、そのものです。

悟りの実験

新しい知識を入れる一方で、本当に大切な知識を見失うことがあります。患者さまから多くの情報を得れば得るほど、情報の波にのまれてしまうことがあります。本当に大切な「当たり前のこと」を、患者さまと共にで見つけていくことが、上手な漢方治療を導く最大のコツだと、私は感じます。

真冬のひとり言

どんなに優れた漢方家でも、最初の処方だけで改善するとは思っていません。もちろん改善するための最適解たる処方を出すのですが、名医であればあるほど、その薬が効かなかった時のことを、常に考え続けています。そして二診目の時点で、その処方を変えるのか、変えないのか。治療は道のりである、ということです。

人と腹と

漢方では古くから「腹」の重要性に着目し続けてきました。『傷寒論(しょうかんろん)』に記載されている「腹」という文字の多さや、江戸時代に隆盛を極めた腹診、稲葉文礼(いなばぶんれい)の名著『腹証奇覧(ふくしょうきらん)』の存在。漢方において「腹」とは見るべき体の要であり、生命活動を支える土台として、考えられてきました。

混乱させる医学

曖昧なものを、曖昧なまま治療することの出来る医学。あたかもそう見える漢方ですが、実際には、決してそんなことはありません。東洋医学を構成する言葉は、基本的にすべて曖昧です。その曖昧さを、それで良しとしない姿勢が必要です。その努力の積み重ねによって、今日の東洋医学があるといっても過言ではありません。

大塚敬節先生の愛

大塚敬節(おおつかけいせつ)先生。現在の漢方流布の礎(いしずえ)は、先生によって築かれたといっても過言ではありません。当時医療として未成熟だった漢方治療において、その基礎的理論を示さたことも功績の一つと言えるでしょう。「方証相対(ほうしょうそうたい)」と呼ばれる基礎概念。患者さまには各々適応する処方(方)があり、それを体質や症状(証)から判断するという概念です。

「漢方と精神症状」

自律神経失調症やパニック障害など、精神的な不調を治療する経験を重ねていく中で、少しお話しておいた方が良いかなと思う部分があります。様々な媒体で「漢方は心の症状にも対応できる」と声高々に謳われています。だからこそ、実際のことを、ここでお話したいと思うのです。