心臓病・動悸・息切れ・胸痛・不整脈について
心臓付近に起こる症状は不安に感じるものです。動悸やそれに伴う息切れや息苦しさ、胸痛などはその代表です。また脈が速くなったり(頻脈)、遅くなったり(徐脈)、飛んだり(期外収縮)といった拍動リズムの変調(不整脈)を感じる方もいます。
これらの症状の背景には、心臓の疾患(虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞)・心臓弁膜症・心筋症など)や甲状腺の機能異常などが隠れていることがありますので、一度は病院にて検査をするべきです。その後の治療は当然西洋医学的治療が主として行われていきますが、そのとき病の状態や程度によっては漢方治療の併用が有意義であることはあまり知られていません。
心臓の病と漢方
循環器系、特に心臓にまつわる各疾患は、放っておけば致命的になるものも少なくありません。その中で漢方薬は致命的な状態に向かわないようにするための治療に大きく貢献します。
●致命的な状態まで行かせない治療
西洋医学が進歩する以前、つまり漢方が医療の中心であった時代は、手術などの緊急処置が必要となるような状況では現在ほどの治療成績を残すことは不可能でした。したがって、いかにそのような状態にまで進行させないか、という考え方が治療の基本でした。その結果、心臓の弱りを早めに感知し、致命的な状態にまで行かないようにするための治療経験が多く積み重ねられます。このようにして培われた循環器系疾患の悪化予防と、症状の改善にまつわる手法は、現在においてもなお見るべきものがあります。
ここでは循環器の各疾患に対して、どのような場合に漢方薬が有意義なのかを具体的にご紹介していきます。動悸・息切れ・胸痛・不整脈などを感じ、自分の心臓に疑問を感じている方は、是非とも参考にして頂ければ幸いです。
心臓病・動悸・息切れ・胸痛・不整脈 漢方治療の実際
<目次>
心臓神経症・不整脈
心不全・うっ血性心不全
狭心症・心筋梗塞(虚血性心疾患)
■参考コラム
まずは参考にしていただきたいコラムをご紹介いたします。本項の解説と合わせてお読み頂くと、漢方治療がさらにイメージしやすくなると思います。
コラム|◆漢方治療概略:「動悸」
動悸に使われる漢方薬にはたくさんの種類があります。ドラッグストアなどで選ぼうを思っても、「どれを試したら良いのか分からない」という声をしばしば拝聴します。そこで、そのような方々に参考にしていただけるよう、漢方治療の概略(細部を省いたおおよそのあらまし)を解説していきたいと思います。
→◆漢方治療概略:「動悸」・前編
→◆漢方治療概略:「動悸」・後編
心臓神経症・不整脈
まず第一にお伝えしたいことは、動悸や胸痛・息切れや不整脈があったとしても、それが即座に致命的な病であるとは限らないということです。病院にて診察してもらうことは必須です。しかし検査しても心臓に明らかな病変がなく、甲状腺などの機能にも障害がなく、問題は見つからないと言われることも多いものです。
心臓神経症とは
それでもこのような胸部の症状が発生することはあります。突発的に動悸や胸痛が起こり、急に呼吸が苦しくなって心臓が止まるのではないかという不安感や恐怖感が起こり、しばらくすると落ち着くが、ことあるごとに起こって、それを何度も繰り返す。ひどい場合は目の前が暗くなるようなめまい感に襲われ、冷や汗が出て意識が朦朧となり、失神しそうになることもあります。心臓に何ら問題もないのに関わらず、このような症状が出てしまう疾患を心臓神経症と呼びます。
通常、動悸や不整脈を感じながら、何もしていないのに血の気が引いて、急に意識がなくなる、つまり失神する、という症状は致命的な不整脈(心室頻拍や心室細動など)で起こることもありますので、そういう意味では恐怖感を伴うことは当然です。ただし心臓神経症はこれとは違い、心臓の問題というよりは体全体の、自律神経の過剰な緊張状態によって起こるものです。
心臓神経症と漢方
こういった心臓神経症ならば心臓が止まることはありません。そして治すことも可能です。心臓神経症は器質的に病原を見つけるこののできない病ですので、西洋医学的治療ではなかなか改善が難しいケースが多いと思います。一方で漢方薬は自律神経の乱れを調えることに関しては秀でたものがあります。特に心臓神経症に対しては「上衝」や「奔豚」と呼ばれる症候に対する治療方法が用いられ、しばしば即効性の高い効果を上げることができます。
不整脈と漢方
また不整脈においては、緊急処置を必要とするものは西洋医学的治療を優先しますが、それ以外のもの(心室性期外収縮・発作性上室性頻拍など)ではやはり漢方治療をお勧めします。心臓の拍動やリズムは自律神経によって調節されていますので、心臓神経症に近い手法をもって漢方治療を図ることが可能です。また心房細動は不整脈のために命に関わるということはありませんが、放置すると心房内に血栓ができやすくなり、脳梗塞などの塞栓症や心不全のリスクが高まります。このような場合でも漢方薬の併用が効果的で、時に虚血性心疾患に対する治療法を応用することがあります。
■参考症例
まずは「動悸・息切れ・呼吸苦」に対する漢方治療の実例をご紹介いたします。以下の症例は当薬局にて実際に経験させて頂いたものです。本項の解説と合わせてお読み頂くと、漢方治療がさらにイメージしやすくなると思います。
症例|不安感を伴う動悸・心療内科にて治療中の62歳男性
のぼせと同時にバクバクと心臓が鼓動し、不安で居ても立ってもいられなくなるという患者さま。高血圧・火照り・耳鳴り・不眠など、様々な自律神経症状に苦しまれていました。内科にて改善されず、心療内科を紹介されて抗不安薬や抗うつ薬を処方されるも改善していません。心の病と体の病、両者を備える病態に対して漢方治療にてどのようにアプローチしていくのか、その具体例をご紹介いたします。
症例|突然起こる動悸・運転中の恐怖心にお悩みの36歳男性
運転中、何もないのに突然恐怖心が起こり、心臓が飛び出るのではないかと思うほどの動悸に苦しまれていた患者さま。内向きな性格のためか気疲れしやすい性格で、日常的にも緊張状態が続いていました。性格と身体、漢方治療において本当に治さなければいけないもの。強い動悸を伴うパニック障害・不安障害に対する漢方治療の具体例をご紹介いたします。
症例|15歳の女の子・過呼吸から派生した突然のアクシデント
中学生から高校生への過渡期、過呼吸と立ちくらみに悩まれていました。漢方治療を行うことで症状が改善していく中、想像もしなかったアクシデントが起こります。臨機応変の対応が求められる漢方治療、その具体例を思い出深い症例よりご紹介いたします。
症例|突然の呼吸苦・強い不安を伴う動悸と息苦しさ
39歳男性、一カ月前からの動悸と息苦しさが徐々に悪化し、突然呼吸が出来なくなり救急搬送されました。病院の検査では問題なし。過換気症候群の診断を受けてからも、いつくるか分からない発作に不安を募らせていました。このような病態に対して漢方ではどのように対応してくのか。そして西洋医学と東洋医学との違いは何か。具体的な症例を示しながら解説していきます。
【使用されやすい漢方処方】
①茯苓甘草湯(ぶくりょうかんぞうとう)
苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)
②桂枝加桂湯(けいしかけいとう)
桂枝去芍薬湯(けいしきょしゃくやくとう)
③柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)
④桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)
⑤奔豚湯(ほんとんとう)
⑥炙甘草湯(しゃかんぞうとう)
※薬局製剤以外の処方も含む
①茯苓甘草湯(傷寒論)苓桂朮甘湯(傷寒論)
胸に鼓動を感じる症候を漢方では「悸」という。動悸は通常胸で感じるものだが、悸には心中・心下・臍下(へそした)の別がある。自律神経が緊張・興奮状態に陥ると、下から胸に突き上げてくるような拍動を感じることがある。これを古人は「気上衝」と表現した。そして動悸の打ちかたを細かく尋ねると、胸(心中)ばかりでなく、胃部(心下)であったり、下腹部(臍下)であったりすることは実際にある。一言に動悸といっても漢方ではこのように詳しく症候を弁別し、病態の違いを明らかにしてきた。
心臓神経症における動悸は「心下悸」に属するものが多い。茯苓甘草湯は適応処方の代表である。動悸と同時に手足がサーっと冷える(厥冷)という症状が目標。突発的に動悸や胸の圧迫感を感じて息苦しく、血の気が引いて手が冷たくなる者。上半身の血行循環が悪くなり、めまい感や吐き気、手や指のしびれや震えを感じる方もいる。心臓に器質的な問題のない心臓神経症やパニック障害において運用する場が多い。ある種の自律神経の過緊張状態に適合し、緊張による胸部の塞がりを開く薬能を持つ。本方を基にした処方に瀉脾湯(しゃひとう)がある。瀉脾湯に関しては浅田の口訣が正鵠を射ていて、現代でも充分に運用の場を想起させることができる。
茯苓甘草湯の生姜を白朮に変えれば苓桂朮甘湯である。この処方も「心下」にかかる動悸に運用する。茯苓甘草湯に比べて身体に蓄積した水をさばく薬能が強まるため、心臓神経症や不整脈の他にも、うっ血性心不全など浮腫を呈する心疾患に応用する場がある。茯苓甘草湯は厥が主でありその適応は急に属す。苓桂朮甘湯は痰飲が主でありその適応は緩に属す。適応する病態には明らかな差があり、一味の違いといえども疎かにできない。
また苓桂朮甘湯の白朮を大棗に変えたものを苓桂甘棗湯という。この処方も動悸、特に「奔豚」と言われる臍下より上に突きあげてくる動悸に適応する。しかし心臓神経症や不整脈において運用した経験をあまり見ない。浅田宗伯が澼飲(へきいん)に特効ありとする解説をヒントに、むしろ胆石疝痛などの腹部の痛みに用いる機会がある。
茯苓甘草湯:「構成」
桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):生姜(しょうきょう):茯苓(ぶくりょう):
苓桂朮甘湯:「構成」
桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):白朮(びゃくじゅつ):茯苓(ぶくりょう):
②桂枝加桂湯(傷寒論)桂枝去芍薬湯(傷寒論)
動悸に対しては桂枝・甘草の薬対を持った処方(桂枝甘草湯類)が多く用いられる。これらの処方もその一類で「気上衝」を納める薬能を有する。
桂枝甘草湯類には前述の茯苓甘草湯のように茯苓と組み合わされるものと、本方のように桂枝湯類に属する者とがある。茯苓は腎気を納めて小便を促す利水剤にて、気上衝とともに「水飲」を張り出させる者によい。したがってうっ血性心不全や喘息など、浮腫を生じる疾患に運用の場が広がる。一方で桂枝湯類に属するものは「虚」に適応する。張り出す水がなく、上衝する気を覆う水がないため、陽気が上に舞う。桂枝加桂湯は「奔豚(ほんとん)」と呼ばれる下腹部から強く突き上げる動悸に用いる方剤である。強く陽気が上るため、顔が赤くのぼせてドクドクと拍動する頭痛を生じたりする。桂枝去芍薬湯も「脈促、胸満」といってやはり動悸・息苦しさに用いる。桂枝加桂湯の適応に比べて陽弱に傾くため、上衝する気が頭部にまで昇らず胸で塞がる。茯苓甘草湯と近い適応を持つ処方ではあるが、やはり「水飲」と「虚」とを以て鑑別する。
桂枝甘草湯類の運用は、苓桂剤・桂枝湯類の他にも竜骨・牡蛎を加えるべきもの、また紫蘇葉・厚朴・枳実・半夏の類を必要とするものなど多岐にわたる。総じて即効性の高い処方群ではあるが、これらの運用の仕方によって効能に大きな差が出る。
桂枝加桂湯:「構成」
桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):生姜(しょうきょう):大棗(たいそう):芍薬(しゃくやく):※桂枝湯中の桂枝を増量する。
桂枝去芍薬湯:「構成」
桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):生姜(しょうきょう):大棗(たいそう):※桂枝湯中から芍薬を去る。
③柴胡加竜骨牡蛎湯(傷寒論)
自律神経の過敏・興奮状態に適応する処方。動悸・呼吸のしづらさ・胸苦しさを主とする心臓神経症や不安障害にて運用する場が多い。自分でもどうしてしまったんだろうと感じるほどに、心身ともに強い過敏状態に陥ってしまったときに用いる方剤である。一つのことが気になりだすと止まらず、焦り、不安になっていてもたってもいられなくなる。少しのことで驚きやすく、動悸して息苦しい。小さな物音が気になって眠れない。横になっても身の置き所がなく、手足がはばったく重い。甚だしいと手足に力が入って上手く動かせず、胸脇部が苦しく体をよじって伸ばしたくなると訴える。動悸や息苦しさ以外にも、頭痛・耳鳴り・めまい・不眠・不安感・焦燥感・イライラなど様々な症状を出現させる病態に適応する。実はそのまま服用してもあまり効果がない。上手く使うには合方も含めてコツがいる処方である。体格充実した者に適応するという解説もあるが、私見では体格は関係ない。とにかく「胸満煩驚(きょうまんはんきょう)」という病態に陥っているかどうかが運用のカギとなる。
柴胡加竜骨牡蛎湯:「構成」
柴胡(さいこ):半夏(はんげ):人参(にんじん):黄芩(おうごん):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):桂皮(けいひ):茯苓(ぶくりょう):竜骨(りゅうこつ):牡蛎(ぼれい):大黄(だいおう):
④桂枝加竜骨牡蛎湯(傷寒論)
柴胡加竜骨牡蛎湯と同じように自律神経の過敏・興奮状態に適応する処方。心臓神経症や不安障害にも運用することが多い。動悸や胸苦しさ・耳鳴りやフワフワ浮くようなめまい・不安と焦りが強くじっとしていられない・寝つきが悪くて眠りが浅く、夢を見やすいなど。適応症候だけを並べれば柴胡加竜骨牡蛎湯と類似しているが、両者では運用に明らかな違いがある。
本方適応の主眼は「虚労(きょろう)」である。自律神経の乱れを伴う一種の疲労状態で、本方は虚を補い疲労を回復させながら自律神経の安定を図る。柴胡加竜骨牡蛎湯の主眼は「胸満煩驚」である。あくまで強い自律神経の過敏さに適応する。両者の違いを虚・実と解説するものも多いが、体格の大小や正気の虚実によってのみ判断できるものではない。桂枝加竜骨牡蛎湯の虚は「虚労」の虚であり、柴胡加竜骨牡蛎湯の実は過敏・興奮状態の極まりを指す。
桂枝加竜骨牡蛎湯:「構成」
桂枝(けいし):芍薬(しゃくやく):甘草(かんぞう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):竜骨(りゅうこつ):牡蛎(ぼれい):
⑤奔豚湯(金匱要略)(肘後備急方)
まるで豚が奔走するように下から上へと気が付き上げて動悸し、呼吸促拍する状態を「奔豚(ほんとん)」という。適応する処方はいくつかあり、上述の桂枝加桂湯や苓桂甘棗湯の他にも、2種類の奔豚湯がある。
『金匱要略』の奔豚湯は胸痛を伴う動悸にてある種の熱状を伴うものに適応することになっている。浅田宗伯も『勿誤薬室方函口訣』において奔豚気の熱症を治すと解説している。本方使用の経験がないため定かではないが、心臓神経症というよりは、更年期障害におけるホットフラッシュなどに適応するのかも知れない。
『肘後備急方』の奔豚湯は桂枝・甘草の薬対を含み、心臓神経症などの自律神経失調による動悸への適応をうかがわせるが、やはり経験がなく、運用例も少ないため不明な部分が多い。心臓神経症よりはむしろ「支飲」の治剤としてうっ血性心不全に、また「積聚」の治剤として膵炎や胆石疝痛に応用できる可能性がある。
諸先生方の今後の経験を待つ次第である。
奔豚湯(金匱要略):「構成」
李根皮(りこんぴ):葛根(かっこん):芍薬(しゃくやく):当帰(とうき):川芎(せんきゅう):黄芩(おうごん):半夏(はんげ):生姜(しょうきょう):甘草(かんぞう):
奔豚湯(肘後備急方):「構成」
桂枝(けいし):甘草(かんぞう):生姜(しょうきょう)呉茱萸(ごしゅゆ):人参(にんじん):半夏(はんげ):
⑥炙甘草湯(傷寒論)
「脈結代(脈が一瞬途絶える)、心動悸」という不整脈と動悸とを目標とする循環器系疾患の代表方剤。脈が飛んだように感じる期外収縮や、上室性頻拍や心房細動などの頻脈性不整脈に用いる場がある。本方も桂枝・甘草剤である。しかし上記の処方群とは異なり、心臓神経症のように自律神経の過緊張状態に対して適応する薬方ではない。胸部・首・背中などの上部におこる血流障害を除くことで心臓の負担を軽減するものである。
心臓は生きている間は休むことなく働く臓器であり、休憩を知らない心臓は年齢とともにどうしても拍動に弱りが起こる。弱り始めればうっ血性心不全のように浮腫が起こり始める。しかしその手前、つまり弱りのもっと初端では、浮腫のように血管外に水がせり出すのではなく、むしろ「血燥」ともいうべき乾きが胸や背回りの筋肉に起こり、それが上半身の血流障害として起こってくる。炙甘草湯はおそらくこのような状態に適応する。40代後半から50歳、60歳にかけて、不快ではない程度に心拍の飛びを自覚し、活動時に少し胸の圧迫感を感じることがある。肩甲骨を中心に背にかたい板をはったような肩こりを自覚する者が多い。東洋医学的には「虚労」の一病態であり、本方はこのような場で著効する。脈結代を目標に不整脈の代表方剤として有名ではあるが、広く使えるというよりは不整脈の中でも一部の病態に適応するという印象がある。
炙甘草湯:「構成」
地黄(じおう):桂枝(けいし):甘草(かんぞう):人参(にんじん):麦門冬(ばくもんどう):阿膠(あきょう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):麻子仁(ましにん):
※心臓神経症治療に関しては、上記で解説している適応処方はほんの一部です。不安障害やパニック障害の漢方治療と重なることが多いため、こちらもご参照ください。→不安障害・パニック障害
心不全・うっ血性心不全
心不全・うっ血性心不全とは
心筋機能が異常をきたして心臓のポンプ機能が低下し、体に必要な血液を送ることが出来なくなった状態を心不全といいます。心不全とは心臓が停止することではありません。体のすべての部分に充分な血液を送るための働きが維持できなくなることです。したがってポンプ機能が若干の弱りを起こりている状態から、すでに自分の力では動かせなくなった状態まで、非常に幅広い状態を包括しています。進行するごとに全身の血流を停滞させて、血液が組織に溜まりうっ血症状が現れてきます。そのためうっ血性心不全と呼ばれることもあります。
●心機能の弱りを早い段階で自覚すること
心不全の治療は早期の段階で何らかの手を打っておくことが大切です。そのためどのような症状が出た時に心機能の弱りを自覚するべきかを、知っておく必要があります。心不全は年齢を問わず発症する可能性がありますが、特に高齢者に多く、加齢とともにどうしても心臓の機能は弱り始めます。通常はゆっくりと進行し、慢性経過する疾患です。しかしほとんどの心臓疾患はある段階から心不全を介在させてきます。そのため虚血性心疾患や心臓弁膜症・心筋症などの既往がある方では、心不全が急速に進むことがありますので、心機能の弱りに伴いどのような症状が発現してくるのかを特に知っておく必要があります。
●心機能の弱りによって起こる症状
発生する症状は全身のうっ血症状を主体とします。血液のうっ血によって起こる主たる症状は「浮腫(むくみ:各組織に水が溜まる状態)」です。心臓は右・左の全部で4つの部屋で構成されていますが、体を巡った静脈血を取り込む右心と、肺にて酸素を取り入れた動脈血を受け入れ全身へと排出する左心とでは、機能が弱りを見せた時に発現する症状が異なります。
右心不全
足の甲・足首など下半身、腰、肝臓や腹部などに水が溜まり浮腫みが生じる。早期症状としては立っていると足・足首が浮腫み、重だるくなる。仰向けに寝ていると腰が浮腫み重だるい。進行すると貯留する水分が多くなり腹部に溜まり始める。胃や肝臓に溜まって腹部膨満し、吐き気や食欲不振が起こる。食事の消化吸収が弱り、筋肉が衰え、体が痩せてくる(心臓悪液質)。
左心不全
肺の内部に水が溜まり、息切れが起こる。初期であれば、運動・活動時に息切れを生じる。悪化するにつれて軽く動いただけで息苦しくなり、最終的には安静時でも息切れが起こる。横になると貯留した水が肺を圧迫して息苦しさが増す。したがって状態を起こしながらゼコゼコと喘鳴を起こす状態(起坐呼吸)になる。※この時、気管支喘息との鑑別が必要になる。これらは治療方法がまったく異なるため注意を要する。さらに睡眠時無呼吸症候群が比較的軽い心不全の状態によって起こっているケースもある。
心不全の早期治療と漢方薬
これらの症状はごく初期では気づかない方もいます。しかし進行程度によって自覚症状が強くなってきて、最終的には生活が著しく困難になって動くことができなくなります。こうならないためにも、心臓の弱りを早期に発見し、予防を図るべきだと思います。西洋医学的には強心剤(ジギタリス)や利尿薬(ラシックス®)などで治療を行いますが、程度が軽ければ生活習慣の改善を行いながらの経過観察です。漢方ではより早期の心不全を予防・改善していくための薬が沢山ありますし、これらの西洋薬と併用することで悪化した心不全でも効果的に改善へと向かわせる手法があります。特に漢方で言うところの「飲病」や「脚気」に対する方剤が応用されます。
●早期対応の重要性
若い時にくらべて、下半身がだるくなったなぁとか、最近胸が苦しくて動くとしんどいなぁとか、年齢とともにこのような症状を感じた時点で、早めの対応を考えてください。もっと言えば、最近小便の出が悪いなとか、小便のキレが悪いなとか、夜間おしっこで何回も起きるという症状も広く言えば心不全の表れである可能性があります。病を自覚していないのに体に配慮するということは非常に難しいことかと思います。しかし放っておくとせっかくの健康が台無しになります。だからこそ、早期に対応する必要性を強く感じていただきたいと思います。
■参考症例
まずは「心機能の弱り」に対する漢方治療の実例をご紹介いたします。以下の症例は当薬局にて実際に経験させて頂いたものです。本項の解説と合わせてお読み頂くと、漢方治療がさらにイメージしやすくなると思います。
症例|症例:不整脈・心房細動
警備員として働く59歳・男性。西洋薬にて不整脈を治療中、その副作用でめまいが起こりはじめました。漢方治療で副作用を抑えることができるのか、もしくはめまいの原因は他にあるのか。心機能の弱りを持たれる方への治療とその効果を、実例を通してご紹介いたします。
【使用されやすい漢方処方】
①八味地黄丸・腎気丸(はちみじおうがん・じんきがん)
②苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)
定悸飲(ていきいん)
③茯苓杏仁甘草湯(ぶくりょうきょうにんかんぞうとう)
④九味檳榔湯(くみびんろうとう)
⑤蘇子降気湯(そしこうきとう)
⑥喘四君子湯(ぜんしくんしとう)
⑦変製心気飲(へんせいしんきいん)
⑧蒂藶大棗瀉肺湯(ていれきたいそうしゃはいとう)
木防已湯(もくぼういとう)
導水茯苓湯(どうすいぶくりょうとう)
※薬局製剤以外の処方も含む
①八味地黄丸・腎気丸(金匱要略)
「飲病」という概念がある。諸説あるが、飲病とは「飲んだ水が体内に入るも巡らず、どこかに溜まり、あふれる」という単純な着想から生まれた病態群だと考えている。そのあふれ方・溜まる場所によって病態がいくつかに分かれる。『金匱要略』では「溢飲(いついん)」「懸飲(けんいん)」「支飲(しいん)」「痰飲(たんいん)」という4つの分類を提示している。これらの病態は今でいうところの急性糸球体腎炎や気管支喘息・循環器疾患中の病態を包括していると考えられている。
うっ血性心不全では、このうちの「支飲」・「痰飲」の適応方剤に見るべきものがある。本方もその中の一つ。初期のうっ血性心不全に対して非常に有効な方剤である。加齢とともに坂道や早歩きで息切れしやすくなり、胸苦しいという者。また水が循環しないため小便の出が弱り、切れが悪く、日中の回数は少ないが、夜間はむしろ小便で何度も起きるという者。腰が重く、足がだるい、スネから下が浮腫んで冷えやすくなり、夜間は返って足の裏がほてるという者。このような自覚のある方が早めに本方を服用し始めれば、これらの諸症状が緩和されるとともに、心不全の悪化が予防できる。加齢に伴うこれらの症状が漢方でいう所の「腎虚(じんきょ)」であり、古人は心肺機能を若々しく保つために、本方をもってアンチエイジングを図ったのである。
八味地黄丸・腎気丸:「構成」
地黄(じおう):山茱萸(さんしゅゆ):山薬(さんやく):牡丹皮(ぼたんぴ):茯苓(ぶくりょう):沢瀉(たくしゃ):桂枝(けいし):附子(ぶし):
②苓桂朮甘湯(金匱要略)
桂枝甘草剤は強心薬ではないが、少なくとも血流を促す薬であり、心機能の負担を減らす際に運用される。桂枝・甘草の薬対に茯苓・白朮という利水薬を配合した本方は、八味地黄丸と同様にうっ血性心不全の初期に運用する場がある。活動時の動悸や胸苦しさが強く、横になると咽がゼコゼコと鳴り、立ちくらみやめまいを伴う場合は本方が良い。
本方は気管支喘息の本治(体質改善薬)としても用いることができる。(その場合は乾姜・細辛・五味子などを加えることが多い。)うっ血性心不全と気管支喘息とでは胸部に浮腫が起こって呼吸苦と喘鳴とを伴うという点で症状的に類似する。しかしその原因や治療方法はまったく異なるものである。気管支喘息に使うβ₂受容体刺激薬は心疾患を悪化させることがある。また漢方でも喘息治療に頻用される麻黄剤は心臓に負担をかけることがある。したがって両者の鑑別は慎重を期たさなければならない。その中でうっ血性心不全と気管支喘息との両者に用いることのできる本方は、使い勝手の良い方剤であるともいえる。
苓桂朮甘湯:「構成」
桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):白朮(びゃくじゅつ):茯苓(ぶくりょう):
③茯苓杏仁甘草湯(金匱要略)
『金匱要略』中の「胸痺心痛短気病」に載せられている処方群は、心痛を主とする虚血性心疾患に応用されることが多い。その中で本方は「短気」つまり呼吸苦に用いる方剤として載せられ、うっ血性心不全への適応をうかがうことができる。薬能の主体は利水である。血流を促す作用は弱い。したがってうっ血に対して配慮する場合には薬能が不足しているように思われる。ただし浅田宗伯が「打撲後の瘀血の尽きざる気急に用いて効あり」と指摘し、あたかも血液循環を促す薬能があるように解説している点は興味深い。桃仁は駆瘀血薬だが、杏仁は利水平喘薬である。両者の薬能は全く異なる。しかし、もし杏仁の薬能に駆瘀血があり、胸の瘀血を除くことで利水平喘が図れるのであれば、両者の違いは胸と下腹部、つまり上・下の違いということになる。尾台榕堂曰く「水と血とは素と類を同うするなり」と。虚血性心疾患やうっ血性心不全などに、広く運用し得る方剤である。
茯苓甘草湯:「構成」
茯苓(ぶくりょう):杏仁(きょうにん):甘草(かんぞう):
④九味檳榔湯(勿誤薬室方函口訣)
江戸時代に流行った病に「脚気」がある。脚気は運動麻痺や知覚麻痺が起こる疾患で、浮腫を伴うもの(湿脚気)と浮腫を伴わず筋肉の萎縮を主とするもの(乾脚気)とがあった。原因はビタミンB₁欠乏である。一種の栄養失調であるため、現在ではあまり見ない。しかし当時はそれを知らず、さらに心臓の弱りから脚気衝心と呼ばれる急性心不全が起こって死に至ることがあったため、非常に怖がられた病である。このような脚気、特に湿脚気に対して当時用いられていた代表方剤がこの九味檳榔湯である。
現在は脚気に対して用いる機会はなくなったが、心機能の弱りからくる脚気様症状というのは今でもある。その一つがうっ血性心不全である。血流を促して心臓の負担を軽減するとともに、「逐水(ちくすい)」と呼ばれる強い利水効果を以て浮腫を軽減するという薬能が、うっ血性心不全の改善と予防とに合致しているのである。主に本方に呉茱萸と茯苓とを加える加減をもって運用することが多い。
実はうっ血性心不全に関わらずとも、運用の場が多い処方でもある。また適合すると即効性をもって改善する非常に良い薬である。例えば、夏になると足が浮腫み、ぬける様にだるくなるという方。クーラーなど冷たい空気が当たると膝から下が冷える、寝る時に足を上げて寝ないとせつない、またふくらはぎがつりやすい。坂道などを上ると息苦しく、動悸するという方。気分が鬱的になるという方もいる。これらの症状は恐らく西洋医学的には問題にならないレベルの心機能の弱りである。本方はこのような症状に著効し、夏になるといつも苦しんでいた症状が取れてうれしいと喜ばれることが多い。脚気様症候群に対する本方の運用は、浅田流を継承した細野史郎先生の解説に詳しい。運用においては各種加減や合方を行う必要がある。
九味檳榔湯:「構成」
桂枝(けいし):甘草(かんぞう):厚朴(こうぼく):陳皮(ちんぴ):紫蘇葉(しそよう):木香(もっこう):生姜(しょうきょう):檳榔子(びんろうじ):大黄(だいおう):
⑤蘇子降気湯(太平恵民和剤局方)
「脚気」の治剤として運用されていたものには、降気湯類と呼ばれる一連の方剤群がある。これらは胸に鬱滞する水・気を降ろすというもので、うっ血性心不全にて呼吸困難やゼロゼロといった喘鳴、痰のからまる咳を起こす者に適応する。これらの処方群は浮腫の程度に合わせて専用する。浮腫が強い場合は七味降気湯加減が良い。茯苓や木通といった利水薬を配合し、うっ血性心不全以外にも、ネフローゼなどの腎性浮腫にも用いられてきた。蘇子降気湯はどちらかと言えば呼吸苦よりも喘鳴と咳嗽(せき)の治療薬である。以前心疾患にかかり、手術などの処置によって問題は無くなったものの、喘鳴や咳嗽が続いて痰切りの薬や咳止めが効かないという者に奏効することが多い。
蘇子降気湯:「構成」
桂枝(けいし):甘草(かんぞう):厚朴(こうぼく):陳皮(ちんぴ):紫蘇子(しそし):半夏(はんげ):生姜(しょうきょう):前胡(ぜんこ):当帰(とうき):大棗(たいそう):
⑥喘四君子湯(万病回春)
気虚の代表方剤である四君子湯の加減。胃腸が弱く、疲労してすぐに体がだるくなり、面色がくすんだ黄色味を帯びるか又は白く、貧血の傾向があって気力がわかない。これを気虚という。本方はこのような気虚にて「短気(呼吸が浅く、呼吸の幅が狭い。呼吸困難の一種。)」を起こしている者に適応する。
通常、「喘(呼吸困難)」特に実喘に対しては麻黄剤が適応する。少なくとも気管支喘息などでは麻黄剤を用いなければならない時が多い。しかし麻黄は心臓に弱りのある方や、気虚にて貧血のある方などでは逆に心臓を煽って喘を悪化させることがある。そのような場合、つまり麻黄を使えない喘に対して古人が編み出した回答が、本方や降気湯の類である。麻黄を用いず、厚朴や木香で気管支の痙攣を抑え、桑白皮や紫蘇子・縮砂を以て気道の浮腫を除くのである。したがって本方はうっ血性心不全と同時に気虚に陥る者か、気管支喘息にて気虚が明らかな者の本治薬として運用する場がある。
麻黄剤を使えない喘に対して、本方や降気湯の類をもって対応することは後世派の常套手段であった。一方で古方派は茯苓杏仁甘草湯の変方、つまり苓甘姜味辛夏仁湯などを用いて対応した。両者ともに一長一短があり、状況に応じて使い分ける必要がある。
喘四君子湯:「構成」
人参(にんじん):甘草(かんぞう):茯苓(ぶくりょう):白朮(びゃくじゅつ):厚朴(こうぼく):陳皮(ちんぴ):紫蘇子(しそし):桑白皮(そうはくひ):縮砂(しゅくしゃ):木香(もっこう):陳皮(ちんぴ):沈香(じんこう):
⑦変製心気飲(勿誤薬室方函口訣)
浅田宗伯曰く「支飲より種々に変化したる症に用ひて効経著し」と。宗伯が指摘する通り、「支飲」の治剤としてうっ血性心不全に用いる。右心不全により腹部のうっ血が進むと、うっ血肝を起こしてみぞおちや胸脇部が痞え硬くなることがある。本方中の鼈甲や枳実はその痞硬を緩和させてうっ血肝を予防する。また呉茱萸・桑白皮(桑白皮湯)は脚気に見られる衝心のような急激な喘(卒喘)を予防・改善する要薬である。急性心不全に移行する可能性があるうっ血性心不全においても、使用を一考するべき生薬である。総じて本方は、うっ血性心不全における浮腫を包括的に改善するべき薬能を備えた処方であると言える。顔面・眼下の浮腫や、手足の浮腫・重さ・麻痺など、全身に水が鬱滞している「水鬱の状」を目標として用いられる。
変製心気飲:「構成」
桂枝(けいし):甘草(かんぞう):茯苓(ぶくりょう):木通(もくつう):半夏(はんげ):檳榔子(びんろうじ):紫蘇子(しそし):桑白皮(そうはくひ):呉茱萸(ごしゅゆ):枳実(きじつ):鼈甲(べっこう):
⑧蒂藶大棗瀉肺湯(金匱要略)木防已湯(金匱要略)導水茯苓湯(奇効良方)
すべて胸中・腹中にうっ血があり、浮腫を生じている病態に用いられる方剤である。蒂藶大棗瀉肺湯は、蒂藶子という逐水薬を用いて胸中・腹中の浮腫を強力に除く方剤。「逐水(ちくすい)」とは甘遂(かんつい)や蒂藶子などをもって利尿と瀉下、つまり大便・小便からの水の排出を促し浮腫を去る手法をいう。以前はうっ血性心不全や胸膜炎・腹膜炎などにおいて用いられていた。しかし現在では甘遂などの強力な逐水薬を以て治療する手法はあまり見たことがない。山本巌先生は蒂藶子は比較的穏やかな薬能を持つと言われている。
木防已湯は右心不全によるうっ血肝が起きて顔面や手足に浮腫が起きる状態に適応する。山本巌先生の卓見にて、確かに古典の記載から考えても納得できる。静脈のうっ血のために吸収できない浮腫に対しては防已が良いと解説し、ただしものすごく有効かというと、そうとも言えないとおっしゃられている。
導水茯苓湯はこの中では比較的運用する機会の多い処方だと思う。利水の薬能を存分に内包し、特に腸管の水をさばく薬能が強い。したがってうっ血性心不全より腹部の浮腫を生じ、下痢しているという場合に用いて良いことが多い。『勿誤薬室方函口訣』にも本方の解説があるが、徧身爛瓜の如く(全身がただれた瓜のようになっている)といってかなり浮腫の重い状況で本方を濃煎して用いている。今ではそのような段階ではなく、より早期に用いておくべき方剤だと思う。
蒂藶大棗瀉肺湯:「構成」
蒂藶子(ていれきし):大棗(たいそう):
木防已湯:「構成」
桂枝(けいし):石膏(せっこう):防已(ぼうい):人参(にんじん):
導水茯苓湯:「構成」
茯苓(ぶくりょう):沢瀉(たくしゃ):蒼朮(そうじゅつ):大腹皮(だいふくひ):木瓜(もっか):檳榔子(びんろうじ):陳皮(ちんぴ):紫蘇葉(しそよう):縮砂(しゅくしゃ):木香(もっこう):燈心草(とうしんそう):桑白皮(そうはくひ):麦門冬(ばくもんどう):
狭心症・心筋梗塞(虚血性心疾患)
狭心症・心筋梗塞とは
胸痛や胸の圧迫感・胸苦しさを感じる疾患です。狭心症とは心臓に栄養や酸素を送る冠動脈が狭くなることで、充分に血液が送れなくなってしまっている状態を指します。このうち、階段の上り下りや、いつもより激しい活動を行ったときのみ胸の痛みや圧迫感を感じるものを「労作性狭心症」といいます。この場合、発作の起こる状況や継続時間などが一定であることが多いのですが、より重症例では狭心症の発作が一日に何度も起きたり、安静時にも発作が起きたりするようになります。これを「不安定狭心症」といいます。血栓が起きて完全に冠動脈を詰まらせ、心筋が壊死してしまう心筋梗塞に移行する可能性があるため、危険な狭心症に属します。
●狭心症から危険な心筋梗塞へ
虚血性心疾患による発作は、胸からみぞおちあたりに急激な痛みを発生させます。首や顎、肩や背中に痛みが波及することが多く(放散痛)、はじめは心臓の痛みだと思わない方もいらっしゃいます。狭心症では数秒から数分程度で発作がおさまることが普通です。より重症の心筋梗塞になると痛みが長時間に及び、おさまりません。また呼吸困難や吐き気・冷や汗を伴い、ショック状態に陥って意識障害を起こす方もいます。心筋梗塞にまで及ぶと、これは緊急事態ですので西洋医学的処置が一刻も早く必要です。
虚血性心疾患と漢方
そのため虚血性心疾患では、比較的浅い段階の狭心症、つまり「労作性狭心症」の段階で的確な治療を行っておくことが重要です。虚血性心疾患の原因は多くの場合で動脈硬化です。血液が粘稠になって血管が詰まりやすくなるためです。つまり高脂血症や高血圧、糖尿病などの管理が非常に重要です。漢方薬ではこういった詰まりやすくなった血流を改善し、心機能の負担を軽減させる治療を行います。特に労作性狭心症の段階で漢方治療を始めておくべきだと思います。また一度心筋梗塞を経験した方でも、安定期に入った段階で漢方治療を併用しておくことがお勧めです。西洋薬と併用しながら服用していけば、悪化予防のみならず心臓の状態をある程度回復に向かわせていくことの助けになります。
●胸の痛みを感じたら:早期対応が重要
どちらにしても、虚血性心疾患やうっ血性心不全といった心臓にまつわる疾患は、致命的な状態へ移行してしまえばすでに遅い、というものです。転ばぬ先の杖を持つことが最も求められる疾患だとも言えます。自分の体力に自信を持っている段階から、漢方薬を含めた養生をぜひ検討してみるべきだと思います。
【使用されやすい漢方処方】
①冠心二号方(かんしんにごうほう)
②栝楼薤白白酒湯(かろがいはくはくしゅとう)
栝楼薤白半夏湯(かろがいはくはんげとう)
枳実薤白桂枝湯(きじつがいはくけいしとう)
③枳縮二陳湯(きしゅくにちんとう)
④炙甘草湯(しゃかんぞうとう)
生脈散(しょうみゃくさん)
※薬局製剤以外の処方も含む
①冠心二号方(中国医学科学院)
漢方の歴史からみれば比較的最近になって作られた処方である。虚血性心疾患において運用されることが多い。東洋医学的な理に基づいて製法されているというよりは、丹参を中心とした冠不全や狭心症に対する活血薬を集めたというような構成を持つ。本方を服用しておくと、日常的に生じていた胸の痛みや圧迫感が楽になるということが確かにある。また心電図の所見が改善され、側副血行(冠動脈の閉塞時、生体が虚血を改善しようとして新たに出現させる循環)が促されやすくなると考えられている。バイパス手術などを施した場合でも、その後の循環回復に有意義である。ワルファリンや低用量アスピリンなどの西洋薬をベースに、本方を併用すると良い。とはいえやはり早期に治療を始めておくことに越したことは無い。労作性狭心症にて活動時に胸の痛みや圧迫感を若干感じるというようなごく初期の状態から、進行を予防するために服用しておくと良い。
冠心二号方:「構成」
丹参(たんじん):川芎(せんきゅう):赤芍(せきしゃく):紅花(こうか):木香(もっこう):香附子(こうぶし):
②栝楼薤白白酒湯(金匱要略)栝楼薤白半夏湯(金匱要略)枳実薤白桂枝湯(金匱要略)
『金匱要略』において「胸痺(きょうひ)」の主方として取り上げられているのが、本方のような薤白剤である。「胸痺」とは心痛(胸痛)と短気(短気)を主とした病で、今でいうところの虚血性心疾患に応用の場がある。薤白とはラッキョウのことである。通陽散結といって胸部の詰まりを散らし血脈を通じる薬能を持つ。ラッキョウにそんな薬能があるのかと不思議に思うところであるが、臨床的に確かに良く効くことがある。山本巌先生が指摘している通り、虚血性心疾患の方で冷たい空気を吸って胸が痛いとか、急に動くと胸が痛くなるといった場合に良い。実際には痛みに対してこれだけで良いということはなく、ニトログリセリンなどの硝酸薬を屯用として持っておく必要はあるが、薤白剤を日ごろから服用しておくと痛みの回数が減り、ニトログリセリンを使う回数も減ってくる傾向がある。
狭心症の発作は、食後に起こることがある。食事の消化吸収によって腹部に血流が集中することで起こると考えられるが、薤白には胃腸を理気する効能があり、ガスの貯留に良く効く。特に食後に腹が張るとか、ガスが溜まるという方では薤白と同時に厚朴・枳実を配した枳実薤白桂枝湯や、栝楼薤白白酒湯に橘皮枳実生姜湯を合わせるといった手法が良く用いられる。また肥満体形の方、いわゆる水太りの傾向がある痰飲体質者では半夏を加えた方が良い。栝楼薤白半夏湯を用いる。
栝楼薤白白酒湯:「構成」
薤白(がいはく):栝楼仁(かろにん):白酒(はくしゅ):
栝楼薤白半夏湯:「構成」
薤白(がいはく):栝楼仁(かろにん):白酒(はくしゅ):半夏(はんげ):
枳実薤白桂枝湯:「構成」
薤白(がいはく):栝楼仁(かろにん):桂枝(けいし):厚朴(こうぼく):枳実(きじつ):
③枳縮二陳湯(万病回春)
本方は『万病回春』「心痛」の項目に載せられている。ここでいう「心痛」とは、みぞおちから胸部に痛みを生じる疾患、すなわち心疾患だけでなく胃潰瘍や逆流性食道炎、気管支炎や肋膜炎なども包括していると考えられている。その中で、本方は虚血性心疾患への適応が充分に考えられる方剤である。
出典にて曰く、「痰涎心膈上に在りて、腰背に攻め走りて、嘔噦して大いに痛むを治す」と。また浅田宗伯曰く、「此方は淡飲にて胸背走痛する者を治す」と。痰飲という病態はある体質的傾向を持っている者に多い。肥満体形、特に水太り傾向というかぽっちゃりとした人で、その中でも色白で肉質に張りがあり、下半身よりも上半身に肉が付きやすいというタイプ。また自律神経がやや興奮の状態に傾きやすく、不眠を訴えたり高血圧になったりする。そしてこういう方では動脈硬化が進みやすく、めまいや朝方の頭痛を起こしたり、目がくしゃくしゃするといって瞬きを頻繁に繰り返したりする。本方はこのような痰飲の体質者が起こす虚血性心疾患に対応するものと考えられる。肥満傾向のある方が狭心症を患い、階段や坂道を上がると胸が痛んで息苦しく、背や肩・首に痛みが走る、という場合になるべく早めに本方を服用しはじめ悪化の予防を図る。
枳縮二陳湯:「構成」
半夏(はんげ):茯苓(ぶくりょう):厚朴(こうぼく):枳実(きじつ):陳皮(ちんぴ):縮砂(しゅくしゃ):木香(もっこう):香附子(こうぶし):延胡索(えんごさく):茴香(ういきょう):乾姜(かんきょう):甘草(かんぞう):
④炙甘草湯(傷寒論)生脈散(内外傷弁惑論)
虚血性心疾患を患う方が夏場に大量に汗をかくと、脱水により血流が滞って急に発作を起こすことがある。これらの方剤は脱水を予防し、狭心症の発作を予防する薬能を持つ。特に皮膚乾燥して普段から汗をかきにくく、背や肩にかたい板をはったような凝りを感じる方。また活動時に動悸や息苦しさを感じ、口が乾いて脈が飛ぶような不整脈を感じる方は、炙甘草湯や生脈散を普段から服用しておくと、これらの症状が緩和されるとともに、虚血性心疾患の発作予防にもつながる。
人参剤は脱水を予防する時に最適である。夏場に熱中症にかかりやすいという者にも良い。虚血性心疾患では炙甘草湯や生脈散、またこれらの合方が良く用いられるが、状態に応じて白虎加人参湯なども適応となる。また胃腸が弱く、夏場に食欲を失いバテるという方では、補中益気湯や清暑益気湯に生脈散を合方する。
炙甘草湯:「構成」
地黄(じおう):桂枝(けいし):甘草(かんぞう):人参(にんじん):麦門冬(ばくもんどう):阿膠(あきょう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):麻子仁(ましにん):
生脈散:「構成」
人参(にんじん):麦門冬(ばくもんどう):五味子(ごみし):