不眠症・睡眠障害

不眠症・睡眠障害について

なかなか寝付けない・一旦眠りについてもすぐ起きてしまう・朝早く目が覚めてしまう・いくら寝ても熟睡感がないといった睡眠のまつわる不快感は、成人の約30%以上の方が抱えていると言われるほどありふれたものです。そのためこのような症状を抱えつつも、気にせず生活しているという方が多いと思います。

睡眠は人間にとって自然な欲求であると同時に、人生の時間の約1/4を占める行動でもあります。そして睡眠の質を高めることは人間が本来持っている力を維持することにつながります。超高齢化社会に向かう日本において、これらの睡眠障害を放っておかずにいることが、元気な状態を維持することに直結するのではないかと思います。

不眠症および睡眠障害とは

睡眠障害とは良質な夜間の睡眠を充分にとれていない状態を指し、以下のようなタイプに分類されます。

〇入眠困難
夜なかなか寝付けないこと。寝るまでに30分から1時間、時にそれ以上かかる状態。最も一般的な睡眠障害。
〇睡眠維持困難
一旦眠りについても何度も目が覚めてしまう。目が覚めたあと眠りにつけない。ご高齢者に多いタイプ。
〇早朝覚醒
朝早く目が覚めてそのまま眠れない。やはりご高齢者に多い。
〇熟眠障害
睡眠時間は充分であるのに眠りが浅く、熟睡した感じが得られない。

これらの症状によって良質な睡眠が取れなくなると、日中の活動が何らかの形で損なわれてきます。自律神経が乱れて興奮しイライラしやすくなったり、食欲が旺盛になり間食が止まらなくなったり、集中力や記憶力が低下して仕事でミスが多くなったり、学力が低下したりする。このように睡眠障害のために日中の活動に何らかの障害が出ている状態、これを「不眠症」といいます。

●不眠症・睡眠障害の原因と現行治療
不眠症や睡眠障害はさまざまな原因が関与しています。不適切な生活習慣・心理的なストレス・アルコールなどの嗜好品や薬物など、また特に夜型の仕事環境や、深夜に及ぶスマートフォンの見過ぎなど、近年になって問題視されている原因もあります。治療においてはこれらの改善は必要です。しかし慢性化している不眠症や睡眠障害では、特にこれらの原因にピンとこない方や、改善してもなかなか眠りの質が上がらないという方もいらっしゃいます。

その場合、睡眠導入薬などの薬物治療をもって睡眠へと向かわせる治療が行われます。しかしこれらの継続使用は薬がないと眠れないという状況を作りだす可能性があること、また睡眠導入薬で眠っても途中で起きたり、熟睡感が得られないといったことがあり、治療が難しいケースも散見されます。

不眠症・睡眠障害と漢方

漢方薬による不眠治療は、あくまで人間が本来持っている眠りのメカニズムを呼び覚ますことにあります。脳に直接働きかけて即座に眠らせるわけではありませんので、どうしても眠りたい日に頓服的に服用したいという場合にはあまりお勧めできません。しかし徐々に自然な眠りの状態へと向かわせていくという意味においては、漢方治療は非常に有益な効果を発揮することが少なくありません。特に東洋医学的に見て睡眠を障害する原因が明らかな場合は、比較的即効性のある効果を発揮することもあります。

●眠りへと向かう、眠る力をつけるのが漢方治療
東洋医学的に見て睡眠を障害する原因とは、心理的ストレスなどの体の外から刺激される原因ではなく、あくまで体側にある原因を指しています。

人間は興奮とリラックスという神経の動きを波打たせながら生活していますが、眠りに入る場合は興奮が収まり、リラックスの方向へと波が向いていることが必要です。また体を動かすためには力が必要なのと同じように、人間には眠るための力があります。深く眠り、身体の疲労を回復し、体をリセットさせる力です。東洋医学的な視点で睡眠障害を持つ方を見ると、この眠りのメカニズムと眠る力とが失調している場合が多いのです。漢方治療ではそこを見極めて薬方を選択していきます。

参考症例

まずは「不眠症・睡眠障害」に対する漢方治療の実例をご紹介いたします。以下の症例は当薬局にて実際に経験させて頂いたものです。本項の解説と合わせてお読み頂くと、漢方治療がさらにイメージしやすくなると思います。

症例|約3年間熟睡できていない36歳女性

東北大震災をきっかけに不安感から熟睡できなくなってしまった患者さま。人が本来持っているはずの「眠る力」が極端に弱っていました。東洋医学で言うところの「虚」の実像。その程度を明らかにするために重視しなければいけない症候とは。漢方治療の原則を具体的な症例よりご紹介いたします。

■症例:不眠

症例|過労により眠れなくなった70歳女性

ブドウ農家にて現役で働く患者さま。空を見上げ腕をあげ続けるキツイ仕事の中、体重が減少するとともに、不安感が強まり眠ることが出来なくなってしまいました。オーバーワークによる不眠、疲労と自律神経との関係。眠る力を呼び戻すための手法を、具体的な治療を通してご紹介いたします。

■症例:不眠・不安感

参考コラム

次に「不眠症・睡眠障害」に対する漢方治療を解説するにあたって、参考にしていただきたいコラムをご紹介いたします。参考症例同様に、本項の解説と合わせてお読み頂くと、漢方治療がさらにイメージしやすくなると思います。

コラム|不眠症・睡眠障害 ~漢方薬で治しやすい不眠の特徴~

漢方薬は睡眠薬とは違い、直接的に眠らせるということは難しい反面、身体の不調を総合的に改善することで「自然な眠り」へと導きます。中には治療が難しいケースもありますが、効くときには確実かつ着実な効果を発揮するということも多々あります。そこで今回は、どのような方に漢方治療をお勧めできるのかを、分かりやすく説明していきます。おからだ全体を把握して根元から治す漢方治療の特徴とともに解説していきたと思います。

□不眠症・睡眠障害 ~漢方薬で治しやすい不眠の特徴~

コラム|漢方治療の経験談「不眠症・睡眠障害治療」を通して

当薬局でもご相談の多い不眠症・睡眠障害。日々治療を経験させていただいている中で、実感として思うこと、感じたことを徒然とつぶやいたコラムです。

漢方治療の経験談「不眠症・睡眠障害治療」を通して

コラム|【漢方処方解説】抑肝散・抑肝散加陳皮半夏(よくかんさん・よくかんさんかちんぴはんげ)

イライラと不眠の薬と言えば抑肝散。本方はそれほど有名な薬であり保険薬としてもしばしば使われます。今回はそんな名方の使い方を簡単に説明していきたいと思います。抑肝散はどんな「体質」や「証」に使うべき薬なのか。具体的に解説していきます。

【漢方処方解説】抑肝散・抑肝散加陳皮半夏(よくかんさん・よくかんさんかちんぴはんげ)

コラム|【漢方処方解説】桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)

心療内科や精神科領域の病に対して使用される機会の多い処方・桂枝加竜骨牡蛎湯。特にパニック障害や自律神経失調症など、不安感や焦燥感(あせり)を伴う病で頻用されています。ただしこの処方は一般的な解説をもって理解することが非常に難しい処方です。そこで本方の薬能を分かりやすく知って頂くために、あえて今までにない処方解説を講じてみたいと思います。「実感」から「理解」へ。本方の現実的な薬能をご紹介いたします。

【漢方処方解説】桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)・前編
【漢方処方解説】桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)・後編

コラム|【漢方処方解説】補中益気湯(ほちゅうえっきとう)

漢方薬の中でも「疲れ」や「倦怠感」、また「不眠症」に対しても用いられることの多い補中益気湯。さらに「気を持ち上げる」という作用を期待して、立ちくらみや起立性調節障害、脱肛や子宮脱なども頻用されています。しかし、あまり効果が感じられないという声を聞くことが多々あります。なぜこれらの症状に充分な効果を発揮してくれないのでしょうか。その理由を知るためには、「歴史」を紐解く必要があるのです。補中益気湯の本質的な薬能とその使い方を、本方創立の歴史をご紹介しながら分かりやすく解説いたします。

【漢方処方解説】補中益気湯(ほちゅうえっきとう)・前編
【漢方処方解説】補中益気湯(ほちゅうえっきとう)・後編

コラム|【漢方処方解説】帰脾湯・加味帰脾湯(きひとう・かみきひとう)

心療内科系の漢方薬として有名な帰脾湯・加味帰脾湯。薬局では「心脾顆粒」という名称でもしばしば販売されています。「体の弱い人の不眠や精神症状」に対して、第一選択的に使われている傾向があるものの、本当にこれだけの情報で使ってしまって良いのでしょうか。飲んだけれども効かなかったという方のために、本方の適応病態を詳しく解説していきます。

【漢方処方解説】帰脾湯・加味帰脾湯(きひとう・かみきひとう)

コラム|【漢方処方解説】半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)

胃腸薬として有名は半夏瀉心湯。不眠症の治療薬としても使われることがあります。ただしこの処方は処方構成がやや複雑なために、その効果を理解しにくい傾向があります。体を冷ます寒薬と、温める温薬とが同時に入っている。しばしば寒熱錯雑と解説されていますが、使い所としては要領を得ません。そこで今回は敢えて簡単に解釈することで、この薬の効能を分かりやすく示していきたいと思います。

【漢方処方解説】半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)

使用されやすい漢方処方

①桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)
 桂枝湯加減(けいしとうかげん)
②酸棗仁湯(さんそうにんとう)
③帰脾湯(きひとう)
 加味帰脾湯(かみきひとう)
④大黄黄連瀉心湯(だいおうおうれんしゃしんとう)
 黄連阿膠湯(おうれんあきょうとう)
⑤甘草瀉心湯(かんぞうしゃしんとう)
⑥温胆湯(うんたんとう)
 加味温胆湯(かみうんたんとう)
⑦大柴胡湯(だいさいことう)
 柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)
⑧柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)
⑨柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう)
⑩抑肝散(よくかんさん)
⑪甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)
 芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
⑫補中益気湯(ほちゅうえっきとう)
 人参養栄湯(にんじんようえいとう)
⑬人参湯(にんじんとう)
 大建中湯(だいけんちゅうとう)
⑭天王補心丹(てんのうほしんたん)
※薬局製剤以外の処方も含む

①桂枝加竜骨牡蛎湯(金匱要略)桂枝湯(傷寒論)

 そわそわして眠れない・不安で落ち着かない・小さな物音が気になって眠れない・疲れているのに目がさえて眠れないといった煩わしさを、漢方では「煩躁(はんそう)」という。煩躁を鎮める手段にはいくつかあるが、その主たるものが竜骨・牡蛎である。竜骨・牡蛎はその重さを以て軽浮する陽気を鎮める薬能を持つ。したがってフワフワと浮くようなめまいや耳鳴り、一つの場所で落ち着いていられない、そわそわして焦り不安感が強いなどの症状に適応する。服用しているうちに気持ちが落ち着き、自然に眠れるようになったという者が多い。
 本方のような桂枝湯の加減は総じて不眠治療に有効である。これらの方剤で改善し得る不眠は「虚労(きょろう)」という病態に属しているものである。「虚労」とは一種の疲労状態で、疲労と同時に興奮のスイッチが入り、自律神経症状を発生させてくるような一連の病態の流れを指す。この流れを見極めたうえで桂枝湯、または桂枝湯の類方を用いると、興奮がおさまり睡眠の質が上がり、体力がついて疲労が回復する。桂枝湯はあらゆる処方の原型と言われているが、基本処方故に用いられる機会が少ない。しかしこの処方の理解が臨床の腕を決めると言われるほど奥深い方剤であり、また上手に運用すると今まで改善が難しかった病において驚くほどの効果が上がることもある。こと不眠においては重要処方の一つである。
桂枝加竜骨牡蛎湯:「構成」
桂枝(けいし):芍薬(しゃくやく):甘草(かんぞう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):竜骨(りゅうこつ):牡蛎(ぼれい):
桂枝湯:「構成」
桂枝(けいし):芍薬(しゃくやく):甘草(かんぞう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):

②酸棗仁湯(金匱要略)

 「虚労、虚煩、眠るを得ず」という適応症状を持つ本方は、不眠治療に頻用される方剤の一つ。本方が適応となる不眠は、背景として身体に強い消耗があり、それによって逆に興奮が収まらないという状態に適応する。また興奮だけでなくある種の緊張状態を呈し、小便が出渋ったり、胸騒ぎがして口が乾いたりといった症状を伴うこともある。疲労・消耗という「虚労」の流れの中で出現する一病態であるが、消耗の中で発生する緊張・興奮状態を疎通し、なだめる方剤である。もと胃腸に若干の弱りのある者に起こることが多い。
 通常「虚労」の不眠に対しては、桂枝湯の加減方を以て対応することで事は足りる。桂枝湯類も消耗の中で発生する持続する興奮を落ち着ける薬能を持つからである。本方はある意味でこれら桂枝湯類を用いてもさっぱりとしない状態に用いる方剤であり、桂枝湯類適応の興奮・緊張状態よりも一等その状が深いものである。したがって頻用されている傾向があるものの、それほど本方の適応病態は頻繁に発生するものではないという印象がある。消耗性の慢性病を患う者の不眠や、更年期障害における不眠に運用することが多い。
酸棗仁湯:「構成」
酸棗仁(さんそうにん):甘草(かんぞう):知母(ちも):茯苓(ぶくりょう):川芎(せんきゅう):

③帰脾湯・加味帰脾湯(薛氏医案)

 本方は過度な思慮によって胃腸機能を崩し、精神を乱して怔忡(せいちゅう:むなさわぎ)・健忘(ものわすれ)・動悸などの症状を起こし、眠れないという者に用いる機会がある。中医学ではこの適応病態を「心脾両虚」といい、消耗によって体力が落ち、同時に興奮が収まらないという時に用いる方剤である。近年では不眠のみならず、痴呆症や神経因性食思不振症に応用されることが多い。特にイライラなどの興奮が強い者ではこれを「肝火」とみなし、柴胡・山梔子を加える。これを加味帰脾湯という。
 不眠、特に虚弱体質者の不眠に対して運用される機会が多い処方ではあるが、その運用のポイントは心脾両虚というよりも、経方の流れの中で掴む方が的確である。すなわち本方はもと「虚労」の流れに属する病態に適応する。江戸末期の二代巨頭・尾台榕堂と浅田宗伯もその点に着眼している。両者酸棗仁湯の解説において、尾台榕堂曰く、「健忘(ものわすれ)・驚悸(おどろき動悸する状)・怔忡(せいちゅう:むなさわぎ)の三症には此の方に宜しき者あり。」と、さらに浅田宗伯曰く、「血気虚燥、心火亢りて、眠るを得ざる者は此方の主なり。『済生』の帰脾湯は此方に胚胎するなり。」と。すわなち帰脾湯は酸棗仁湯と流れを同じくし、「虚労」の流れの中で運用するべき方剤。的確な運用には「虚労」の理解が必要である。
帰脾湯:「構成」
当帰(とうき):黄耆(おうぎ):人参(にんじん):甘草(かんぞう):茯苓(ぶくりょう):白朮(びゃくじゅつ):生姜(しょうきょう):大棗(たいそう):木香(もっこう):遠志(おんじ):竜眼肉(りゅうがんにく):酸棗仁(さんそうにん):
加味帰脾湯:「構成」
当帰(とうき):黄耆(おうぎ):人参(にんじん):甘草(かんぞう):茯苓(ぶくりょう):白朮(びゃくじゅつ):生姜(しょうきょう):大棗(たいそう):木香(もっこう):遠志(おんじ):竜眼肉(りゅうがんにく):酸棗仁(さんそうにん):柴胡(さいこ):山梔子(さんしし):

④大黄黄連瀉心湯・黄連阿膠湯(傷寒論)

 黄連は不眠における要薬の一つ。これらの方剤は黄連剤として不眠に用いる機会が多い。大黄黄連瀉心湯は「ふり出し」といって長く煎じることなく沸騰した湯に短時間浸し煮汁を取る。すなわち頓服薬である。また黄連阿膠湯はやや消耗あり、深く沈瀝した興奮を冷ます。故に大黄黄連瀉心湯に比べて疲労・慢性化の傾向を持つ者に運用の機会がある。
 黄連は強い苦みを持った清熱薬である。漢方では不眠におちいる興奮の状を「熱」とみなし、これを苦味にて冷ますことで眠りへと導く。したがって横になると首が熱くて眠れないとか、イライラして顔がほてるという熱症状を伴う場合に運用する。しかし黄連は清熱という役割だけでは論じられない薬能を持つ。つまり明らかな熱症状がなくても、そして平素より冷え性といった者でも、黄連をサラッと用いて不眠が解消されることがある。「芩連(黄芩・黄連)は行気の剤。~苦みを以て気を養う。」江戸の名医、山田正珍の言葉である。
 交泰丸(こうたいがん)という処方がある。黄連と桂皮との二味で構成された処方であるが、不眠に頓服的に使用して効を上げることがある。本方の主眼は黄連と桂皮とをもって気の昇降を正すという点にあり、他剤を用いる時の加減方としても知っておくべき手段の一つである。
大黄黄連瀉心湯:「構成」
大黄(だいおう):黄連(おうれん)
黄連阿膠湯:「構成」
黄連(おうれん):黄芩(おうごん):芍薬(しゃくやく):阿膠(あきょう):卵黄(らんおう):

⑤甘草瀉心湯(金匱要略)

 「心下痞硬」という胃の詰まりを中心に胃腸症状を改善する本方は、同時に「孤惑(こわく)」という精神症状を改善するための薬方でもある。イライラしつつも不安感を伴い、目を閉じようとしても興奮して眠れない。半夏瀉心湯中の甘草を増量した処方であるが、黄連・黄芩でカバーできない興奮を甘草の甘味を以て落ち着けるという薬方である。
 胃腸活動が失調していると人は深くリラックスすることができない。これを漢方では「胃気不和」という。本方は黄連・黄芩にて「心火」を瀉すと同時に、胃気を和すことで興奮を落ち着ける方剤である。総じて不眠においては胃気を和すことが非常に重要である。夜遅く・または寝る前に胃腸を詰まらせるような食事・過食を行っていると、そのうち不眠になるということは良くある。食事の養生と同時に、本方をもって胃腸の働きを楽にさせると自然と眠れるようになる。
甘草瀉心湯:「構成」
半夏(はんげ):乾姜(かんきょう):黄芩(おうごん): 竹節人参(にんじん):大棗(たいそう):甘草(かんぞう):黄連(おおれん):

⑥温胆湯(三因極一病証方論)加味温胆湯(衆方規矩)

 駆痰剤として「痰熱内擾(たんねつないゆう)」という病態に運用される方剤。「痰熱内擾」とは胃・胆で発生した水分(痰)が上逆して精神を乱す、と中医学では説明されているが非常に分かりにくい。シンプルに言えばある腫の胃薬で、甘草瀉心湯のように胃気を和すことで身体の興奮を鎮める薬方。特に寝つきが悪い・眠れないといった興奮を落ち着ける薬能に長け、睡眠障害や不眠症に用いられる機会が多い。平素から食欲あり、便秘しやすく不眠に陥り、情緒が不安定になって物音に驚きやすくなるもの。黄連や酸棗仁を加えることが多い。
 本方はどこまでも体質的な処方で、適応する者には壮年期に動脈硬化による高血圧や脳血管障害などを起こしやすい傾向がある。本来は飲水(飲み水)が身体内に貯留することで起こる飲病(痰飲病)の流れの中で生じる病態。継続する興奮は上部に熱を持たせ、貯留した陰液の消耗を招いて血脈の不利を起こす。竹筎温胆湯は温胆湯の変方で、やはりこういった体質者の不眠に用いる機会がある。疲労・過労などの介在するやや長期化している不眠症に用いられる機会が多い。近年では痴呆症などに頻用されている。
温胆湯:「構成」
半夏(はんげ):茯苓(ぶくりょう):生姜(しょうきょう):陳皮(ちんぴ):枳実(きじつ):甘草(かんぞう):竹筎(ちくじょ):
加味温胆湯:「構成」
半夏(はんげ):茯苓(ぶくりょう):生姜(しょうきょう):陳皮(ちんぴ):枳実(きじつ):甘草(かんぞう):竹筎(ちくじょ):遠志(おんじ):地黄(じおう):玄参(げんじん):人参(にんじん):酸棗仁(さんそうにん):大棗(たいそう):

⑦大柴胡湯・柴胡桂枝湯(傷寒論)

 これらの方剤は「肝気鬱結(かんきうっけつ)」と呼ばれる「怒気」を内包する自律神経の過緊張状態に適応する方剤。頭痛や肩こりが慢性的にあり、イライラしやすい、排便がすっきりしないという者、また蓄膿症になりやすかったり吹き出物が出やすいといった化膿性炎症を起こす傾向のある者、こういった者の不眠治療に効を奏することが多い。「肝鬱」は消化器・呼吸器・循環器・生殖器と幅広く緊張状態を波及させることが特徴。したがって多様な症状を包括して改善し得る方剤であり、その分適応の見極めが難しいという側面を持つ。
 これらの方剤については、多くの書物が「胸脇苦満(きょうきょうくまん)」という症候を目標にするよう解説しているが、処方選択にあたり最も重要な症候は「心下(みぞおち・胃部)」に出る。大柴胡湯は「心下急」と言われる凝り固まった緊張性の強い固縮を心下に生じ、柴胡桂枝湯はそれに比して緊張性の緩い「心下支結」を生じる。大柴胡湯と柴胡桂枝湯との違いは胃気の固縮の強さであり、それを虚実をもって見極めることで各々を選択するのである。
大柴胡湯:「構成」
柴胡(さいこ):半夏(はんげ):黄芩(おうごん):芍薬(しゃくやく):枳実(きじつ):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):大黄(だいおう):
柴胡桂枝湯:「構成」
柴胡(さいこ):半夏(はんげ):黄芩(おうごん):人参(にんじん):甘草(かんぞう):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):桂枝(けいし):芍薬(しゃくやく):

⑧柴胡加竜骨牡蛎湯(傷寒論)

 自律神経の過敏・興奮状態に適応する処方。自分でもどうしてしまったんだろうと感じるほどに、心身ともに強い過敏状態に陥ってしまったときに用いる方剤である。一つのことが気になりだすと止まらず、不安になっていてもたってもいられなくなる。動悸して息苦しく、小さな物音が気になって眠れない。横になっても身の置き所がなく、手足がはばったく重い。甚だしいと手足に力が入って上手く動かせず、胸脇部が苦しく体をよじって伸ばしたくなると訴える。不眠症や睡眠障害とともに、頭痛・耳鳴り・めまい・不安感・焦燥感・イライラなど様々な症状を出現させる病態に適応する。実はそのまま服用してもあまり効果がない。上手く使うには合方も含めてコツがいる処方である。体格充実した者に適応するという解説もあるが、私見では体格は関係ない。とにかく「胸満煩驚(きょうまんはんきょう)」という病態に陥っているかどうかが運用のカギとなる。
柴胡加竜骨牡蛎湯:「構成」
柴胡(さいこ):半夏(はんげ):人参(にんじん):黄芩(おうごん):大棗(たいそう):生姜(しょうきょう):桂皮(けいひ):茯苓(ぶくりょう):竜骨(りゅうこつ):牡蛎(ぼれい):大黄(だいおう):

⑨柴胡桂枝乾姜湯(傷寒論)

 以前は肺結核に頻用されていた名方であるが、現在では自律神経失調や不眠、更年期障害に応用されるようになった。本方はある独特な病態に対してピンポイントで効くという印象がある。体が弱く虚の強い者、柴胡加竜骨牡蛎湯の虚証タイプ、このように解説されることが多い。しかし実際の運用においてはこれらでは不十分である。本方は継続した興奮・緊張状態にさらされたために一種の消耗を呈し、そのために交感神経の高まりを解除できなくなってしまった、という病態に適応する。継続する興奮は身体にくすぶり続ける熱であり、熱は津液(身体の水分)を燻蒸し消耗を招く。故に動悸して胸苦しく、のぼせて頭から汗をかき、寝つきが悪く、寝ても寝汗をかいて口が乾くといった症状が目標となる。また興奮・緊張が継続する原因は内部の冷えである。冷えているためにいつまでも熱を起こそうとしてしまうのである。故に急に体が熱くなりのぼせ、汗をかいた後にぞくぞくと寒気をおぼえる。往来寒熱の一形態である。
 複雑な病態を呈するようであるが、本方の適応は外見に分かりやすい。津液消耗のため枯燥感がり、肉がそげて細く、皮膚や髪が乾燥して潤いがない。興奮・緊張の気があるため神経が過敏で、雰囲気に鋭さがある。一時的にそうなるというより、このような体質的傾向をもつ者が多い。一見中医学で言う所の「陰虚」に見えるが、陰虚のようにほてりなどの熱症状は持続しない。基本冷え症でほてりは急激かつ断続的、さらに熱感をおぼえた後、汗をかいて冷える。逍遥散との鑑別も必要とするが、逍遥散のように胃腸に配慮することが本方の目的ではない。したがって胃もたれ・下痢などの改善には不向きである。胃腸が弱くて食欲がなく、疲労倦怠感が強く、雰囲気も弱々しいといった、いわゆる「虚」の者に適応する方剤ではない。本方の「虚」は津液の枯渇と、腹に納めることの出来ない陽気の浮きとで観る。
柴胡桂枝乾姜湯:「構成」
柴胡(さいこ): 黄芩(おうごん):牡蛎(ぼれい):括呂根(かろこん):桂皮(けいひ):甘草(かんぞう):乾姜(かんきょう):

⑩抑肝散(薛氏医案)

 本方は自律神経失調や脳神経疾患(脳血管障害後遺症やパーキンソン病、アルツハイマー)などへの適応が有名であるが、不眠症・睡眠障害においても優れた効果を発揮する。「肝鬱」の適応方剤として怒気を含む精神症状を持つことが目標の一つになる。。
 江戸時代の名医・和田東郭は本方の適応を「多怒・不眠・性急」と端的に示している。寝つきが悪くイライラしやすい者。我慢ができず少しの刺激ですぐに怒気を発する者。鋭い怒気を発するが、どこか根がなく、むしろ怒気に振り回されてしまっている者に適応する印象がある。緊張は血の流れを結滞する。本方は結ばれた血脈を通じることで、手足・頭部といった末端にまで血行を促す薬能を備えている。内風をしずめる釣藤鈎を含むところも本方の特徴。怒気は風にて巻き上がると頭でこじれる。怒気とともに頭痛や耳鳴り、卒倒するようなめまい感を伴うこともある。不眠では黄連を加えることが多い。東郭は本方にかならず芍薬を加えて用いていた。
抑肝散:「構成」
当帰(とうき):川芎(せんきゅう):茯苓(ぶくりょう):白朮(びゃくじゅつ):甘草(かんぞう):柴胡(さいこ):釣藤鈎(ちょうとうこう)

⑪甘麦大棗湯・芍薬甘草湯(傷寒論)

 これらの方剤は子供の夜泣きに用いて著効を得ることが多い。薬能の主体は甘草や大棗による甘味である。「悲傷し哭を欲する」という弱さ故に発される訴えを、甘味を以てホッと安心させるという薬能を持つ。大人であっても不眠に用いる機会があり、特にヒステリー性神経症や自律神経失調症を介在させている場合に用いられることが多い。甘麦大棗湯は頻繁に「あくび」をするということが目標の一つになる。あくびの原因は未だ不明ではあるが、臨床的にも確かにこの傾向があり、問診中にあくびを頻発している者に用いて良い結果を招くことが多い。
甘麦大棗湯:「構成」
甘草(かんぞう):小麦(しょうばく):大棗(たいそう):
芍薬甘草湯:「構成」
芍薬(しゃくやく):甘草(かんぞう):

⑫補中益気湯(内外傷弁惑論)人参養栄湯(太平恵民和剤局方)

 日中活動する際に力を必要とするように、人間には夜間眠るための力がある。深く眠り、疲労を回復するための力である。この力が弱まると、寝ても熟睡できないとか、起きても疲れが取れないといった症状が出てくる。この力を「陰気」という。補中益気湯や人参養栄湯は気力を補う補気剤として有名だが、同時に陰気を補い、深い眠りへと導く補陰剤でもある。
 陰気は加齢とともにどうしても不足してくる。また過剰な肉体労働や継続する心理的ストレス、また夜遅くまでの労働などは、この陰気の消耗を加速させる。そして寝ても熟睡感がなく、朝疲れがとれていないという状況に陥る者が多い。補中益気湯は眠る力を強めて眠りを深くし、疲労を回復する力を強めることで日中の活動力や集中力を高めていく効果がある。これと同時に夜間に手足がほてり眠れないとか、寝汗をかいて眠れないといった熱証が伴う場合は、中医学でいうところの「陰虚」への対応が必要となる。人参養栄湯を用いる。
補中益気湯:「構成」
黄耆(おうぎ):当帰(とうき):人参(にんじん):甘草(かんぞう):白朮(びゃくじゅつ):陳皮(ちんぴ):生姜(しょうきょう):大棗(たいそう):柴胡(さいこ):升麻(しょうま):
人参養栄湯:「構成」
黄耆(おうぎ):当帰(とうき):人参(にんじん):甘草(かんぞう):白朮(びゃくじゅつ):陳皮(ちんぴ):地黄(じおう):桂枝(けいし):芍薬(しゃくやく):茯苓(ぶくりょう):遠志(おんじ):五味子(ごみし):

⑫人参湯(傷寒論)大建中湯(金匱要略)

 夜間に陰気が高まり、それが深まるためには、体内でそれを受け止める器が必要である。その器が腹中の「陽気」であり、これが弱いと深く眠ることができない。平素から冷え性で、色白で貧弱な印象を備え、特に胃腸が冷えやすく、胃もたれや胃痛・下痢などを起こしやすいという者。冬など夜間冷え込むときは、目がさえて眠れないということがある。人参湯は温裏の剤として腹の冷えを取り、胃腸の機能を正すことで身体を温める薬能を持つ。服用すると腹が温まり、ほっとして熟睡できるようになる。また夜間に腹が張って苦しく、同じ態勢を保てず七転八倒し、夜冷え込むとさらに悪く、寝ていられないという者。ここまでくると大建中湯またはその類方が必要である。寝る前に煎じ薬を温めて服用しておくと、腹の張りが軽くなりぐっすり眠れるようになってくる。
人参湯:「構成」
人参(にんじん):甘草(かんぞう):白朮(びゃくじゅつ):乾姜(かんきょう):
大建中湯:「構成」
人参(にんじん):乾姜(かんきょう):山椒(さんしょう):膠飴(こうい):

⑬天王補心丹(摂生秘剖)

 中医学において有名な不眠治療剤。「心腎陰虚」といって陰虚が深まった結果生じる熱証(興奮)を鎮めて、眠りへと導く薬方である。多くの補陰薬を配合し、かつ精神を安じる薬能や心臓の血流を促す薬能などが総合的に付随されていることから、漢方の睡眠剤といえばこれ、といった具合に頻用されている傾向がある。
 ただし本方は「陰虚」が明らかな病態でなければそれほど効果がない。夜間の手足のほてり・口乾・舌質紅絳などが揃っているような、明らかな陰虚の傾向を見て取らなければ運用の根拠にはならず、一律的に用いていても眠れるようにはならない。そもそも日本人には明らかな陰虚の傾向を持つ者が少なく、むしろ地黄剤を用いると胃がもたれるといった不快感を生じる方が多い。処方の適応を正確につかんで運用することが求められる。
天王補心丹:「構成」
生地黄(しょうじおう):人参(にんじん):丹参(たんじん):玄参(げんじん):茯苓(ぶくりょう):五味子(ごみし):遠志(おんじ):桔梗(ききょう):当帰(とうき):天門冬(てんもんどう):麦門冬(ばくもんどう):柏子仁(はくしにん):酸棗仁(さんそうにん):

臨床の実際

漢方による不眠治療のポイント

「日は陽たり、月は陰たり」これは『黄帝内経素問』という東洋医学の聖書に乗っている言葉です。日中つまり日が出ている時は陽気が盛んになります。これに乗じて人もまた陽気を謳歌することで、身体を動かしたり、集中して考えたりといった活動を行います。夜つまり月が出ている時は反対に陰気が盛んになる時です。そして人はこれに乗じて日中の陽気を鎮めてリラックスへと向かい、陰気が極まる形として睡眠を深めます。

地球の自転という環境の中で生まれた人体は、その環境の中で生きていけるように設計されています。逆に人間にとってこの環境に則している状態こそが、自然な状態ということです。日中は活動を高めて陽気を発し、夜間は陰気を深めて陽気が鎮まり眠る。この陽と陰との振幅によって、人は正常な活動と睡眠とを継続させていると考えるのが東洋医学です。

●眠りのメカニズムと東洋医学
漢方の不眠治療においては、この陰と陽との振幅を調えるというのが基本です。不眠に効果があると言われている漢方薬をいくら使っても、この理の中で運用できなければ下手な鉄砲と一緒です。陰・陽と聞くと概念的で難しく感じると思いますが、「体を温めるものが陽」、「睡眠を深めて体を修復するものが陰」、という程度に理解していただけるだけで良いと思います。そして辛味を持つ漢方薬で陽を高めて、滋味を持つ漢方薬で陰を深める、という治療を行います。さらに少しだけ深く言うと、陽は活動を促すと同時に陰気の深まりを支える器となり、陰は眠りを深めると同時に日中の活動を支えるものでもあります。こういった相互に関わり合う陰陽の状態をどのように見極めるか、というのがポイントになります。以下、具体的な治療方法の概要を解説してきます。

<漢方による不眠症・睡眠障害治療の実際>

漢方では陰と陽とのバランスを調えることで不眠を治療していくと解説しましたが、もっと簡単に、より具体的に言えば以下のような治療を行います。

1.起きていようとする体のスイッチを解除し、眠ろうとする方向へと向かわせる。
2.眠る力、深く眠ろうとする力を回復させる。

1は陽を落ち着ける治療が主となり、2は陰を深める治療が主となります。

1.興奮を解除することで眠りへと導く治療:陽気の沈静

身体には興奮を起こそうとする働きがあります。この働きが強く継続してしまっている場合、人は興奮を鎮めることができなくなり、眠りにつくことができなくなります。脳の問題として解釈されやすいこの状態は、実は体の方に問題があることによって起こることが多いのです。総じて興奮とリラックスは自律神経によって調節されています。自律神経とは脳ではなくあくまで体を動かす神経です。そして体のどこかに不具合があると、自律神経によってその部分の動きが悪くなります。するとリラックスする自律神経が働きにくくなり、興奮のスイッチが入りっぱなしになってしまいます。

東洋医学では興奮を起こそうとする働きを陽気といいます。そして継続する陽気、つまり興奮のスイッチを切るためには、これを鎮めるための要所を突きます。その要所にはいくつかありますが、特に不眠を主訴とする場合にポイントになるのは「心」「肝」と「胃」です。

●「心」「肝」の乱れ:「心火」「肝火」
心臓とは異なり、心とは一種の自律神経の興奮状態をつかさどる臓と考えられています。イライラして眠りにつけない・興奮して眠れない・寝たいのに目がさえて眠れないなどの入眠困難は、この心が過剰に興奮している状態によって引き起こされてきます。これを「心火」といい、心を瀉火することで心火を冷まします。良く用いられる方剤が黄連剤です。

大黄黄連瀉心湯、三黄瀉心湯、黄連阿膠湯といった方剤は黄連を主薬とし、特有の苦みで心火を瀉し興奮を鎮める漢方薬です。その他、交泰丸(こうたいがん)といって桂枝・黄連の二味で構成されている処方によって頓服的に眠りに導くという手法もあります。顔がほてり熱い・イライラする・ドキドキと動悸をうつなどの熱証を目標に用いられ、適合すると比較的迅速に眠りにつくことができるようになります。

また心火は同じく興奮をつかさどる肝と伴に燃えることが多い蔵です。そのため心肝の火を同時に冷ますという治療を行う時もあります。肝が乱れると興奮とともに過敏さ・固さといった緊張感が介在してくる印象があります。柴胡加竜骨牡蛎湯や柴胡桂枝乾姜湯はこのような時に用いられやすい方剤です。また抑肝散は「肝鬱(かんうつ)」と呼ばれる過緊張状態による不眠に用いられる方剤ですが、不眠では多くが黄連を加えて用いられます。総じて心火・肝火は、特に更年期や高血圧の方の不眠において発生してくる傾向があります。

●「胃」の乱れ:「胃気不和」
胃腸機能が乱れている方では不眠に陥ることがあります。胃は自律神経がリラックスへと向かうための要所です。胃活動が乱れていると、副交感神経が十分に高まることができず、興奮のスイッチが入りっぱなしになります。これを漢方では「胃気不和」といいます。過食の傾向がある・食後に胃もたれしやすい・胃が痛い・胃が詰まる・胃が硬いなどの胃部症状から、下痢しやすい・便秘してすっきり出ないなどの排便異常まで、消化管に不調和がある方ではこれらを漢方薬で改善するとぐっすり眠れるようになります。

極端に言えば胃の状態を改善する漢方薬は、すべて不眠に効く可能性があります。その中で胃気不和から不眠を伴うケースで特に用いられやすい方剤が、温胆湯や甘草瀉心湯、そして大柴胡湯や柴胡桂枝湯の類です。それぞれ運用の差はありますが、「心下(胃部)」の不調を取ることで自律神経の興奮を解除させる薬能を持ちます。また胃気の詰まりは心火や肝火を伴うことも多く、その場合にはこれらの方剤に適宜加減や合方を施して対応します。「胃気不和」による不眠の方では、精神症状や頭痛や耳鳴りなど首から上の症状に悩まれていることが多いため、胃の具合が悪いと気が付いていない方が多い印象です。枝葉の症状に惑わされず、病の根幹を見極めることが肝要です。

2.眠る力を深めて熟睡感を持たせる治療:陰気の回復

人は日中に消耗した体力の回復のために眠ります。つまり眠りとは身体を回復しようとする力そのものであり、この力によって深く・長い睡眠を得ることができます。漢方では陰気が眠りを深めると考えます。陽気を落ち着かせて眠りに導くと同時に、睡眠中の回復しようとする力を陰気が担っています。

陰気とは水として着想されることが多く、人体が持つ潤いに近い概念です。そして加齢とともに人はどうしても陰気を失っていきます。若い時はつややかで張りのある肌が、年齢とともにどうしても乾燥し張りが失われていきます。こういった生理現象の中で陰気の消耗が進むと、どうしても眠る力が弱まってきます。したがってご高齢者の睡眠障害では、陰気の消耗が絡んでいるケースが多くなってきます。

また日中の過剰な肉体労働や心理的ストレス、夜遅くまでの労働などは、この陰気の消耗を加速させます。疲れているのに熟睡できないといった状態では、陰気の消耗が強く絡んでいる可能性があります。漢方ではこのような加齢や過剰な労働による陰気の消耗に対して、「補陰(ほいん)」という手法を用います。睡眠障害の中でも特に熟眠障害において用いられる手法で、眠りが深くなった、寝起きがさっぱりとして疲れが取れるようになったという改善の仕方を導きます。

●「補陰剤」について
補陰剤として最も頻用されているのは、地黄剤ではないかと思います。特に中医学では不眠に対する補陰剤として地黄を含んだ天王補心丹が頻用されます。確かに地黄剤を用いて陰を補うことが必要となることもあります。しかし不眠においては地黄よりもむしろ人参の方が重要です。人参は気を補う補気薬として有名ですが、私見ではこれは明らかに補陰薬です。

人参は人体に潤いを持たせる薬能を持ちます。そして補中益気湯などの人参剤にて疲労が取れて体力がついてくるのは、眠りが深くなるためです。経験的には地黄剤よりも幅広く用いることができ、即効性をもって睡眠障害が改善されていく印象があります。そして睡眠の質が上がるとともに、日中の活動性も高まってきます。その他六君子湯や四君子湯などの人参剤でもそのような傾向が見て取れます。

地黄剤が必要となるのは、中医学的にいう所の「陰虚」、つまり煩熱が介在する場合です。夜間手足がほてって眠れない、寝ていると胸に熱感があり煩わしいといった熱症状が介在している場合には地黄剤を用います。その他、地黄を必要とする方では舌に明らかな症候が見て取れることが多いものです。こういった症候があって初めて地黄剤を用いる根拠になります。先の天王補心丹、または人参養栄湯や十全大補湯などが用いられます。

●深まる陰の器:腹中の陽
一方で深い眠りにつくためには、降り注ぐ陰液を身体内で支える陽気が必要です。夜間、身体内に冷えがある方では、その冷えを温めようと陽気が発動し興奮を起こしてしまいます。したがって内、特に腹中に冷えがある方ではその冷えを取らなければ熟睡することができません。人体の外側が冷え、内は温まっているという状態が、入眠にとってベストです。

人参湯や大建中湯が用いられます。夜間腹が張って苦しく、大便を出そうと思っても出ず、寝ていられない、こういった腹中寒の明らかな症候があれば大建中湯です。また人参湯は腹を温めることで胃痛や下痢を改善する胃腸薬ですが、身体を温めて体力をつける体質改善薬でもあります。人参湯の不眠への運用は大塚敬節先生の治験が有名で、睡眠薬をのむと胃の調子が悪くなる虚弱体質の方が服用したら、手足が温まって良く眠れるようになった、そしてしばらく服用を続けていたら体重が増え、血色も良くなったと解説されています。

3.陰陽両者のバランスを調える治療

陽を冷まして興奮のスイッチを切ることで眠りへと向かわせる。そして陰を補って眠る力を強め熟睡感を持たせる。上記ではこれらを区別して解説してきましたが、実際の臨床ではこれらが別々に起こっているということは比較的まれです。多くのケースでこれらは併存しています。そのため陰と陽とのバランスを調えるという治療が求められることが多く、その場合に用いられる主方が桂枝湯です。

●不眠治療と桂枝湯類
桂枝湯は「衆方の祖」と言われ、あらゆる漢方薬の原型であると言われています。その処方構成はシンプルでありながら、東洋医学思想・その哲学が色濃く内在している方剤です。ただしあまりに哲学的で基本処方としての性質が強いため、実際の臨床においてはそれほど運用されていません。特に不眠治療という場においては、天王補心丹や帰脾湯・酸棗仁湯などの方がずっと使われていると思います。

しかし不眠治療において桂枝湯、そして桂枝湯の類方は無くてはならない存在です。この方剤の意図を読み取り運用することで、多くの睡眠障害・不眠症が改善されるということが実際にあります。ただし桂枝湯はその分量や加減によって効能が全く異なる(時には正反対になる)ため、エキス顆粒剤では効果を上げることが難しいと思います。条件として煎じ薬をもって治療に臨む必要があります。

●桂枝湯と「虚労」
桂枝湯の雑病(慢性病)への応用は、まず「血痺虚労(けっぴきょろう)」という病態を理解する必要があります。「虚労」とは一種の疲労状態であり、疲労と同時に興奮のスイッチが入り、さらに胃気(消化管活動)を弱めていくという一連の病の流れを包括しています。興奮して外に熱を持ちますが、同時に胃腸が弱り内が冷えてきます。つまり興奮による熱のために陰気が消耗して眠りに導けず、胃腸が冷えることで内の陽を消耗し夜に集約してくる陰を支えることができない。少し難しいかもしれませんが、細かく言うとこのように陰陽・寒熱のバランスを崩した状態へと向かう疲労が「虚労」という病態です。

この「虚労」という病態を確認した上で桂枝湯の類方を用いると、服用したあとお腹を中心に体がホカホカと温まり、体から力が抜けて、眠たくなるという反応が出てきます。最も近い反応は温泉です。温泉にゆっくりつかって体がホカホカと温まったのち風呂から出ると、妙に眠たくなって気持ち良いという感覚を経験した方も多いと思いますが、桂枝湯類の反応はあれに近いものです。人によっては服用後に力が抜けて疲労感が強くなると訴える方もいます。これは本来感じるべき疲労感を感じれるようになった証拠です。一種の興奮状態は疲労が感じられなくなります。それが解除されて眠りへと導くためのサインが感じられるようになったということです。

そしてこの状態から取る睡眠は、眠りが深くなります。深く眠った後目覚めると、朝から頭がすっきりして日中の活動がはかどるようになります。日中の活動がはかどると、また気持ち良い疲労感を感じることが出来るようになり、それによってまた熟睡できるようになります。生活のリズムにメリハリがついてくるわけです。これが桂枝湯の薬能、つまり調和陰陽です。

このような「虚労」の流れの中で用いられる方剤は桂枝湯を中心にいくつかあります。桂枝湯・桂枝加竜骨牡蛎湯・桂枝加芍薬湯・小建中湯・当帰建中湯・帰耆建中湯・酸棗仁湯など。そして本来は虚労の適応方剤とは考えられていない帰脾湯や人参養栄湯・十全大補湯も、東洋医学(特に経方)の理論から言えば虚労に属する方剤です。それぞれ運用の差はありますが、総じて陰陽を調和させる方剤であり、臨床においては各々の適応病態を見極めてこれらの方剤を選用していきます。

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