「漢方と精神症状」

2021年10月14日

漢方坂本コラム

自律神経失調症やパニック障害など、

漢方では精神的な不調に悩まされている方からのご相談を多くお受けします。

これは当薬局に限ったことではないと思います。

漢方の看板を掲げているならば、多かれ少なかれ精神的な不調を治療する機会は必ずあるはずです。

そういう経験を重ねていく中で、少しお話しておいた方が良いかなと思う部分があります。

様々な媒体で「漢方は心の症状にも対応できる」と声高々に謳われています。

だからこそ、実際のことを、ここでお話したいと思うのです。

現実的に心の乱れを治していくためには、どのような考え方が必要なのか。

私見ではありますが、その点を少しだけお伝えしておこうかなと思います。

漢方と精神症状

不安や焦り、怒りや恐怖など。

このような気分の不調というものは、適切な漢方薬を選択することさえできれば、確かに漢方治療によって落ち着いてくることが多いものです。

そして同時に、これらは治療上きっちりと把握するべき重要な症状でもあります。

人それぞれの心の乱れ方、その特徴を知ることこそが、お体を把握する上での重要なカギになるからです。

心と体とを分けて考えず、互いに関連し合うものとして捉える「心身一如しんしんいちにょ」の考え方。

これは、「心の乱れ方から体の状態が分かる」ということのことわりでもあります。

人はどうしても、言葉や姿勢にその感情が出てしまいます。

そのため名医は何も質問しなくても、患者さまを見て、お話を聞いているだけで、そのお体の状態を把握してしまうものです。

例えば診察室に入ってきた時の患者さまの勢い、そしてその後のあいさつを聞いただけで、適応処方をズバリと当ててしまう先生もいらっしゃるほどです。

感情は、それほど如実に体の状態を表現します。

処方運用を得意とされている先生方は、皆一様にこの辺りの見極めがとても秀でています。

不安や焦り、怒りや恐怖、これらの心の乱れは、何が起こりやすいかによって体に生じている状況が異なります。

東洋医学の「五行」の考え方では、怒りがあれば「肝」の失調を疑い、不安や恐怖があれば「心」や「腎」の失調を想定するものです。

そういう考えをもとに、しばしば処方を決定していくことが基本です。

しかし、私はこの考え方には正直、かなりの疑問を持っています。

日々患者さまをみさせていただいている中で、どうやらそういうことではないぞ、ということに気が付いたからです。

確かに心の乱れは、その乱れ方の違いによって体の状況が変わってきます。

しかし単に怒りは「肝」、恐怖だから「心・腎」と、この理屈をそのまま臨床に応用することには無理があります。

間違っているとは言いません。しかし、相当に曖昧な解釈です。

そのためこの考え方で解決できるものは、極々わずかでしかありません。

もっと根本的な何か、を見る必要が絶対にあると思います。

例えば不安で食欲がなく、体力がないから「心」の弱りで加味帰脾湯。そんな使い方。

これでは不安は取れません。そういう現実を、何度も経験してきました。

またもし万が一取れたとしても、それは当たるも八卦・当たらぬも八卦、占いと同じです。

再現性が非常に乏しい。そう思い始めてから、

私は一旦、「五行」の考え方を捨てました。

精神症状をどう把握するべきか

五行の発想は極めて思弁的です。

心療内科的な病では、特にそう感じます。

「肝」と怒りとの関連については、確かにと思わせる側面もあります。

しかし、それさえも捨てました。「肝」と定義するとそこに縛られてしまい、そうでなかった時に対応が出来なくなるからです。

気持ちの乱れという症状。実際の臨床においては、それ自体の捉え方・・・・・・・・を考え直す必要があります。

まず第一に、

病であれば誰だって平常心ではいられません。そういう気持ちの乱れは、体のサインではなく、あくまで誰しもが感じ得る情緒です。

したがってそれは病態を示すサインにはなりません。しかし一方で、明らかに病態のサインとして生じている精神症状もあります。

この見極めが、まずは必要です。取るべきサインかどうか。ここを見極めなければなりません。

だいたいの所上手く治療できていないときは、この見極めが出来ていないことが多いものです。

生じている精神症状全てを拾ってしまうと、ただ混乱するだけで、病態の要点を掴むことができなくなります。

そして第二に、

感情は複雑なものです。それが当然です。したがって一律的に区分することなどできません。

人の感情は定義すること自体が難しい曖昧さを内包していて、

さらに単一で生じるものなどほとんどありません。様々な感情が混在していることの方が当たり前です。

複雑に絡み合うのが人の感情です。そして複雑なものを把握するためには、いかにシンプルに考えられるかが勝負になります。

そういう取り組みこそが、東洋医学が今までおこなってきた根本的な考え方であり、

人体という未知なるものを、複雑なままで理解してこなかったからこそ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、独創的な医学が作られてきました。

現実に起こっている現象から、病態を紐解く。

説明的な解釈や、思弁的な概念を排除する。

そういう姿勢が、漢方理論を作ってきました。だから、心の症状に対しても、そこに回帰すれば良いのです。

ハッとしたときに胸に手を置くしぐさ。

眉間にグッとしわを寄せた時に、力が入る箇所。

うわっと驚いた時に、肩や脇をすぼめる姿勢。

心の機微は、必ず何らかの形で体と紐づいています。

そういう実際の現象から、体の様子を紐解くべきです。

心の乱れは、必ず体に反映されます。そして反映される部分にこそ、その方が発している体のサインがあります。

漢方の先哲たちも、そうやって心と体との関連を知ってきました。

頭の中にある概念ではなく、前にいらっしゃる患者さまを観て、

そこから病態を紐解くからこそ、どの処方をもって気持ちの乱れを整えるべきかが分かってきます。

患者さまの中には、「いわゆる五行」などないのです。

「五行」という解釈は、私たちの頭の中だけにあるものです。

基礎を謳う現代中医学的解釈では太刀打ちできない病は多々ありますが、

精神症状はその最たる例だと、私は感じています。



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