特集・東洋医学雑記

天才数学者・岡潔の感性

今回は、私の漢方の考え方に大きな影響を与えてくれた、岡潔(おかきよし)の言葉を少しだけ、皆さんにご紹介したいと思います。理論・感性・想い・美しさ。共感・腑に落ちる・生きた智恵、そして情緒。そういう言葉で紡がれる、端的かつ衒てらいの無い文章。これは漢方、そして東洋医学の世界において、ある種の終着地点であり、「解答」です。

【名著紹介】大塚敬節先生著『漢方診療三十年(かんぽうしんりょうさんじゅうねん)』

やはりこの人は名医だなぁと、感じる本があります。著者は昭和の大家・押しも押されぬ名医・大塚敬節先生。数ある代表作の中でも特に血の通った名作、『漢方診療三十年』。私はこの本を、『傷寒論』をとてつもなく読み込んだ漢方家が書いた『傷寒論』だと捉えています。この本の文章、その所々から、傷寒論と同じ美しさを、是非感じてください。

東洋医学とエビデンス

医学にはエビデンスが必要です。しかし、どのような優秀で高度なエビデンスであっても、そこから漏れてしまう人は必ずいらっしゃいます。そういう人たちを支える医療があり、それがもし、医療の深みであるとするならば、漢方は医学に深みを与えることができます。漢方はもうすでに、「正解」が通用しない人たちに施せる医療に成り得ています。

東洋医学の科学化

東洋医学は「正しい想像性」により作られた医学です。科学を知らないからこそ、発揮できたとてつもない発想。情報が増えた私たちだからこそ、想像し得ないアイデア。そういう「想像性」こそが漢方の核心。だから私は、もし漢方の科学化を試みるのであれば、この想像性を理解し、想像力に敬意を払う人たちにこそ、行ってほしいのです。

花火散るが如く

誰にでも『傷寒論』は読める。しかし『傷寒論』を完全に読み解いた人は、今までの歴史上、一人もいない。なぜ少陰病に、大承気湯が書かれているのか。例えばなぜ陽明病に、麻黄湯が書かれているのか。『傷寒論』の骨格、六経病とは一体何なのか。『傷寒論』の著者、張仲景(ちょうちゅうけい)。燃え尽きる命を、多く目にしてきた聖医。

【名医伝】和田東郭先生語録

平成・令和の漢方が、昭和時代の漢方を礎としているならば、昭和漢方の礎は、確実に江戸末期にあります。今回紹介したいのは、江戸末期の漢方家尾台榕堂(おだいようどう)や浅田宗伯(あさだそうはく)、山田正珍(やまだせいちん)や山田業広(やまだぎょうこう)らが称賛した天才。江戸後期の名医「和田東郭(わだとうかく)」についてです。

【名著紹介】細野史郎先生編著『方証吟味(ほうしょうぎんみ)』

細野史郎先生。日本東洋医学会理事長にまで就任された名医。押しも押されぬ、昭和の大家の一人です。『方証吟味(ほうしょうぎんみ)』には、そんな細野先生の肉声を聞いているような生々しさがあります。漢方を志している方には是非読んでほしい名著です。いくつか読むべき理由があるので、今回はそれを紹介してみたいと思います。

【名著紹介】荒木性次先生著『新古方藥嚢(しんこほうやくのう)』

私の大好きな漢方家、「荒木性次(あらきしょうじ)」先生の「新古方藥嚢(しんこほうやくのう)」をご紹介いたします。荒木性次先生は、昭和を代表する漢方家で私と同じ薬剤師。湯本求真の弟子、その四羽ガラスの一人としても有名です。人が人生をかけると、どのような文書を書くのか。まだお読みでない方は是非。

恩師

私が最初にこの業界に入ったと自覚したのは確か23歳ころ、北里研究所東洋医学総合研究所薬剤部長であられた金成俊先生から『傷寒論(りょうかんろん)』の講義を直々に受けるという貴重な経験を積ませて頂いた。先生から教えて頂いたのは理屈や理論ではなかった。それよりもっと大切なこと、『傷寒論』の美しさや読むことの楽しさだった。

『岷山の隠士』

昭和後期の大家である山本巌先生は、数々の名著を残された漢方界の巨頭の一人である。私はある時期山本先生の著書を貪るように読み耽り、その中の一節から今までの自分を一変させる薫陶を受けた。臨床家とは何か、座学と実学の違いとは何か、多くのことを示唆する内容である。かなり長くなるが、この場を借りて是非紹介したいと思う。