漢方学習のススメ

花火散るが如く

誰にでも『傷寒論』は読める。しかし『傷寒論』を完全に読み解いた人は、今までの歴史上、一人もいない。なぜ少陰病に、大承気湯が書かれているのか。例えばなぜ陽明病に、麻黄湯が書かれているのか。『傷寒論』の骨格、六経病とは一体何なのか。『傷寒論』の著者、張仲景(ちょうちゅうけい)。燃え尽きる命を、多く目にしてきた聖医。

真冬のひとり言

どんなに優れた漢方家でも、最初の処方だけで改善するとは思っていません。もちろん改善するための最適解たる処方を出すのですが、名医であればあるほど、その薬が効かなかった時のことを、常に考え続けています。そして二診目の時点で、その処方を変えるのか、変えないのか。治療は道のりである、ということです。

漢方治療の心得 31 ~有限の医学~

江戸の名医、和田東郭の名言。無駄の無い処方運用こそが、術を上達させるという口訣。漢方の聖典『傷寒論』。そこに収載されている処方は、すべてシンプルです。簡潔な処方を、的確に運用すること。今、私たちに求められることは当にこれで、それこそがおそらく、有限の資源である生薬の枯渇を回避するための正しい向き合い方です。

人と腹と

漢方では古くから「腹」の重要性に着目し続けてきました。『傷寒論(しょうかんろん)』に記載されている「腹」という文字の多さや、江戸時代に隆盛を極めた腹診、稲葉文礼(いなばぶんれい)の名著『腹証奇覧(ふくしょうきらん)』の存在。漢方において「腹」とは見るべき体の要であり、生命活動を支える土台として、考えられてきました。

漢方とアート 10 ~生きた色~

漢方家は人を観ます。人を観て、症状を把握します。そして、その症状を消し去る方剤を出すことで、病を改善へと導いていくわけですが、その時、私たちが把握する症状は、そもそも非常に曖昧で相対的なものです。患者さまが訴える症状は、患者さまの人柄やその時々の状況、さらに我々受け手の状況によって、常に不安定に揺れ動いているものです。

漢方治療の心得 30 ~上手と下手~

昔、臨床を始めて間もない頃、風邪をひいた友人から、何の漢方薬を飲んだらいいのかと相談を受けた。ならばと意気込み、自分が漢方薬を出すから飲んでみてくれないかと、もちかけてみた。友人は、それを快く承諾。今回のコラムは、その一部始終です。理論・理屈で切り回そうとする頭でっかちな自分には、ガツンと響く、そんな経験だった。

混乱させる医学

曖昧なものを、曖昧なまま治療することの出来る医学。あたかもそう見える漢方ですが、実際には、決してそんなことはありません。東洋医学を構成する言葉は、基本的にすべて曖昧です。その曖昧さを、それで良しとしない姿勢が必要です。その努力の積み重ねによって、今日の東洋医学があるといっても過言ではありません。

漢方とアート 9 ~拒絶と気品~

修行時代、私は多くの先生方にお会いしました。そして先生方の治験例もまた、たくさん拝見してきました。今までどこに行っても治らなかった患者さま。その病を思いもよらない処方で、鮮やかに治療する現実を目の当たりにしてきたのです。驚くような結果が現れる時、そこには「自分だけで考えた何か」が、必ず介在します。

漢方とアート 8 ~根拠の意味~

想像力は、現実に対する戦いにおける唯一の武器である。ルイス・キャロルが残したこの言葉は、おそらく真理を突く言葉の一つでしょう。医学であろうと文学であろうと、人が織りなしたものには必ず想像性が介入します。想像性を確かなものにするために、科学というエビデンスがあり、また経験というエビデンスがある。

漢方治療の心得 29 ~処方の意図~

歴史上、はじめて世に漢方処方を打ち立てた『傷寒・金匱』。そこに収載される処方郡を「経方」と呼びます。これらの処方こそが、多くの処方の原型になっています。逍遥散の中にも、芎帰調血飲の中にも、一見ゴテゴテした漢方処方であっても、必ず経方から導かれる創作者の意図が潜んでいるのです。
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