漢方治療の心得 36 ~情報発信~ 東洋医学を医学として成り立たたせるためには、客観的かつ再現性を持った根拠を提示する、よりエビデンスレベルの高い水準が求められて然るべきです。ただし同時に、東洋医学は医療でなければなりません。医療であるということは、人が治せるということ。症状を消失させ、病による生活の質の低下から救済するということです。 2025年02月05日
漢方とアート 12 ~直線と曲線~ そもそも人間は自然物です。自然によって生まれ、自然の中で生きる自然の構造物です。曲線的で変化的、有機的で変則的。一方で医学とは合理的・人為的な「直線」をもって、人間という「曲線」を理解し、影響を与えようとするものです。医学は直線をもってどこまで曲線を測れるのか、その勝負をずっと続けているのです。 2024年12月23日
【名著紹介】大塚敬節先生著『漢方診療三十年(かんぽうしんりょうさんじゅうねん)』 やはりこの人は名医だなぁと、感じる本があります。著者は昭和の大家・押しも押されぬ名医・大塚敬節先生。数ある代表作の中でも特に血の通った名作、『漢方診療三十年』。私はこの本を、『傷寒論』をとてつもなく読み込んだ漢方家が書いた『傷寒論』だと捉えています。この本の文章、その所々から、傷寒論と同じ美しさを、是非感じてください。 2024年12月12日
漢方治療の心得 35 ~最大5%~ 医学において時代が変わるということは、闘うべき土俵が変わるということ。知識を古典から学び、基礎を得、素養・教養を育み、治療に臨む。但しその知識や基礎は、あくまで過去のもの。今、目の前に起こっていることではありません。だからこそ自分で解答を見つけ、時には基本を覆し、先人の意見に異を唱えながら、漢方は成長し続けてきました。 2024年10月16日
東洋医学とエビデンス 医学にはエビデンスが必要です。しかし、どのような優秀で高度なエビデンスであっても、そこから漏れてしまう人は必ずいらっしゃいます。そういう人たちを支える医療があり、それがもし、医療の深みであるとするならば、漢方は医学に深みを与えることができます。漢方はもうすでに、「正解」が通用しない人たちに施せる医療に成り得ています。 2024年09月18日
補と瀉 私はある時から漢方薬を使う際に、「補瀉」を考えなくなりました。「補法」と「瀉法」は漢方の基本中の基本でして、補瀉を考えてないなんて言えば、それこそ漢方の名医たちに怒られてしまいそうです。でもそうではなくて。虚実は知る必要があります。しかしそれを見極めたとしても、補瀉では治療を考えないということです。 2024年07月18日
東洋医学の科学化 東洋医学は「正しい想像性」により作られた医学です。科学を知らないからこそ、発揮できたとてつもない発想。情報が増えた私たちだからこそ、想像し得ないアイデア。そういう「想像性」こそが漢方の核心。だから私は、もし漢方の科学化を試みるのであれば、この想像性を理解し、想像力に敬意を払う人たちにこそ、行ってほしいのです。 2024年05月15日
漢方とアート 11 ~デザインの危機~ 漢方薬は「道具」です。人体に影響を与え、治癒へと導くための道具です。道具である以上は、必ずデザインされています。創作者の意図が、その構成に必ず介入しています。中国・漢代。未だ物資が豊かではなく、かつ薬が希少であった時代。その中で合理的・機能的な美しさを持つ薬を作り上げたのが、『傷寒論』の著者、聖医・張仲景です。 2024年04月23日
漢方治療の心得 34 ~名医誕生の正体~ 治療には合理的で整合性の取れた考え方が必要です。ただし、得てして正しい治療は、合理性や整合性だけで作り上げることはできません。理由はない、説明もできない、しかしそうだと直感的に思える視点が、時に必要です。それが核として、時に要素として、思考の中に組み込まれた時に、本当に正しい治療が行えるという実感が、私にはあります。 2024年03月13日
暮れとピカソとカルテ整理 身になる・腑に落ちる。漢方治療においてはこの感覚が、私はとても大切だと思っています。見て、聞いて、話して、試し、理解する。そういう「経験」を積み重ねる中で、なるほどなと、自身が深く、理解することが「実感」です。実感の無い理解は、ただ知っているだけに過ぎず、その知識は往々として、あまり臨床の役にはたちません。 2023年12月22日