【名医伝】和田東郭先生語録

2022年02月22日

漢方坂本コラム

日本東洋医学の歴史において、

最も重要な時代を一つ上げろと言われれば、間違いなく江戸時代です。

特に江戸後期から末期にかけて、さまざまな名医が実学を求めました。

それまであった、思想や理屈に拘泥しがちな東洋医学を、

多くの臨床家たちが独自の見解をもって、治療として成り立つ医学にまで昇華させました。

平成・令和の漢方が、昭和時代の漢方をいしずえとしているならば、

昭和漢方の礎は、確実に江戸末期にあります。

江戸の医学に称賛を惜しまない昭和の大家たちの発言は、

現在我々が目にいしている漢方がいかに江戸医学の隆盛に支えられているのかを、如実に物語っています。

江戸末期の漢方家といえば、

このコラムでもたびたび登場する尾台榕堂おだいようどう浅田宗伯あさだそうはくを筆頭に、

山田正珍やまだせいちん山田業広やまだぎょうこうなども忘れてはいけません。皆、天才としか言いようのない臨床家です。

そして今回紹介したいのは、その彼らが称賛した天才。

さらに一時代前である江戸後期の名医「和田東郭わだとうかく」についてです。

東郭先生語録

江戸後期のはじめ、京都において活躍した和田東郭は、

同じく京都の押しも押されぬ名医・吉益東洞よしますとうどうの門下生でした。

しかし必ずしもその医説に従わず、自らの道に進みます。

当時「万病は一毒によってなされ、毒は腹中に有り」とした吉益東洞に対して、

「ならば先生の腹はすこぶる綺麗なんでしょうね。腹を見せてください。」と、

真っ向から東洞を問い詰めたといいます。

この時代、吉益東洞といえば医学界の超大物ですから、

和田東郭の胆力というか、誠を貫かんとする意気込みには震えるものがあります。

東郭は数々の医書を残しましたので、そこから我々も彼の理論やその思想を知ることができます。

それがまた秀逸。一臨床家として、私も彼の言葉から多くのことを学びました。

今回はそんな和田東郭の言葉を、著書『蕉窓雑話しょうそうざつわ』より抜粋していくつかご紹介したいと思います。

漢方を志している方にとっても、とても面白い内容が多いので、

是非、東郭の言葉を聞きながら、江戸医学のありようを思い浮かべてみてください。

とにかく人は「実意深切」というものが第一である。
これに心をとめて尽くして見る時は、すなわち「忠」である。
この忠をつらぬく時は、岩をも通す力があるものだ。

(※筆者意訳・以下同様)

まず最初に紹介したいのがこの一文。

これこそが東郭の姿勢。彼の医に対する態度であり、彼自身のアイデンティティーだと私は感じます。

とにかく人を診察するときは、「実意深切」でありなさいと。行動の裏に、深い思いやりを持てということです。

そしてその心を強く宿せば「忠」、すなわち何事にもぶれない誠の姿勢が生まれると。

それを貫けば、その力は岩をも通すほどだというのです。

この人、ほとんど武人です。要するに侍のような人です。

多分、あまり笑わない人じゅあないかなぁ。いや、これ褒めてます。褒めているというとおこがましいのですが、要するに非常に実直な方だろうな、ということです。

ぜったいに治すぞという気概。その忠心を心に秘めて、おそらく眉間にしわを寄せながら常に病と闘ってきた人です。

そんな人となりがこの文章から伺えます。だからこそ、診察に当たっては、次のようなことが大切だと言っています。

病の人に対した時は、肩が怒らないようにしなければならない。
なぜならば、肩が怒るような時は、
こちらの気分の収まりが悪く、うわついているからである。
とにかく気を静めて、ただ向こうの言うことをふんふんと
聞いている気になって気を収めるようにする。
気が収まれば、肩が怒ることはない。

 

患者さまに対するときは、とにかく気を落ち着けろと言っています。

怒るな、気を急くなと。とにかく怒気を収めて、静かなる心持ちで病を見ろと言っているわけです。

硬く心に秘めた忠心は、ややもすれば強い態度として外に出てしまうものです。

治そう治そうと肩を怒らせ、人の話がきけない。それでは医術は行えないということです。

想いは強く、ただし態度は軟らかく。ある意味、謹厳実直な性格を持つ東郭だからこそ、この戒めを自らに心がけていたのでしょう。

東郭先生の人柄が見える気がしませんか。師匠であったら、きっと怖い方だったのだと思います。

怒気を持つ彼だからこそ、常に柔らかさを意識することの大切さを、こうやって説いているのだとも思うのです。

東郭先生はさらにこう続けます。

 

病人を見ている最中に、
これから何軒も何軒も往診しなければ、
などと気が急いてしまえば、
必ず見落としが出てしまうものである。
よくよく心得なければならない。

 

臨床家であれば、皆さん誰でも思い当たるフシがあるような、実にリアルな戒めだと思いませんか。忙しい時ほど気もそぞろ。先のことを考えて気が急いてしまう。

治そうという強い気概を持つからこそ、自らが感じたことをありのままに表現される東郭先生。

やはり、誠心・実直の方だと私は感じるのです。

さて、そんな和田東郭先生は、いったいどのような腕前を持った方だったのでしょうか。

臨床家としての姿勢、そして医に対する態度、確かに立派です。しかし、それだけでは名医とは言えません。

言うことは立派、でも治せる技量は無い、そういう臨床家は江戸時代にもごまんといました。

その中で名を残した名医。そんな東郭先生が残した口訣は、息を飲むほどの達人っぷりを私達にまざまざと見せつけます。見ていきましょう。

 

古き名医たちが病を診察する時は、
その色を望む場合でも目ではなく、
その声を聴く場合でも耳ではなく、
単に目や耳だけで人を知ろうしなかった。
故に病のサインを体表から察することができたのだ。

 

この意味、分かるでしょうか。

少し、難しいことを言っているように聞こえるかも知れません。

昭和の名医・松田邦夫先生は、この文章の意味をこう表現しています。

診察の極意、それは人の五感を越えた所にあると。

和田東郭は非常に勘の鋭い方でした。勘といってしまえば、まるで占いのような人智を超えた能力のように聞こえてしまうかも知れません。

しかし、そうではありません。あくまで誰であっても感じることができるものです。

ただし普通の方では気にもとめないようなことに、ちゃんと臨床上の意味をもたせることができていたのです。

例えば、心地よい朝日を感じれば息を深く吸い込みたくなります。その意味を、ちゃんと理解することができていたということです。

例えば、雨の日に一日中家で丸まって寝ている猫を見て、その意味をちゃんと理解することができていた、ということです。

私の例えが正しいかどうかは置いといて、とにかく患者さまから誰しもが感じ得る事象に意味をもたせることができていたのです。

何人もの患者さまを視てきた、その経験があるからこそ、普通の人では気にもとめないような確かな実感に着目できた。これが、単に目や耳で知ろうとしなかったという意味なのです。

 

常々言い示す通り、
総じて病人のいる所へすぐに入っていってはいけない。
必ず一、二の間をおいて、
まず何となくその形様を遠くからとくと眺めてみなさい。
(中略)その歩きようや、座りようなどの勢いをチラチラと見ておいて、
その軽重や虚実の大枠を一つ心に認めておくようにする。
反ってこのチラと見ることによって、よく分かるものです。

 

多くの病を治してきた名医だからこその口訣です。

実際にこういうことは、本当に良くあることなのです。

患者を目にした瞬間に感じる印象。そして本人が無意識に起こしている態度。こういった患者自身さえも気に留めていない様子こそが、その方の状態を如実に物語ることがあるのです。

これは、臨床家であれば誰しもが共感できることだと思います。もしかしたら東洋医学に留まることではないと思います。

勘といってしまえばそれまでですが、当てずっぽうでは決してありません。

見た瞬間に「なるほど」と、理解できるものがあるのです。

では、何故それができるのでしょうか。

まず第一に、今まで何人の患者さまを診てきたのか。

その数がものを言うと思います。

さらにその極意を、東郭先生は以下のように説明しています。

私はこの言葉を目にしたときに、背筋に鳥肌が立ちました。

 

患者を視る時に、
患者を視ているとは思ってはいないのだ。
患者をもって我と為す。
つまり彼・我を分けて考えていないのである。

 

没我の境地。

患者に起こっていることを、まるで自分に起こっているかのように感じることで、その具体的な病態を実感し得たのです。

研ぎ澄まされた臨床感覚。

東郭先生の言葉は、卓越した腕を持つ臨床家だということを証明するだけでなく、

確かにそうだと感じさせる説得力があります。臨床家として感じ入るものが、確かにあるのです。

厳格かつ実直な医道への熱意。そういう志を持った人間だからこそ、到達することの出来た境地なのでしょう。

ただし、医道はただそれだけを行っていたとしても、決して極められるものではありません。

むしろ普段の生活に転がっているさまざまな事象に、目を向けることが大切だと。

さまざま物事に想いを馳せ、感動し、気付かされる感受性を持つこと。

東郭先生は、そう我々に教えを説いています。

何をしていても道につなげることが出来るからこそ、医道は深く、高く達することができるようになるのです。

医たる者、よく医道に心を用いるときは、
事々物々の中に、自然と我が道の法則と思い合わすべきことを遇しているものだ。
(中略)庭の樹木を見るときも、山に遊び水に浮かぶときも、
また煙草盆一つを手に取ってみるときでも、
事々物々の中に自然と我が術の工夫の手がかりとなることが遇している。

 

感受性こそが大切です。

一筋に漢方を思い続けるからこそ、何気ない日々の生活の中から多くのヒントが生まれてくるということです。

そして道を極めると、ある結論に達します。

和田東郭先生の言葉、その中でも特に有名な至言。

「用方簡なる者は、その術日にくわし」

到達する答えは、常にシンプルであるという口訣です。

処方を簡(簡潔)に用いる者は、
その術が日を追うごとに精通してくるものだ。
しかし処方を繁(繁雑)に用いるものは、
その術が日を追うごとに粗くなるものである。
世の中の医者は、ややもすれば簡であることを粗となし、
繁雑なものを精だと勘違いしている。
哀しいことだ。

 

和田東郭、その臨床の境地。

彼以後、江戸漢方は隆盛を極めるとともに、実学として性質を濃く色づけていくことになります。

その誠心・実直な意思と、類まれなる観察眼をもって、

後の医道に大きな影響を与えた和田東郭の言葉。

いかがでしたでしょうか。感じ入るものがありましたか。

後に浅田宗伯に絶賛されたことや、抑肝散や四逆散の運用に長けた名医として有名ですが、

それ以上に彼の根底にある、臨床家としての卓越した思想こそが、名医たる所以なのだと私は感じています。

私事ですが、先代である父は特に和田東郭を愛した人でした。

どこで作ったか分かりませんが、当薬局の壁には「和田東郭方函」と銘打たれた161処方が刻まれています。

父も書を読むときは、よく眉間にしわを寄せていました。

そして患者さまを見るときは、わざと深く腰掛け肩を脱力させていたように思います。

性格的にも、東郭先生の言葉に感じ入るものがあったのでしょう。

今ならば分からなくもない。確かに至言だと、私も思うのです。

私の中で、父と東郭先生とはどこか重なる部分があります。

怒気を内包した鋭さというか。私にとっては怖い人だったからこそ、

東郭の言葉を見ると、まるで父に言われているように感じるのです。

最後に、東郭先生の言葉をもう一つ紹介して終わろうと思います。

私自身への訓戒として。

これは父から受け継いだ、当薬局の本旨であると、私は理解しています。

医の任務とは、ただ病を察するのみ。
富貴を観るのではなく、ただ病を察す。
貧賤を観ることなく、ただ病を察す。
たとえ激しく訴える病を見ても落ち着け。必ず劇中の易を察せ。
たとえ軽そうな病を見ても軽視するな。軽中の危を察せ。
これを肝に命じて、ただ病を直視しろ。
それこそが医の任務。病を察するの道なり。



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