今から約三、四十年前くらいでしょうか。
若い薬剤師たちの間で、漢方の勉強が流行した時代がありました。
経緯は良く分かりませんが、薬局経営に新たな道を見い出さんとする試みだったのだと思います。
あちこちで薬剤師主導の勉強会が開かれ、その結果、漢方薬局がどんどん増えていきました。
現在、商店街にはポツリポツリと漢方の名を冠した薬局が見受けられますが、
中には哀愁を漂わせている薬局もあります。もしかしたら、当時の漢方ブームの中で開局された薬局なのかも知れません。
景気の低迷や後継者問題など、多くの理由から存続が難しくなっている薬局も多いと聞きます。
とても勿体ないと思うのです。
当時の漢方薬局には活気がありました。高い志と、熱い気迫に満ちた薬剤師の若人たちが、その薬局には確かに存在していたのです。
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その熱い志を体感できる本があります。
細野史郎先生編著『方証吟味(ほうしょうぎんみ)』。
当時の薬剤師たちが行っていた勉強会を、そのままリアルに記述している書物です。
薬剤師たちは自らの腕を高めるべく、名医に直接教えを乞うた人達がたくさんいました。
その熱い気持ちに応えたのが、細野史郎先生。
日本東洋医学会理事長にまで就任された名医。押しも押されぬ、昭和の大家の一人です。
この書物は、そんな細野先生を若い薬剤師たちが囲むという形で展開していきます。
薬剤師が自分の症例を上げ、それを先生が「吟味」していくという内容です。
問答という質疑応答形式で書かれているところが、とてもリアルで良いのです。
まるで細野先生の肉声を聞いているような生々しさがあります。そして、薬剤師たち生徒の熱意もまた、直に感じられるような熱い書物です。
昔、私も読みふけった本ですが、久しぶりにこの前、開いて読んでみました。
やはり良い本です。漢方を志している方には是非読んでほしい。
いくつか読むべき理由があるので、今回はそれを紹介してみたいと思います。
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まず、この本を読むべき理由の一つ目は、
とにかく細野先生の言葉に尽きます。
その言葉には、まったくもって容赦が感じられないという点。
そこが良いのです。この容赦の無さこそが、本書最大の面白さだと私は感じます。
多分、生徒さんたちは漢方を始めてまだ数年という所ではないかなと。
だとしても、細野先生には関係がありません。
生徒が症例を上げて、こういう薬を使いましたと報告するのですが、
それを細野先生は、バッタバッタと切り捨てていきます。
「それでは治らないでしょうね。」
「あなたたちは薬を出すのが下手ですね。」
もうけちょんけちょんに言います。気持ち良いくらいで、読んでいる私も切られている気分になります。
そしてその後、細野先生がご自身のお考えを述べられる。
それがまた、一臨床家として実に血肉の通った内容なのです。
基礎理論とはまた違う、先生の技や術のようなもの。
それを、理路整然と述べられています。
まさに真剣勝負。
きっと聞いている生徒さんたちの眼差しが、先生から生きた技を引き出しているのだと思います。
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次に、読むべき理由の二つ目です。
この本には、決して漢方の解答が書かれているわけではない、という点です。
実際の患者さまとの症例をもとに話が展開されているという内容。
それこそが、本書が秀逸である所以です。実際の臨床では、解答そのものよりも、解答へと導く能力の方がずっと重要だからです。
こういう手もある。こうすべき状況なのかも知れない。
これを質問するべきだった。こういう選択枝を考えたのか、など。
臨床では数多の可能性を議論・吟味していくことがとても大切です。
そういう生きた内容を持つ本だという所が、とても素晴らしいのです。
通常、漢方の書籍の多くは、その著者の解答が記されています。
私はこう考える。私はこうやって治した。そういう結果をドンと提示して、その上で議論を進めていくのが普通です。
しかし、本書はそういう形式を取っていません。
現実的な臨床を、そして実際の勉強会を、そのまま記しているからこそとてもリアルに感じるのです。
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細野先生の本気と、集まった薬剤師たちの熱意。
そういう生々しい情景を記した本書。もしご興味があれば、ぜひともご一読を。
「名医から教えを乞う」とはこういうことなのかと、身が引き締まるのではないかと。
「学を深める」ということの実像が、本書にはあると思います。
今考えれば、
私の父も、当時の薬剤師たちに起こったブームの中で、漢方の勉強を始めた者の一人でした。
薬局の相談机には、今でも父が所持していた『方証吟味』が置かれています。
擦り切れたカバーをめくると、ページ一面に線が引かれていて、
中には父のメモが無数に記されている。高い志と熱意とをもった、薬剤師の一人だったのだと思います。
父には運よく後継者がいました。その熱意をそのまま受け継いでいると、私の自負するところではあります。
しかし、その志を継承できなかった薬局も、数多くあるはず。
本書から感じられる当時の活気。それが時代とともに失われてしまうことを考えると、
私はほんとうに勿体ないと感じるのです。
熱い志をもった若者にこそ、紹介したい名著です。
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