少し驚いた話。
当薬局にて治療中のある患者さまが、
腸の内視鏡検査を行った所、
とてもキレイな腸をしていると、お褒めの言葉を頂いたそうなのですが、
同時に先生から「漢方薬を飲んでいるの?」と、当てられたそうです。
飲んでいることは伝えていなかったので、
驚いて、「そうです」と答えたはものの、
なぜ分かったんだろうと不思議に思って、
思い切って尋ねたところ、その先生曰く、
「この腸の映像は、漢方を飲んでいる人の腸だよ」と。
その話を聞いて、正直私も驚きました。
漢方薬を飲んでいると、腸の見た目で、それが分かるのかと。
初耳でした。
ただどこか、納得できる部分も、あるかなと感じたのです。
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前提として、お身体に合った漢方薬を服用されている場合の話、だと思います。
もしそうであるならば、
きっと漢方薬は、腸の状態を良い方向へと向かわせることが、確かに出来るのではないかと感じます。
それは、たとえ胃腸の漢方薬を使っていなかっとしても、
例えば、動悸や頭痛、めまいや不眠、疲労倦怠感や浮腫みなど、一見全然関係のない治療を行っていたとしても、
それでもこれらの症状が改善へと向かう漢方薬を、服用されているのであれば、
腸も同時に良い状態へと向かうはずです。
そもそも漢方薬は、「飲み薬」です。
すなわち、体内に入る時は必ず、胃腸を経由しなければなりません。
甘さや辛さ、苦味や酸味、漢方独特の刺激が、
腸に影響を及ぼしながら、体内に入っていきます。
だから胃腸に何の働きかけもしないと考えることのほうが、不自然です。
さらに、漢方薬を服用された時の、患者さまのリアクション。
見ていると、確かに腹から効いていると感じるところがあります。
飲むとすぐに、芯からじんわりと、体があたたまる。
服用すると、気持ちがすっと落ち着く気がする。
人によっては、このような迅速な効果を感じることがままあります。
それを目の当たりにするたびに、
全身をめぐってから効果を発現するというよりは、
胃腸に入った瞬間に、効果を発動しているような印象を受けるのです。
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人と腹。
漢方では古くから、人にとっての「腹」の重要性に、着目し続けてきました。
『傷寒論』に記載されている「腹」という文字の多さも然る事乍ら、
江戸時代に隆盛を極めた腹診(腹を手で触知する診察法)や、
稲葉文礼の名著『腹証奇覧』の存在。
漢方において、「腹」とは見るべき体の要であり、
生命活動を支える土台として、考えられてきました。
胆力・丹田・腹を抱える・腹ワタが煮えくり返る、
人が何かの力を発動する際に、「腹」を示す言葉が使われる。
そこには何か理由があると、私は思うのです。
少なくとも漢方を生業とする者ならば、
腑に落ちる側面が、少なからずあるはずです。
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現在、飛躍的な発展を遂げ続けている西洋医学。
今では人体の具体的な働きが解明され、
腹の中にある様々な臓器が、各々異なる機能を有しているという理解が常識になりました。
そして細分化が進み、各臓器ごとに専門の知識が必要になり、
それによって、さらにきめ細やかな配慮が出来るようになった。
江戸時代に比べれば、夢のような医学だといっても良いでしょう。
しかし、腹は腹。
人体を総じて観るからこそ見えてくる、腹の役割。
そういう視点が、必要なのではないでしょうか。
細分化が進む、今だからこそです。
もし漢方を服用することで、変化してくる腸の見た目があるならば、
それは漢方が腹に何かを働きかけているという証左。
そしておそらく、漢方が腹に及ぼす影響の一端にしか過ぎないでしょう。
なぜならば、古人は腹を、もっと大なる視点で見ていたから。
私は人が爆笑する時、
脳で笑っているようには、どうしても思えないのです。
赤ちゃんが大きな声で泣く時も、
脳で泣いているようには、どうしても思えません。
腹で笑い、腹で泣いているように、私には感じられます。
腹の波動が、全身に及ぶ。
これは比喩ではなく、
現象として、そう見えるのです。
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