今回は、何それ?と思われそうですが、
私の「口癖」を一つ、ご紹介します。
何かを考えている時の、私の口癖。
大声で言うわけではないので、安心してください。
人に聞かれることは滅多にありません。
ただふと、声に出してつぶやいてしまいます。
車を運転している時や、シャワーを浴びている時、
トイレに入っている時や、ただ歩いているだけの時も、
何かを考えている時に、つぶやいてしまう口癖。
それは、
「どこかに必ず、ポイントがある。。。。」
意味不明、ですよね。
カッコつけてるみたいで、恥ずかしいのですが、、
ただこれ、本当です。
ふとした時に、つぶやいてしまいます。
・
漢方治療には、
残念ながら、決められた「答え」というものが用意されていません。
チャートやパズルのように、解答までの道筋があらかじめ決められていたら、どんなに楽でしょう。
どうしてもその都度都度で、解答の導き方を考えなければなりません。
凡そのフォーマットがあることは確かです。
ただしそのフォーマットも、教科書通りには決していきません。
自分で作り出すしかない。
だから漢方治療は、一つ一つ、たくさんの問題を解決し続けなければ、成功へと到達することができません。
・
この一つ一つの問題をどう解決していくのか。
日々この作業を行う中で、ある時、分かったことがあります。
それは、答えは「新しく生み出されるものではない」ということ。
すでに知っていたことに、「気が付くもの」です。
0から1を生み出すものではありません。
その解答は、いつだって改めて、気が付くものです。
臨床で、実際に結果が出る解答が導き出せた時、
沸き起こる自分の感動は、常に「そうだったのか」という、気付きです。
うそー!とか、そんなことあるんだ!とか、
そういう感動は、ほとんどありません。
そこがポイントだったのか、と。
すでに知っていたけれど、そこに紐づけすることが出来なかったという感覚です。
人は何らかの問題に直面した時、
その解答は、おおよそ自分の中にすでに用意されています。
そこに気が付くことができないから、問題が解けない。
0から1を生みださなければならない問題なのであれば、
その時点で漢方治療の範疇ではない、そう割り切っても良いくらいです。
そして、自分の中にすでに用意されている何かは、
勉強してきた「知識」というだけではありません。
もっと感覚的なもの。知識というより、実感として感じていたもの。
解答にたどり着いた時の感覚は、「発見」ではなく、
いつだって、「納得」です。
・
だから私は、
漢方治療において、解答はすでにそこにあるものだと考えています。
患者さまの中にすでにあり、
自分自身の中にすでにあるものです。
患者さまと自分、そして生薬と漢方処方。
私が出すべき解答は、この中にすでに用意されて、必ず存在しているはずです。
そして実際に難しい問題であっても、そこに気が付くことで、結果を示すことができるという事実がある。
ならば、足りないのではなく、
気が付ついていない何かを探す。
すなわち、どこかに必ず、気付きに到達するためのポイントがあります。
・
私の漢方治療を支えているのは、
どこかに必ずポイントがある、という確信です。
患者さまと私、その中にすでにある。
足りている。
それが、私の沈思黙考のスタイルです。
ただ、たまに出ちゃうんですね。
口からぽろっと。傍から聞けば、脈絡なぞ全くありません。
ただ、この口癖が出る時は、私の状態が良い時です。
必ずポイントはある。
相談中に聞こえてしまったら、お、先生のってるな、と思って、
お願いです、その時は是非、優しくスルーしてください。。。
・
・
・