みぎひだり
交互に詰まる
梅雨の鼻
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梅雨ですね。
私は毎年、梅雨になると鼻が詰まります。
ある時から始まったこの風物詩は、今年もやっぱり起こりました。がっくし。
対応の仕方や効く薬は分かってきたのですが、
梅雨の間はどうしてもゼロになりません。
多分、日々生活の養生に隙があるのだと思います。
お願いする立場でありながらの節制不足。不甲斐無さを痛感しております。
とはいえ私は、梅雨が好きです。
梅雨特有の空気というか、梅雨が作り出す空間の質がとても好きです。
例えばグレーに染まる空とか、夜に光る濡れたアスファルトとか。
車があげる水しぶきも良いです。目の前を通り過ぎて、音が消えていく感じが好きです。
何より出不精の私には、家にいて良いよ、と言われている感じがして心地がよく。
いつも以上に寝ているお萩(飼い猫)も見ているのも心が和みます。
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昔、高校生の時パリに行きました。
そしてあのグレーに染まる街が、私はとても好きでした。
もともと雨が多い町だそうで、重い雲が街全体に広がっていました。
空も壁も石畳も、すべて濃淡の異なるグレー。
雨がシトシト、そして濃淡に艶が生まれる。
そんな街を、ネイビーのピーコートを着た金髪の人たちが、傘もささずに歩いているわけです。
たまりません。色と光と、空気と湿度が織りなす街全体の空間の質。
こういう町で育ったならば、きっと独特の感性を持ち合わせるのだろうなと、高校生ながら感じたものです。
世界から見た時、日本はどう映っているのでしょう。
日本の風土というか、空間の質。
やはり海外の人から見たら、独特の、他にはない空気を感じられるのではないかと思います。
日本に住んでいると、どうしても毎日が当たり前で、
ここだからこそ感じることのできる空間の質を、意識することがなくなってしまいます。
勿体無い気がします。
ただそれは、決して悪いことでは無いとも思います。
意識しないということは、とても美しいこと。
外連が無い。
当たり前に行っている動作や思考にこそ、美しさが宿ると思うのです。
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なぜ自律神経は、自律して働いてくれているのでしょうか。
自分の体は、自分の意思でコントロールすることができません。
そういう作りになっています。人間は自分の意志で生きているように見えて、実はそれだけでは生きてはいけません。
全自動であらゆる刺激を感知し、そこから然るべき動きを導く自律神経の働き。
そういう神秘を宿しているのが人間です。
意識の向こう側にこそ、それがあるということです。
何もしない。
意識もしない。
意識しないで済むことこそが、人が持つ本来の美しさ。
だとしたら、人はそもそもが美しい。
自律神経が調うとき、
必ず起こる「治り方」というものがあります。
それは「そう言えば症状が無くなってる」と、後から気が付くということ。
そう言えば調子よかった。
言われてみれば、あの症状を感じない。
意識しないということ。
私の鼻はまだ、梅雨を私に意識させ続けています。
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