悟りの実験

2023年03月17日

漢方坂本コラム

こんな話があります。

ある実験のお話です。

お坊さんと一般人との、差を知ろうとした実験。

両者にゴーン・ゴーンという鐘の音を聞かせ続け、

その脳波を調べるという実験です。

同じ音を、一定のリズムで、

長い時間、聞かせ続けます。

脳波はその音に反応し、上下を繰り返しますが、

お坊さんと普通の人とで、どう違いが出るのでしょうか。

まず普通の人は、

鐘の音を聞かせると、最初に大きく脳波が動きます。

しかし徐々に鐘の音に慣れてくる。

繰り返し聞かせ続けると、徐々に脳波の揺れが少なくなっていきます。

完全に無くなることはありません。しかしどんどん小さくなっていきます。

これが普通の反応だとすると、

お坊さんでは、脳波はどう動くのでしょうか。

悟りを開いたお坊さんであれば、

鐘の音ごときでは、脳波は動じないのかも知れません。

また感覚が研ぎ澄まされたお坊さんであれば、

脳波は逆に、聞かせ続けるたびに、どんどん大きくなるのかも知れません。

しかし、そうではありません。

結果はこうです。

一回目の音に反応する脳波の強さは、一般人と同じ。

しかし、慣れることがない。

聞かせ続けていても、一回目の脳波をまったく変えずに、

ずっと同じ強さで揺れ続けるのだそうです。

「悟り」とは何か、

それを考えさせられる実験です。

慣れない心。常に安定した心とは、

変わることのない感動を、受け続けれられる心持ちのことを言うのかも知れません。

人は他を見て影響を受けると、

当然自分の中に変化を感じます。

良い変化も、悪い変化もある。

ただし、必ず慣れる。そして、もっと違う変化をと、どんどん新しい刺激を求めたくなります。

新しい刺激で変わり続ける心。

そして、人はどんどん変化を繰り返していきます。

しかし、たとえ変化したとしても、変わらない何かが必ずあって、

その変えようと思っても変わらない何かが、

人の本質に近いものなのではないでしょうか。

新しい刺激によって変化するということは、

その変わらない何かに、気が付かなくなってしまうことなのかも知れません。

さまざまな情報に触れているうちに、本来当たり前のように知っていることに飽きてくる。

そうやって飽きてしまえば、それは自分にとって、大切なものではなくなっていきます。

しかし、その変わらない何かこそが、人の本質であり、答えなのだとしたら、

そこに気付き、大切に出来ることが、

「悟り」という境地なのかも知れません。

漢方治療に携わっていると、

この感覚が、しばしば大切なのだろうなと感じることがあります。

「悟り」などという大げさなものでは決してありませんが、

慣れずに観れるかどうか、

それが、大切なんだと感じる瞬間があるのです。

例えば勉強すればするほど、多くのものが見えた気になります。

そして新しい知識を入れる一方で、本当に大切な知識を見失うことがあります。

また患者さまを治そう治そうと、意気込む時もそうです。

患者さまから多くの情報を得れば得るほど、情報の波にのまれてしまうことがあります。

本当に大切なのは、いつだって「当たり前のこと」。

患者さま自身も、当たり前過ぎて気が付かなかったこと。

その当たり前を、二人で見つけていくことが、

上手な治療を導く最大のコツだと、私は感じます。

思うに、人は生きているだけで、すでに完全体です。

物を食べ、空気を吸い、汗をかいて、排泄をする。

その当たり前のことが出来るだけで、人は人として成り立っています。

地球や他の生き物からすれば、人はそれだけで十分に役に立っています。

しかし、それだけでは人は満足しません。

新しい文化や文明、常に新しい何かを探して感動を求めています。

本当は、自分の体にもともと備わるものこそが、

何物にも代えがたい、感動するべきものなのに。

当たり前のことに、気が付けるかどうか。

そして、それを大切に思えるのかどうかが、

どうやら治療の本旨であると。

「悟り」の実験を知った時、

私は、そんなことを感じました。



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