漢方とアート 7 〜ファッションとスタイル〜

2021年04月16日

漢方坂本コラム

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ファッションは色あせても、スタイルは永遠のものだ。

-イヴ・サン=ローラン-

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先日、久しぶりに師匠と電話をした。

その際、ある皮膚病の話になった。

師匠曰く、その病に関しては、私の方が治療経験が多いとのこと。

だから「治し方をレクチャーしてよ」と、

そう、師匠に頼まれたので、僭越せんえつながら思うところを師匠に申し述べてみた。

「弟子に教わる、っていうのは理想的な形だよね」と、

師匠は笑いながらおっしゃられた。

それってなかなか出来ることではない。

師匠のふところの深さを、改めて垣間見た気がした。

後日、師匠からメールが届いた。

早速、僕がお伝えしたことを、患者さまに試してみたのだという。

「坂本君の教え、ありがたやー。」とのメッセージ付きで、

治療前・治療後の患部の写真が送られてきたのである。

そして見て驚いた。

劇的に改善されていた。

お伝えしたのは、まだまとまってもいない、ちょっとしたアイデアにすぎない。

それなのに、ここまでの結果を出されている・・・

私は舌を巻く思いだった。

そして、またその後日。

師匠と電話をした。そこで、師匠に聞いてみた。

この前の症例、結局何を使ったんですか?と。

単刀直入に、出した方剤をたずねてみた。

「何だと思う?・・実はね・・・」と。

先生は使った処方を私に教えてくれた。

驚愕した。そうきたか、と。

私は絶対に出さない、そう思うような処方だった。

そして思い出した。

今まで何度となく感じていたこと。

「エレガント」

師匠の治し方は、いつだってそうだった。

優雅で無駄がなく、それでいて鋭い。

それが師匠の「型」。独自のスタイルだった。

漢方の世界では、正解は一つではない。

正しさは常に複数個ある。その中で、何を選択するかはその人の経験と感覚とにゆだねられている。

だから、感覚を磨くことがとても大切になる。

ただしその感覚は、多くが時代の「流行」に左右されている。

漢方にも流行がある。

日本漢方や中医学、現在日本で行われている東洋医学にはたくさんの「流行」が存在する。

そしてその流れの中で治療することは、ある意味でたやすい。

ただしそれは、多くの場合でその人の「型」ではない。

今までの歴史上の名医には、必ず「型」があった。

尾台榕堂(おだいようどう)には尾台の、

浅田宗伯(あさだそうはく)には浅田の「型」があった。

そしてその「型」はたやすく真似できるものではない。

明確に在るものなのに、それを真似しようと思ってもなかなか思うようにはいかない。

しかし、だからこそ人は追従する。

その「型」を求めて、後世の人たちがそれを求め続けていく。

そしてその結果、「型」は残る。

「型」にまで高められたものは、廃れることなく、後世に残り続けていくのである。

「流行」は消える。いつか必ず他の流行に取って代わる。

しかし「型」は残る。一つの正解として、衆方の規矩きくとなり残り続けていく。

なにが淘汰されていくのか。

そして何を新生するべきなのか。

道であるならば、残り続けたい。

「型」にまで昇華する道のりは、まだまだ遠い。



漢方とアート

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※コラムの内容は著者の経験や多くの先生方から知り得た知識を基にしております。医学として高いエビデンスが保証されているわけではございませんので、あくまで一つの見解としてお役立てください。

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