暮れとピカソとカルテ整理

2023年12月22日

漢方坂本コラム

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子供は誰でも芸術家だ。

問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。

-パブロ・ピカソ-

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年の暮れ。

いよいよ一年の締めくくりが近づいてきました。

この時期、私は今年の総括を含めてカルテ整理をします。

自分が成長できているかどうか。

厳しい目で、自身を見直す恒例行事です。

こうしてみると以前に比べて、分かることも多くなってきました。

しかし、未だに分からないことも、沢山あります。

先哲たちが残したヒントと、日々患者さまたちが与えてくれるヒント。

一つ一つのヒントを大切にしつつも、

それが、実際に身になっているのかどうか。

そんな自問自答を重ねる、毎年の恒例行事です。

今年一年、ありがたいことに、

今後の糧となる経験を、たくさん得ることができました。

身になっているな、という感触が確かにあります。

なるほど、と腑に落ちる経験を、何度もさせて頂きました。

身になる・腑に落ちる。

漢方治療においてはこの感覚が、私はとても大切だと思っています。

それは「知る」こととは、全く違います。

見て、聞いて、話して、試し、理解する。

そういう「経験」を積み重ねる中で、

なるほどなと、自身が深く、理解することが「実感」です。

実感の無い理解は、ただ知っているだけに過ぎず、

その知識は往々として、あまり臨床の役にはたちません。

本に書いてあることをいくら暗記しても、腕が上がらない理由がそれ。

生の経験を通して「実感」できたことが、

深く刻まれる「理解」になります。

そういうことが分かってから、

私は「実感」への飢えが強くなりました。

実感したことを、忘れない。

実感したことを、深く自分に刻む。

年末のカルテ整理は、この一年の「実感」を確かめる作業です。

一つ一つの経験を大切にしながら、

カルテを見返すたびに、お一人お一人、患者さまのお顔が浮かびます。

大人になると感動が薄くなる。

そして、言葉で説明するようになると言ったのはピカソです。

ただ知るだけで、いつの間にか満足してしまう。

慣れて慣れて、慣れ続けた結果、

感動を得ることは、徐々に難しくなります。

しかし、本当に大切なのは実感です。

感動であり、感嘆であり、雲間から射し込む光です。

あぁ、なるほどな、そうだったのかと、五臓六腑に滲み込む感覚。

腑に落ちる感覚こそが、最上級の「理解」です。

目に映る景色に感動していた子供時代。

絵を、漫画を、映画を、テレビを、

瞳を輝かせて見ていたあの頃。

感動こそが最も質の高い理解であるとするならば、

あの時こそが、実感の天才。

たとえ言葉で説明できなくても、ちゃんと物事を理解できています。

むしろ、言葉で表現できないからこそ、それを何かで表現する。

それが芸術(アート)だとするならば、ピカソの言うとおり、彼らこそが芸術家です。

しかし問題は、大人になっても感動できるかどうか。

知識が増えるあまり、言葉で解決し過ぎてはいないか。

言葉には色があり、

さも納得しやすいように、彩ることが可能です。

甘美な言葉であれば、頭で理解することは容易。

しかしそれは真の理解ではなく、

ただ分かったような気にさせてもらえただけのこと。

大人になると、そんな理解が多くなる気がします。

言葉で表現できない感動が、今年はいくつありましたか?

いくつ数えることが出来るでしょうか。

感じ、感動し、実感する心。

それが極端に少なくなるのであれば、

むしろ大人こそ実感に飢えて必然。

だからこそピカソはずっと、

実感に飢えていたのだと思います。

ピカソは後に、

私はやっと、子供のように絵がかけるようになった、と言っています。

私もそうでありたい。子供のように、感動しながら理解を深めていきたいです。

それでも毎年、こうやって実感させてもらえている。

非常にありがたいことだと感じています。

だから毎年のカルテ整理は、

反省と喜び、それらが共存し合う、

カカオ80%という感じの恒例行事です。



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