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子供は誰でも芸術家だ。
問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
-パブロ・ピカソ-
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年の暮れ。
いよいよ一年の締めくくりが近づいてきました。
この時期、私は今年の総括を含めてカルテ整理をします。
自分が成長できているかどうか。
厳しい目で、自身を見直す恒例行事です。
こうしてみると以前に比べて、分かることも多くなってきました。
しかし、未だに分からないことも、沢山あります。
先哲たちが残したヒントと、日々患者さまたちが与えてくれるヒント。
一つ一つのヒントを大切にしつつも、
それが、実際に身になっているのかどうか。
そんな自問自答を重ねる、毎年の恒例行事です。
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今年一年、ありがたいことに、
今後の糧となる経験を、たくさん得ることができました。
身になっているな、という感触が確かにあります。
なるほど、と腑に落ちる経験を、何度もさせて頂きました。
身になる・腑に落ちる。
漢方治療においてはこの感覚が、私はとても大切だと思っています。
それは「知る」こととは、全く違います。
見て、聞いて、話して、試し、理解する。
そういう「経験」を積み重ねる中で、
なるほどなと、自身が深く、理解することが「実感」です。
実感の無い理解は、ただ知っているだけに過ぎず、
その知識は往々として、あまり臨床の役にはたちません。
本に書いてあることをいくら暗記しても、腕が上がらない理由がそれ。
生の経験を通して「実感」できたことが、
深く刻まれる「理解」になります。
そういうことが分かってから、
私は「実感」への飢えが強くなりました。
実感したことを、忘れない。
実感したことを、深く自分に刻む。
年末のカルテ整理は、この一年の「実感」を確かめる作業です。
一つ一つの経験を大切にしながら、
カルテを見返すたびに、お一人お一人、患者さまのお顔が浮かびます。
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大人になると感動が薄くなる。
そして、言葉で説明するようになると言ったのはピカソです。
ただ知るだけで、いつの間にか満足してしまう。
慣れて慣れて、慣れ続けた結果、
感動を得ることは、徐々に難しくなります。
しかし、本当に大切なのは実感です。
感動であり、感嘆であり、雲間から射し込む光です。
あぁ、なるほどな、そうだったのかと、五臓六腑に滲み込む感覚。
腑に落ちる感覚こそが、最上級の「理解」です。
目に映る景色に感動していた子供時代。
絵を、漫画を、映画を、テレビを、
瞳を輝かせて見ていたあの頃。
感動こそが最も質の高い理解であるとするならば、
あの時こそが、実感の天才。
たとえ言葉で説明できなくても、ちゃんと物事を理解できています。
むしろ、言葉で表現できないからこそ、それを何かで表現する。
それが芸術(アート)だとするならば、ピカソの言うとおり、彼らこそが芸術家です。
しかし問題は、大人になっても感動できるかどうか。
知識が増えるあまり、言葉で解決し過ぎてはいないか。
言葉には色があり、
さも納得しやすいように、彩ることが可能です。
甘美な言葉であれば、頭で理解することは容易。
しかしそれは真の理解ではなく、
ただ分かったような気にさせてもらえただけのこと。
大人になると、そんな理解が多くなる気がします。
言葉で表現できない感動が、今年はいくつありましたか?
いくつ数えることが出来るでしょうか。
感じ、感動し、実感する心。
それが極端に少なくなるのであれば、
むしろ大人こそ実感に飢えて必然。
だからこそピカソはずっと、
実感に飢えていたのだと思います。
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ピカソは後に、
私はやっと、子供のように絵がかけるようになった、と言っています。
私もそうでありたい。子供のように、感動しながら理解を深めていきたいです。
それでも毎年、こうやって実感させてもらえている。
非常にありがたいことだと感じています。
だから毎年のカルテ整理は、
反省と喜び、それらが共存し合う、
カカオ80%という感じの恒例行事です。
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