東洋医学の科学化

2024年05月15日

漢方坂本コラム

昨今、東洋医学が注目されています。

今までもメディアで、定期的に取り上げられてはきましたが、

その頻度が最近、増えている気がします。

喜ばしいことなのですが、

率直に言って私は、だいじょうぶかなぁ、、、と思っています。

5月19日にNHKスペシャルで、東洋医学が取り上げられるそうです。

タイトルは『東洋医学を“科学”する』。

今まで何故効いているのか分からなかった東洋医学のメカニズムが、

ここ近年で次々と、解明され始めているそうです。

西洋医学と比べた場合、東洋医学は常に「非科学的」というレッテルを貼られ続けてきました。

医学は常に科学的であるべきだ。

感覚で治療されたらたまったもんじゃない。

極々当たり前のことだと思います。そして、そう考えられていたからこそ、

漢方は医学において今一つ、信用できないものであり続けてきました。

その漢方に、いよいよ科学の光が当てられるようになってきた。

科学の進歩か、医学の寛容か、

そういう時代になったのだなぁと、感慨深いものがあります。

漢方医学の新しい段階。

それが、徐々に始まってきているのかもしれません。

東洋医学の科学化。

その試みは、今に始まったわけではありません。

すでに昭和の頃からありました。

「西洋医学と中医学の融合」などは当時からしきりに叫ばれていました。

それを上手に行った医師の一人が、山本巌先生です。

西洋医学の視点で病をちゃんと理解し、その視点で漢方薬を運用されました。

山本先生の病態解析と処方運用は、極めて合理的かつ分かりやすいものでした。

半夏を中枢性の止咳薬として説明したり、

地黄の解熱作用をキニーネに例えて説明されたりもしています。

私も初めて山本先生の書籍を読んだ時は、目からウロコでした。

東洋医学の曖昧さが、科学の光に照らされていく爽快感さえありました。

ただ、私はこの科学化に、少し心配する部分があります。

科学化を進めるなら、

是非、東洋医学をちゃんと分かっている人にやってほしいのです。

東洋医学を分かっているなんて、私が言うとおこがましいのですが。。。

ただ東洋医学というのは、

漢方を学び、漢方の素養教養を身に着け、

漢方を用いて臨床に当たり、実際に治していたとしても、

それだけでは分かったことにはならないのです。

漢方を分かっているというのは、

「なぜ東洋医学が今まで残り続けてきたのかを知っている」ということです。

非科学的であり、曖昧で、再現性に乏しい医学、であるにもかかわらず、

なぜ今まで消滅せずに残り続けてきたのか。

その理由をちゃんと理解している人に、東洋医学の科学化を進めていただきたいのです。

漢方はなぜ今まで残り続けることができたのか。

非科学的だった漢方が、なぜ今も使われ続けているのか。

その理由を、多くの人がこう答えます。

経験や歴史。

その積み重ねこそが、漢方医学の根拠なのだと。

確かにその通りだと思います。

その通りなのですが、

本当は、経験や歴史だけで生き残ることは不可能です。

なぜなら医学は、そんな甘いものではないからです。

単に時間をかけさえすれば良い医学になるのか。

なれるわけがありません。そうではないのです。

漢方は時間をかけたから良い医学になったのではなく、

その時代時代の人間たちが、後の時代にも使える医学を考案し続けたから、漢方は生き残ったのです。

今よりずっと、科学が発展していなかった時代。

検査機器もない、技術も当然ない、

そんな中で、どのようにして人の体を把握したのか。

強烈に「想像」したのです。

おそらくこうなっているのだろうという想像を、ずっとずっとし続けてきました。

そうやって、想像力で築き上げられた医学が、東洋医学であり、漢方です。

想像で作られた医学。

なんて曖昧で、不安定なのでしょう。

医学は実際に病を治さなければなりません。医学は紛れもなく実学です。

そんな中、憶測で作られた医学。であるが故に、当然いままでたくさんの憶測が糾弾され、消滅していきました。

しかし、その中で生き残った「想像」があります。

生き残り続け、今でも利用される「アイデア」があります。

使えるアイデアだとしても、想像である以上、当然非科学的、

であるにかかわらず、時にその「想像・アイデア」は、科学の常識を凌駕するほどの結果を残すことがあります。

先人が積み重ねてきた「正しい想像力」。

これが、漢方が生き残り続けた理由です。

経験や歴史だという前に、それこそが全て。

東洋医学は「正しい想像性」により作られた医学です。

科学を知らないからこそ、発揮できたとてつもない発想。

情報が増えた私たちだからこそ、想像し得ないアイデア。

そういう「想像性」こそが漢方の核心。

だから私は、もし漢方の科学化を試みるのであれば、

この想像性を理解し、想像力に敬意を払う人たちにこそ、

行ってほしいのです。

漢方を科学で紐解くならば、必ず知っておくべきです。

現代の人たちが想像することもできない、

先人たちの貴重な想像性が、

アイデアとしてたくさんの内包されている医学、

それが漢方だということを。

それを理解せず、もしくは無視し、

単に科学的に効果を検証し、

その証明されたものこそが漢方だと定義されてしまうのであれば、

それはもう漢方ではありません。

科学という強い光に照らされた部分だけが漢方ではないのです。

むしろ未だに照らすことの出来ない、暗く、深い部分にある想像性、

それこそが漢方の核心。

我々漢方家は今も昔も、そこを見ようと努力し続けています。

見ることの出来たものだけを漢方とする、

そういう科学化だけは、どうか止めてもらいたい。

けれど、そういう流れになってしまうのだろうなと、

私は危惧しています。

なぜならそもそも科学化とは、

想像にまかせない、想像を排除することだから。

漢方の科学化、

是非、上手にやってほしい。

喜ばしいことだと思ってます。

しかしその一方で、

漢方の良さを消し去り、根幹を揺るがしえない、

危険を孕んでいると、

私は思っています。



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