混乱させる医学

2022年08月02日

漢方坂本コラム

漢方の自費治療というのは、

患者さまにとって、「最後の砦」というようなところがあります。

市販の漢方薬や、保険の漢方を飲んだけれども効かなかった。

自費治療では、そういう方が多くお越しになられる傾向があります。

だから、漢方のことをちゃんと知っておられる方が多い。

ご自身で、勉強されている方々です。

だからこそ、意思の疎通が図りやすいという一方で、

少し不思議に思うところも、ままあるのです。

ご相談の際に、

例えば、「私は血虚ですか?」と聞かれる方はたくさんいます。

しかし、「血虚とは何ですか?」と聞かれる方は、ほとんどいません。

これが、不思議で仕方がないのです。

気虚や水毒もそう。中には陽虚や陰虚といった専門的な言葉を使われる方もいます。

これからご自身が受けられる治療を、ちゃんと勉強されている。

ただその言葉の意味を、聞こうとはなかなかされないのです。

私が漢方の勉強を始めた時、

一番苦しんだのが、漢方の言葉の意味、でした。

非常に概念的で、現実のものとは思えなかった。

気とは何か、血とは何か、

その意味をちゃんと理解することが、なかなかに難しかったのです。

漢方の先輩方は、それを当然のことようにお話されます。

気がある前提、かつ気の定義を把握していることが前提、

そういう前提の中で、勉強がどんどん進んでいってしまいます。

でも私は、そこに大きな違和感を感じていました。

「気」そのものを、理解できるように、しっかりと説明してほしかった。

しかしそれは、適うことがありませんでした。

その理由が、今ならわかります。

気の定義は、先生方によって違うもの。必ずしも、定まってはいなかったからです。

曖昧なものを、曖昧なまま治療することの出来る医学。

あたかもそう見える漢方ですが、実際には、決してそんなことはありません。

曖昧な定義のまま治療すれば、効果は曖昧で当然です。

効果がないばかりか、副作用を起こす危険性さえあります。

東洋医学を構成する言葉は、基本的にすべて曖昧です。

その曖昧さを、それで良しとしない姿勢が必要です。

その努力の積み重ねによって、今日の東洋医学があるといっても過言ではありません。

それでも、曖昧なものが完全に消えるわけではなく、

どんなに漢方に精通した先生であろうとも、すべてが分かっている先生など、一人もいないのです。

だからこそ、漢方では追及が必要です。

追及の後に、見えた一筋の光。

現実的な効果と、実際の改善をとを拠り所にして、一つ一つ、漢方の言葉の定義が出来上がってくるのです。

最も忌むべきものは、

分かったような気になってしまうことです。

今では分かりやすい解説書がある。そしてネットにも納得しやすい情報がたくさん載っています。

それを見れば、あたかも血虚を知った気分になります。

そして、東洋医学の概念を分かったような気にさせてもらえます。

我々が気を付けなければいけないのは、まさしくそれです。

当然のように受け入れないこと。自分自身で、もう一度、考え直さなければいけません。

誤解を恐れずに言えば、

漢方は人を混乱させる医学です。

曖昧さを曖昧なまま、受け取らせない医学。

分かったような気にさせるために、あらゆる手を尽くして、人に分からせようとしてくる医学です。

しかし、漢方の本当の姿は、曖昧なものです。

であるならば、漢方家一人一人が、その曖昧さと闘わなければなりません。

なぜ「血虚とは何ですか?」という質問がないのか。

その理由は、おそらく皆さまが、混乱させる医学の犠牲になっているからです。

漢方は、本来曖昧なものなのです。

そしてだからこそ、我々がいるのです。

ご自身が受けようとしている医学、それを知るためにも、是非私たちには忌憚のないご質問を浴びせてください。

曖昧なものを、曖昧なまま、受け入れる勇気。

そして、ならば一から作り直してやろうという気概をもって、成り立つ医学が漢方です。

漢方を生業としている先生方であれば、皆一様に、そのような姿勢の上に治療が成り立っています。

だらこそ、最後の砦になり得る。

是非、治療を通して一緒に、漢方を知っていきましょう。



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