漢方の自費治療というのは、
患者さまにとって、「最後の砦」というようなところがあります。
市販の漢方薬や、保険の漢方を飲んだけれども効かなかった。
自費治療では、そういう方が多くお越しになられる傾向があります。
だから、漢方のことをちゃんと知っておられる方が多い。
ご自身で、勉強されている方々です。
だからこそ、意思の疎通が図りやすいという一方で、
少し不思議に思うところも、ままあるのです。
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ご相談の際に、
例えば、「私は血虚ですか?」と聞かれる方はたくさんいます。
しかし、「血虚とは何ですか?」と聞かれる方は、ほとんどいません。
これが、不思議で仕方がないのです。
気虚や水毒もそう。中には陽虚や陰虚といった専門的な言葉を使われる方もいます。
これからご自身が受けられる治療を、ちゃんと勉強されている。
ただその言葉の意味を、聞こうとはなかなかされないのです。
私が漢方の勉強を始めた時、
一番苦しんだのが、漢方の言葉の意味、でした。
非常に概念的で、現実のものとは思えなかった。
気とは何か、血とは何か、
その意味をちゃんと理解することが、なかなかに難しかったのです。
漢方の先輩方は、それを当然のことようにお話されます。
気がある前提、かつ気の定義を把握していることが前提、
そういう前提の中で、勉強がどんどん進んでいってしまいます。
でも私は、そこに大きな違和感を感じていました。
「気」そのものを、理解できるように、しっかりと説明してほしかった。
しかしそれは、適うことがありませんでした。
その理由が、今ならわかります。
気の定義は、先生方によって違うもの。必ずしも、定まってはいなかったからです。
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曖昧なものを、曖昧なまま治療することの出来る医学。
あたかもそう見える漢方ですが、実際には、決してそんなことはありません。
曖昧な定義のまま治療すれば、効果は曖昧で当然です。
効果がないばかりか、副作用を起こす危険性さえあります。
東洋医学を構成する言葉は、基本的にすべて曖昧です。
その曖昧さを、それで良しとしない姿勢が必要です。
その努力の積み重ねによって、今日の東洋医学があるといっても過言ではありません。
それでも、曖昧なものが完全に消えるわけではなく、
どんなに漢方に精通した先生であろうとも、すべてが分かっている先生など、一人もいないのです。
だからこそ、漢方では追及が必要です。
追及の後に、見えた一筋の光。
現実的な効果と、実際の改善をとを拠り所にして、一つ一つ、漢方の言葉の定義が出来上がってくるのです。
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最も忌むべきものは、
分かったような気になってしまうことです。
今では分かりやすい解説書がある。そしてネットにも納得しやすい情報がたくさん載っています。
それを見れば、あたかも血虚を知った気分になります。
そして、東洋医学の概念を分かったような気にさせてもらえます。
我々が気を付けなければいけないのは、まさしくそれです。
当然のように受け入れないこと。自分自身で、もう一度、考え直さなければいけません。
誤解を恐れずに言えば、
漢方は人を混乱させる医学です。
曖昧さを曖昧なまま、受け取らせない医学。
分かったような気にさせるために、あらゆる手を尽くして、人に分からせようとしてくる医学です。
しかし、漢方の本当の姿は、曖昧なものです。
であるならば、漢方家一人一人が、その曖昧さと闘わなければなりません。
なぜ「血虚とは何ですか?」という質問がないのか。
その理由は、おそらく皆さまが、混乱させる医学の犠牲になっているからです。
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漢方は、本来曖昧なものなのです。
そしてだからこそ、我々がいるのです。
ご自身が受けようとしている医学、それを知るためにも、是非私たちには忌憚のないご質問を浴びせてください。
曖昧なものを、曖昧なまま、受け入れる勇気。
そして、ならば一から作り直してやろうという気概をもって、成り立つ医学が漢方です。
漢方を生業としている先生方であれば、皆一様に、そのような姿勢の上に治療が成り立っています。
だらこそ、最後の砦になり得る。
是非、治療を通して一緒に、漢方を知っていきましょう。
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