漢方とアート 10 ~生きた色~

2022年08月25日

漢方坂本コラム

色。

世の中には色が溢れています。

郵便ポストの色は赤く、空の色は青く、

年齢を重ねると髪は白くなり、

草木は緑に彩られています。

我々が目にする色。

多種多様な、そこにある色。

当然のように目にしている色ですが、

しかしそれは、ただ私たちがそう感じているに過ぎません。

色は、そもそも絶対的なものではありません。

空が青いのは、我々がそう感じているから・・・・・・・・・です。

郵便ポストが赤いのは、「郵便ポスト自体が赤い」わけではありません。

色は、それ自体の固有ものではなく、

あくまで我々が感じているだけのもの。相対的なもの、なのです。

光と、物と、目の、三つの要素。

光の色と物の色、そして、それを目と脳とで私たちがどう感じるかによって、色は初めて定義されます。

イチゴは赤く、生クリームは白く、キャビアは黒くて、きゅうりは緑。

しかし、そうではないのです。イチゴを甘いと感じるのと一緒。色は、本来感覚的なものです。

だからこそ、色は生きている。

状況によって、常に変化を繰り返す生きものと同じです。

でも私たちは、色を固有のものと認識しています。

イチゴが赤いと言っても、誰も不思議に思いません。

それは、曖昧だと認識しにくいほど、訴えてくるものに説得力があるから。

視覚を通じて入り込んでくる情報は、曖昧さを消し去るほどに、私たちの思考を固定させやすいものです。

漢方家は人を観ます。

人を観て、症状を把握します。

そして、その症状を消し去る方剤を出すことで、病を改善へと導いていくわけですが、

その時、私たちが把握する症状は、そもそも非常に曖昧なものです。

色と同じです。本来、相対的なもの。

患者さまが訴える症状は、患者さまの人柄やその時々の状況、さらに我々受け手の状況によって、常に不安定に揺れ動いているものです。

しかし我々は、動悸と聞けば、動悸という固定観念を思い浮かべます。

胸がドキドキすること。脈が飛んで息苦しくなること。

動悸と呼ばれるものの典型例。それを必ず、思い浮かべます。

患っている方だからこそ感じる、具体的な症状。

不快感を伴う方だからこそ、訴える症状には説得力があります。

だからこそ、それを聞けば「理解できた」と感じやすいものです。

しかしその症状は、必ずしも受け手が感じるものと、同じではありません。

人を観るということ。

人の症状を把握するということ。

それは、それだけで一つの能力であり、技能です。

経験を通して初めて可能となる、人を知るための能力。

ただし、そうとは分かっていても、我々は自分の認識だけで、症状を理解してしまうことがあります。

つまり、私たちに必要なのものは、

曖昧なものを、曖昧なままに、感じ取ることが出来る「感性」なのです。

たとえば、動悸の治療を必死に勉強したとします。

動悸の病理を東洋医学的に把握し、その治療方法を頭の中で用意していたとします。

それでも、動悸を治せるようにはなりません。

そういうことが、東洋医学では当たり前に起こるのです。

その理由は、動悸という症状を、生きた形で把握していないからです。

人が織りなす色の一つ。臨床においては全ての症状が、相対的かつ曖昧であるということ。

それが当然であるという場において、動悸は固有の形をとりません。

たとえ動悸と表現されたとしても、一人として同じものはないのです。

ポストの赤さが、日の光に照らされて変化するように、

患う人の解釈に触れて、動悸という症状にもさまざまな意味が介在します。

師匠は言います。感性が重要だと。

ワーグナー(※)もこう言います。

感性を通じてのみ・・・・・・・・余すところなく受け入れられ・・・・・・・・・・・・・
理解される・・・・・、と。

曖昧さの中に宿る、なるほど、と思える実感。

頭ではなく体で理解する感性こそが、漢方の世界では必要なのです。



※ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー
19世紀のドイツの作曲家、指揮者、思想家。ロマン派歌劇の頂点であり、また「楽劇王」の別名で知られている。



漢方とアート

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