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想像力は、現実に対する戦いにおける唯一の武器である。
-ルイス・キャロル-
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近年、エビデンスという言葉がしきりに使われるようになりました。
エビデンス、直訳すれば「証拠」や「根拠」。
こと医学におていは、試験や調査などの研究結果から得られた「科学的な裏付け」を意味しています。
もし医学に根拠が欠落していれば、それはもはや医学とは言えません。
研究の上で効果に裏付けがあること。そういう検証の積み重ねによって、医学は成り立っています。
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師匠から聞いた話です。
有名な心臓外科医の方がおっしゃっていたそうです。
心臓というものは、いくら手術前に画像で確認しても、
実際に胸を開けてみないことには、何が起こるのか分からないのだそうです。
手術中、急に止まることがある爆弾。
順調にいっていても、まったく問題が見当たらなかったとしても、
予期せぬことが起こる。そういう臓器なのだそうです。
だからこそ科学的に検証された事実を用い、手術のたびに何回も想定を繰り返し、
万全の準備を整えてことに臨む。しかし、それでも予期せぬことは起こり得ると。
そして、実際にそういうことが起きた時に、
状況を解決する糸口は、今までの「経験」と「直感」だというのです。
教科書には書いてないことが、データには載っていないことが起こる。
それを解決するためには、自分の今までの感覚を信じるしかない。
そういう意味で、心臓は実際に胸を開けてみないと分からないと。
当時、私はこれを聞いた時に、
自分が考えていることと相まって、非常に感じ入るものがありました。
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「根拠」という意味で、
科学的に導かれたものは、確かにその一つです。
しかし、それが全てではありません。科学的根拠はその中の一つでしかありません。
経験や直感という非科学的な要素が、時に科学的検証以上に治療の「根拠」となり得ます。
たとえ科学に裏付けされた西洋医学でさえも、
時によってはその方の経験と感覚とに委ねなければならない状況があるのです。
科学的に検証し得ない事実。
良く考えれば、人体には未だにそういうものがたくさんあります。
例えば、自律神経活動の全てが科学的根拠を持ち得ているわけではなく、
例えば、生と死を定義することさえ、今の科学では難しいという事実があります。
しかし、科学的根拠が明らかでなかったとしても、
そこに根拠をもって向かわなければならない状況はあります。
今までの経験や直感、そういうものに根拠を求めながら、
想像力をもって対応しなければならない時があるのです。
想像力。
正しく想像するための力。
そこにこそ活路がある。そして、目の前の事象に立ち向かうための武器になります。
正しいか、正しくないかを判断するとき、最も求められる能力は想像力です。
そして、科学も経験も直感も、すべては正しく想像するための根拠です。
なぜ、非科学的な東洋医学が、現在でも存続しつづけているのか。
その理由が、まさしくそこにあります。
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経験的根拠に基づく、正しい想像性。
正しい結果を伴う想像性を発揮できた医学だからこそ、漢方は現代に生き残っています。
江戸時代に作られた我が国の伝統医学、漢方。
今から約300年前に作られた当時は、
もちろん生きた人間の体を中を知ることはできませんでした。
血液の組成も、病巣の組織も、なに一つ今のように知ることができない時代です。
それでも何とか想像力を働かせた。そして今生き残っている漢方は、その曖昧さから淘汰され続けた結果、残ったものです。
今でも現行の西洋医学から見えれば、再現性の低い医学であることは否めません。
今まで間違えた想像もたくさんあったと思います。
しかし、そういう間違いがいくつも淘汰され続けた結果、優れた解釈だけが生き残った。
そうやって長い年月をかけて、現実的な効果に直結する手法を編み出してきました。
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科学はある意味、想像にまかせない学問です。
想像を排除し、ちゃんとした裏付けを行う。そういう姿勢によって発展してきたものが科学に他なりません。
しかし、だからといって科学的根拠さえあれば、想像性が不必要かというと決してそうではありません。
いくら根拠があるといっても、全てが完璧な精度で正しさを導けるわけではなからです。
エビデンスはある・ないで判断できるものではなく、あくまでその精度にグラデーションがあります。
だとするならば、科学的根拠も経験的根拠も、結局は可能性にしか過ぎない。正しい想像性を発揮するための要素にしか過ぎません。
そこにエビデンスがあるのか?
この質問の本質は「今までそれについて考え、かつ想像し、さらに結果を出してきた人間がどれほどいるのか?」という意味と同じ。
であるならば、東洋医学にはエビデンスがあります。
何百年という年月の中で淘汰され、残り続けてきた想像性。
生き残ってきた想像力こそが、根拠であり、武器なのです。
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想像力は、現実に対する戦いにおける唯一の武器である。
ルイス・キャロルが残したこの言葉は、おそらく真理を突く言葉の一つでしょう。
医学であろうと文学であろうと、人が織りなしたものには必ず想像性が介入します。
そしてその想像性の質が高いからこそ、織りなした作品が素晴らしいものになるのです。
想像性を確かなものにするために、科学というエビデンスがあり、また経験というエビデンスがある。
そして如何なる根拠であろうと完璧ではなく、そこには必ず危うさが伴うならば、
我々は、キャロルが不思議の国を想像したように、
直面する物事に対しても、想像力を働かせなければなりません。
想像力は、あらゆる根拠に基づいて発動される、
現実の戦いにおける、唯一の武器なのです。
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