漢方とアート 9 ~拒絶と気品~

2022年06月13日

漢方坂本コラム

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エレガンスとは、拒絶である。

-ココ・シャネル-

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最近、井上尚弥選手の活躍に、心踊らせています。

ドネア選手との再戦。鮮やか過ぎる勝利。

その試合内容も、3団体統一という結果もすごい。

その上、PFP(パウンド・フォー・パウンド)一位にまで上り詰めました。

日本ボクシング界の歴史が大きく変わる瞬間を目の当たりにして、どうやら私は興奮しているようです。

最近、井上選手関連のYouTubeばかりを見てしまいます。

何であんなにすごいんだろう。

どうしてあんなことが出来るんだろう。

様々な有識者が、井上選手の強さを解説しています。

人は驚くほどの結果を見ると、なぜ・どうしてと、考えざるを得ません。

ただ私は、その理由は本人でさえ、うまく説明することが出来ないんじゃないかなと思っています。

修行時代、私は多くの先生方にお会いしました。

そして先生方の治験例もまた、たくさん拝見してきました。

その中で、今回私が井上選手に感じたのと同じような感動を、何度も体験しました。

今までどこに行っても治らなかった患者さま。

その病を思いもよらない処方で、鮮やかに治療する現実を目の当たりにしてきたのです。

なぜここでその処方を使うのだろう。

どうやってこの病を治せたのだろう。

私の中にある常識とは、遠くかけ離れた現実。

それでも結果として、患者さまの症状は改善し、漢方の偉功が発揮されます。

当時はただただ感嘆するばかりで、先生方のお考えは全く分かりませんでした。

そして現在、自分がある程度の経験を得た後、

当時の先生方のお考えが分かるのかというと、やはり、未だに理解することができません。

しかし、誰もが理解できないであろう結果が、実際に起こり得ることは分かります。

どの本にも乗っていない、自分で考えただけの理屈が、現実にまかり通ってしまうことがあるからです。

さまざまな本に触れ、たくさんの人から話を聞く。

そうやって物事に世界観が出来てくる。それが、基礎や教養と呼ばれるものでしょう。

しかしある時に、それでは太刀打ちできない状況が訪れます。

じゃあ、この場合はどうしたら良いんだ。

こんなこと、誰も言ってなかったぞ。

言っていることとぜんぜん違うじゃないか。

現実という場には、至る所にそういうものがゴロゴロと転がっているものです。

その度に、自分だったらこうする、という決断に迫られます。

道を進んでいれば必ず訪れる瞬間。今までの常識を「拒絶」しなければならない瞬間が、目の前に訪れてくるのです。

その場合、自分で行う決断は、ほとんどのケースで失敗します。

未踏の地、故に必ず失敗する。しかし、同じような状況が必ずまた、目の前に現れてきます。

そうしてある時、自分で考えただけの理屈が、まかり通ってしまう瞬間がくる。

「ああ、自分の想定は正しかったのか」と、

自分だけの正しさが、生まれる瞬間がやってくるのです。

そしてそれは、今まで常識で塗り固められた自分を、拒絶したからこそ生まれた正しさ。

ただしそれは、多分誰にも分かってはもらえない正しさです。

今までの自分でさえ、分からなかったことなのだから。

いわんやそれを人に説明するとなると。本当に難しいことだと、私は思うのです。

美しい動きをするボクサーが、その理由を勘としか言えないように、

時代を一変させたデザイナーが、その哲学を言葉ではなく作品で表現してきたように、

驚くような結果が現れる時、

そこには「自分だけで考えた何か」が、必ず介在します。

誰かに与えられたものを拒絶するからこそ、その結果に触れられざる気品が漂う。

エレガントとは、そういう「没我」を通して、生まれる物なのでしょう。

しかし拒絶とは、やはり言うほど易しいものではありません。

まずは積み重ねられた基礎と教養とがなければ、それを拒絶することさえもできないのですから。

今の自分も、そういう世界があるということに、ただ気がつけただけの存在。

ため息が出るほど、エレガント。

井上選手の試合です。だから何度も、見てしまうんだと思います。



漢方とアート

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