血液検査、画像検査、
現在のように、あらゆる検査機器が無かった時代。
漢方家は、どうにかして体のことを知ろうとしました。
見えないからこそ観ようとする、分からないからこそ想像する。
現代の医療から見れば、漢方はそういった「盲目的な試み」によって支えられてきたという歴史があります。
そして西洋医学が発展するにつれて、漢方は徐々に排斥の対象となりました。
この漢方の盲目さが「危うかったから」です。
想像で人を治療するという側面が否めない東洋医学。
確かに危うさは否めない。排斥の対象となることもまた、当然のことだったのかもしれません。
しかし、東洋医学は消え去ることがなかった。
西洋医学が国の医学として認められて百有余年、
それでもなお、東洋医学は未だに残り続けているという現実があります。
もしかしたら、この二つの医学は相性が良いのかもしれません。
正しさを、見えるものの中で定義する医学と、
見えないものの中にこそ、正しさを見出そうとする医学と。
別のようでいて、同じなのかも知れません。
そういう相性の良さに、我々漢方家は助けられているのでしょう。
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見えないものの中から正しさを見出すのであれば、
漢方家が見るべきものは、「今」だけでは足りません。
相対する患者さまの、今そこにある体調や症状だけでは理解することができない。
患者さまがここにたどり着くまでの「歴史」を想像し、理解しなければならないのです。
漢方治療において大切なことは、
その方のヒストリーを理解することです。
「今」と「今まで」との間に、矛盾のない線を紐解けるかどうか。
患者さまの「流れ」を理解できた時こそ、
未来を良い方向へ導くことが出来るのだと、私は感じています。
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私は今まで、たくさんの歴史を拝見してきました。
患者さま一人一人には、当然ながら、まったく異なる生活とその背景とがあります。
そういう様々な形を、私は患者さまから教えていただきました。
患者さまのヒストリーには、一瞬たりとも目を離せない、刮目するべき「物語り」があります。
少々不謹慎な例えかもしれませんが、
まるで、その方が主演となっている映画を見させていただいているような。
そういう感動が、誰の歴史であっても必ず介在しています。
だから私は思うのです。
そういう一人一人の物語、そこに登場させていただく「ありがたさ」を。
そして、そこに一時関与させていただくことに、「責任」を感じます。
患者さまの物語は、いつだってリアルそのものだから。まったく嘘のないノンフィクションの世界だからです。
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ご来局いただいた時、
どなたであってもその時点で、物語には暗雲が立ち込めています。
その暗雲に、一筋の光明が照らされるように。
私はそういう仕事をしているのだと、最近改めて感じさせていただきました。
その文章は、身を削ることを恐れない強い意志で綴られ、
その方らしい、真っすぐな言葉を投げかけてきます。
どこまも「リアル」な文章。
漢方治療の難しさ、見えないものの中から正しさを導くその風景が、はっきりと描写されています。
漢方家冥利に尽きるというか。
今までこの仕事をしてきて本当に良かったなと。
感じさせていただきました。患者さまと伴にがんばっていくことが「治療」なのだと、再確認させていただきました。
少々恥ずかしくもあるのですが、
皆さんにも、是非ご紹介させてください。
漢方治療、そのままの世界を。
大木亜希子さんに、感謝を込めて。
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