李東垣は、絶対に黄耆建中湯を見ている。
ある時ふと、師匠が私にこぼした言葉です。
金元時代の名医・李東垣。
名方「補中益気湯」を作った人物として有名な彼が、
なぜ補中益気湯を作ることができたのか。
師匠は、その理由の原点が「黄耆建中湯」にある、といったのです。
生薬構成だけを見れば、両者は決して近い薬ではなく、
確かに共に黄耆剤ではありますが、他には生姜・大棗が重なるくらいです。
しかし、それでも師匠は黄耆建中湯に刮目せよと言った。
そうである故に、師匠は補中益気湯は使わないと。
黄耆建中湯で良いのだと、おっしゃいました。
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漢方処方は古人が残した芸術作品です。
人が作り上げた作品である以上、そこには必ず「創作者の意図」が潜みます。
特に薬は、病を治すというはっきりとした目的をもって作られたもの。
故に、薬という作品には強烈な作者の意図が内包されているものです。
病をどう捉えていたのか。そして、それをどう改善しようとしていたのか。
漢方処方を知るということは、創作者の意図を汲み取ることです。
だから漢方薬を学ぶ時は、その薬の由来を知る必要があります。
歴史を紐解くことの重要性。今までもコラムで、たびたび解説してきたところです。
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この創作者の意図を汲み取るという視点。
そういう目で漢方処方を見ていくと、
全ての処方が、何らかのプロトタイプから派生したものであることに気付きます。
各処方は必ず何らかの処方の影響を受けていて、
過去にあった処方の意図を汲み、その処方を改良・変化させるという行為によって新たな処方が作られます。
歴代の漢方家たちが脈々と繋いできたこの所業を通して、今まで多くの処方が世に生み出されてきました。
処方の原型を知る。
これこそが、正確な処方運用に直結する考え方だと、私は感じています。
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加味帰脾湯には、原型となる処方があります。
防風通聖散にも、原型となる処方があります。
どんなに複雑な処方であっても、確実にその原型があります。
つまりどのような処方であってもその原型を知り、その原型の使い方を知ることから始めるべきです。
その意味から「経方」は、決して無視することができません。
歴史上、はじめて世に漢方処方を打ち立てた『傷寒・金匱』。
そこに収載される処方郡を「経方」と呼びます。これらの処方こそが、多くの処方の原型になっています。
簡にして妙。少ない生薬数で構成されたシンプルな処方の中には、歴代の名医たちが着目し続けた東洋医学理論の原型が備わっています。
逍遥散の中にも、芎帰調血飲の中にも、一見ゴテゴテした漢方処方であっても、必ず経方から導かれる創作者の意図が潜んでいるのです。
枳縮二陳湯にも、延年半夏湯にも、加味温胆湯にも半夏白朮天麻湯にも分心気飲にも。
その原型たる経方の意図に気が付いた瞬間、これらの処方の使い方が理解できるのです。
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あらゆる処方が、経方の理論を原型としているならば、
経方の使い方が下手な人は、他の処方も思うようには使えません。
逆はありません。経方以外の処方の使い方だけうまい先生など、絶対にいません。
一貫堂処方を駆使した中島随象先生も、傷寒論だけを重視するやり方に異を唱えた山本巌先生も、
それでも経方の使い方は、ちゃんと理解しておられたはずです。
だからこそ、他の処方をもって治療を行うことができたのです。
シンプルな用薬こそが効果に直結する「美」であるという哲学。
師匠が持っているこの哲学に、おそらく私は強く影響を受けた臨床家の一人です。
故に使う処方も経方が中心です。一番使っている処方は、桂枝湯だと思います。
しかし正直に言えば、私は経方だけを使う漢方家ではありません。
もっとゴテゴテとした処方も使います。時代とともにデコレーションされた、一見「用の美」とはかけ離れた処方も使います。
ただしその処方の中には、経方に起因した「用の美」が内包されている。
重ねられた沢山の色の中に、原型たる処方の色、その意図が垣間見れるのです。
処方を理解するとき、目の前に処方構成を並べて、
それをじっと見る。
想像力を働かせながら、じっと見る。
患者さまを通して、処方を見ることができるのであれば、
数百・数千年の時を経て、処方が我々に語りかけてきます。
それが漢方に向き合うことの楽しさであり、
同時に、漢方が芸術(アート)であることの所以なのです。
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