昔、臨床を始めて間もない頃、
風邪をひいた友人から、何の漢方薬を飲んだらいいのかと相談を受けた。
ドラッグストアで薬を買うつもりだったらしい。
それを聞いた当時の私は、
ならばと意気込み、自分が漢方薬を出すから飲んでみてくれないかと、もちかけてみた。
友人は、それを快く承諾。今回のコラムは、その一部始終です。
友人とLINEで症状を確認しながらの治療。
初学の私の経験と、その記録とを、
漢方治療の心得として、ここで紹介してみます。
・
【初日】
30代、やや細身の男性。もともと胃腸はあまり強くない。
2月の厳寒。
朝、急に寒気を感じて体がだるくなり、腰と肩が痛くなってすぐ、熱が出始めた。
夕方には39度にまで上がって、いそいで家に帰って寝た。
寝汗を少しかいて朝を迎えたが、
熱は収まらず、寒気や体の痛みも少しは減ったが未だに残っている。
・
これを聞いて私が出した処方は、柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)の煎じ薬。
もともと弱めの胃腸と、発汗後に未だに表証が残っている点で、そうだと決定した。
ちゃんと生姜のスライスを入れるよう指示して、温めて飲むことも伝えた。
寝る前に飲んで、ジワリと汗をかくようにすること。
そうすれば、楽になるよと。この時の自分には、まだ自信があった。
・
【2日目】
漢方を飲んで寝た。
そしたら確かに、寝汗がまた出た。
朝起きた時は少しすっきりしていたが、
しかし、しばらく経つとまた熱が出始めて、同時に寒気がして腰が痛くなった。
そして咽が痛い。今日の朝から、咽が痛くてイガイガするのだという。
咳はなく、吐き気もない。食べることはきちんと出来ているが、やはりいつもよりは食欲は落ちているという。
・
思ったように良くならない。
ただ、柴胡桂枝湯が間違っているとも思えない。
まだ時間が足りないのかなと思って、同じ処方を飲んでもらった。
多分、3.4日のうちには治るよと、伝えて。
しかし、ここから、
この治療は混乱する。
・
【3日目】
また寝汗をかいて起きた。
そして起きたら、とにかく咽が痛い。
唾を飲むのも痛く、あと、鼻づまりが起きて寝苦しくなった。
相変わらずの熱と寒気。今はどちらかと言えば熱が強い。
体がだるく、腰の痛みもなかなか引かない。
咽が痛すぎて、食事を摂りにくい。
・
治るばかりか、悪化している。
咽が腫れてしまった。漢方で悪化させているのかもしれないと、思い始めた。
しかし、本来であれば柴胡桂枝湯で間違いはないはず。
そう勉強してきたし、それ以外に、考えることが出来なかった。
であるならば、柴胡桂枝湯だけでは足りないということだろう。
このまま悪化すると、副鼻腔炎になもなりかねない。
柴胡桂枝湯に加えて必要なのは、多分、桔梗・石膏(ききょう・せっこう)。
そこで柴胡桂枝湯に桔梗石膏を加えて、喉の痛みと鼻づまりを取ろうとした。
・
【4日目】
今日も朝から咽の痛みが激しい。
しかも若干咳が出始めた。そして咳をすると、咽が痛くて辛い。
相変わらず熱はひかず、腰も痛いし、体がだるい。
さすがに、今日は仕事を休んだ。
風にあたるとゾクゾクするので、布団にくるまっているが、腰が痛くて眠れない。
・
効かない。
石膏をいれても、喉の痛みに効いてくれない。
寝汗は出続けているようだが、じんわりというくらいで、そんなにたくさんはかいていなそうである。
発汗を強めた方が良いのか。しかしそれだと、喉の痛みが悪化しやしないか。
本人が今一番苦しんでいるのは咽の痛みである。
石膏を増量した。もともとの胃の弱さが心配だったが、とにかく迷いに迷って後、石膏を増量してみることに決めた。
・
【5日目】
飲めた。飲めたが、
咽の痛みは全くひかない。
いよいよ声を出すのが辛い。また依然として熱があり、寒気もだるさも腰の痛みも続いている。
できれば、咽は痛くてもいいので、熱が下がってくれると嬉しいという。
あと、だるさと腰痛。それさえ治れば、声を控えれば仕事にはいけそうだと。
・
いよいよ、困った。
漢方が思うように効いてくれない。
石膏はかなりの量を入れた。しかし、それでも咽の痛みはひかない。
そればかりか、はじめから続いている熱もだるさも寒気も、寝汗は出ているのに全くひいてくれなかった。
このまま漢方薬で治療していって良いのか。
病院で検査をしてもらった方が良いのではないか。
抗生剤を普通に服用していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
それでも、ありがとうと言って薬を飲んでくれている友人に、申し訳なかった。
こちらから治療させてくれと頼んでおいて、、、
次の一手、、、どうすれば良いのか、、、
この時自分の頭の中は、ほとんど真っ白だった。
・
ほとほとに困った私は、
師匠に電話をした。
自分ではどうしたら良いのか、まったく分からなかった。
助けて欲しい。率直にそう思った。
はいはーいと、電話に出る師匠。
そして、今回のいきさつを、すがる思いで師匠に伝えた。
師匠は、うん、うん、と相槌をうたれ、
へーとか、そーなんだとか、なるほどねーとか、合いの手を入れられる。
拍子抜けするくらいに、明るく聞いてくれる師匠に少し救われた。
そして最後に、
これから何を出したら良いのでしょうかと尋ねた。
師匠の答えはこうだった。
「うん坂本くん。ここはね、一日か二日、薬を止めてみよう」と。
・
友人には、こう伝えた。
一度、体がどう治ろうとするか知りたいから、1日飲まない日を作ってほしいと。
なるほど、了解ですと、友人は答えてくれて、
その日は何も飲まずに、ただ寝てくれた。
飲まない、という治療。
自分では、まったく思いもつかなかった選択肢。
薬を止めようといった、師匠の本意。多分、その間に次の手を考えろということか、、、。
・
【6日目】
その夜、ぐっしょりと汗が出た。
今までにないほど、清々しいくらいに汗が出た。
そして同時に、朝、体がすっきりとしているのを自覚した。
あきらかに熱が引いて、かつ腰の痛みもなくなった。
咽の痛みも引いている。声を出したり、食事を摂ることに支障がない程度に楽になった。
これならば、明日からは仕事にいけそうだと喜んでくれた。
私は、心からホッとして、
ただ、何が何だかわからず、全身から力が抜けた。
・
私が経験した、漢方治療の現実である。
融通無碍の片鱗。
柔らかい思考の威力。
理論・理屈で切り回そうとする頭でっかちな私には、
ガツンと響く、そんな経験だった。
肩の力が抜けた師匠の凄さを、まざまざと実感した。
薬を出さないということでさえ、一つの治療になり得る。
薬で治そうとするのは半人前と、
かつて言っていたのは父だった。
下手くそと、上手の違いは、
おそらくどれだけ勉強してきたかではない。
臨床という戦場で培ってきた技能は、
やはり、本の中だけでは、学ぶことができない。
・
・
・