流行る必要はない。
しかし、無くなってはならない。
当薬局の、漢方に対する想いです。
父の代からずっと、この姿勢で小さな薬局を営み続けています。
医療の中心は西洋医学であるべきです。しかし、その大きな器から漏れてしまう方がいらっしゃいます。
そういう方に残された医学として、漢方は存続していかなければなりません。
それが医学全体で見たときの、漢方の役割であり、あるべき姿だと思っています。
しかし、この存続というものは、言うほど優しいものではありません。
医療費の問題、教育の問題、さまざまな問題が漢方にはあります。
そして、その中でも最も危惧される問題は、
生薬が、有限の資源だということ。
あくまで漢方は、生きた薬を使わなければなりません。
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過去、ここ数十年を見ても、
生薬の価格は高騰し続けています。
30年前より、2倍3倍の価格になっている生薬も珍しくありません。
有限の資源であるという現実が、年を追うごとに目の前に突きつけられている。
その中で、漢方の各医療機関は、徐々に値上げを行ってきました。
原価がこれだけ上がっていれば、致し方ない所です。
当薬局では30年間、なんとか料金を変えずにいますが、
それもどこまでもつのか。このままの状況が続けば、いつかは値上げを考えければならないでしょう。
しかし、値上げをすれば済む、という問題ではないのです。
この問題は、もっと根が深いのです。
もし生薬資源が枯渇したら。流通が不可能になったとしたら。
その時、漢方は確実に終わります。脈々と受け継がれてきた医学が、この世から消滅してしまいます。
私達は生薬の高騰という形で、その現実を目の当たりにしているはずなのに、
何故か現代の漢方家から、その点への問題提起があまりされていません。
現代に生きる漢方家は、
歴史上最大の問題と、向かい合っていると言っても過言ではありません。
まず、我々はそのことを認識しなければならず、
待った無しで、生薬資源は枯渇へと向けて変化し続けています。
今後、私達漢方を生業とする者たちが、
どう有限の資源と向き合い、それを利用していかなければならないのか。
真剣に、考える必要があるのではないかと感じます。
絶対に、漢方を消滅させるわけにはいきません。
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現在、我々が直面している問題。
この問題を解決するヒントは、すでに私たちは知っているはずなのです。
古典です。
脈々と受け継がれてきた古典にこそ、
その回答があると、私は考えています。
江戸の名医、和田東郭の名言。
用法簡なる者は、その術日に精し。
無駄の無い処方運用こそが、術を上達させるという口訣。
これは真実です。治すことが出来る人ほど、常に処方は簡潔です。
漢方の聖典『傷寒論』。
そこに収載されている処方は、すべてシンプルです。
貧乏人の医学と揶揄されるほど、それほど高価ではない、ありきたりな生薬を使います。
しかし、それでも効果を発揮します。しかも比較的即効性の高い、鋭い効果を発揮する処方ばかりです。
技に精通すること。
簡潔な処方を、的確に運用すること。
今、私たちに求められることは当にこれで、
それこそがおそらく、有限の資源との正しい向き合い方です。
決して簡単なことではなく、妙技を会得されている先生でなければ、実現することはできません。
下手な鉄砲は、いくら撃っても当たらない。
臨床の現実として、そうであるが故に、
私たちは、ちゃんと効果を追及していくべきだと思います。
それこそが、資源を無駄に使わないことに繋がるはず。
処方が簡潔であるためには、前提として考え方がシンプルでなければなりません。
東洋医学の様々な言葉に、振り回されているようではそれは望めません。
難しく考えれば考えるほど、処方は繁雑になり、生薬の無駄が増える。
30年後も変わることなく、必要とされる患者さまに漢方薬をお出しするために、
用法簡なる者は、その術日に精し。
この口訣を、心に沁み込ませなければなりません。
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