東洋医学を勉強している時に、最初にぶつかる壁は「言葉」だと思います。
陰陽や表裏といった、東洋医学独特の言葉は、
考え方を構成する大切な要素であると同時に、大変曖昧な概念です。
したがって漢方家の中には、こういう概念は必ずしも必要ではない、
臨床に適さず、むしろ害になるとさえお考えの方もいらっしゃいます。
そう考える事自体を否定はしませんが、
私はこれらの概念は無視できない、するべきではないと思っております。
なぜならば、古人はこれらの言葉を用いて処方を作り上げてきたからです。
処方を理解するためには、少なくともこれら言葉の意味を理解しなければなりません。
現代医学のメスを入れることも大切なことではありますが、
古人の考え方を理解した上でそれを行うべき。
やはり古人の想像力には、敬意を払わなければなりません。
ただし曖昧な概念であることは事実です。
したがって、理解するためには少々コツがいると思います。
そこで、今回は東洋医学の言葉を理解するためにはどうしたら良いのかを、
私の考えではありますが、少しお話ししていきたいと思います。
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「気」を例にとりましょう。
例えば「気」とは一体何なのか、どう理解したら良いのでしょうか。
本で調べてみると、人体が備えている「エネルギー」とか、物質に対する「機能」などと説明されています。
しかしまず最初に申し上げておきたいのは、
本やネットを見て「そういうものなんだ」と鵜呑みにすることだけは避けた方が良いと思います。
「気」は東洋医学において、避けて通れない重要単語です。
ですからどんな本にも、気という言葉は使われています。
そして説明もされています。気とは〇〇と書かれています。
しかし、そもそも誰一人として、この気を正確に定義できた人などいません。
気は定義が定まっていません。
まずはそこを理解することがとても重要です。
つまり気とは何なのかを、自分自身で見つけていかなければなりません。
あらゆる東洋医学言語は、その定義が定まっておらず、
したがって自分自身の解釈を通して、各々が定義していかなければならないというのが、
漢方における正しいな姿勢であることを、まずは理解する必要があります。
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ただしやたらめったら定義しても、それは何の意味もありません。
病が治せるようにはなりません。正しくない定義は、臨床において邪魔以外の何物でもありません。
正しく定義する必要がある。では、正しく定義するとはどういうことなのか。
病を治すために、有益な定義であるということです。
つまり東洋医学のあらゆる定義は、臨床から導き出されたものでなくてはなりません。
いくら本を読み、古今の書物に精通したとしても、
それがそのまま臨床で使えるわけではありません。
治療経験から導き出された定義、もしくは治療に則した定義でなければいけません。
臨床家として漢方を志すならば、この点は絶対に避けることができません。
例えば人のもつエネルギー、元気の源が「気」だとして、
補気剤の代表である補中益気湯を使えば皆が元気になるかというと、残念ながら実際の臨床ではそうはいきません。
気を補っているのに、なぜ元気にならないのか。
その理由は、気の定義を間違えているからです。
補気剤を作り上げた古人とは、「気」の定義が違っているということです。
机の上だけで漢方が成り立つならば、
どんなに簡単でしょう。でも、そういうわけにはいかないのです。
漢方はやはり実学。実際に使える概念だけが生き残る定めにあります。
言葉の核心を得たいと思うのならば、やはり臨床から導き出すということを痛烈に意識しなければなりません。
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ただし、ここからが本題です。
定義は臨床から導く必要がありますが、
臨床に通じさえすれば何だって良い、というものではありません。
ここが難しいところです。
東洋医学には東洋医学の「世界観」があります。
その世界観から見ても矛盾がないという定義でなければ、結局は使えない概念になってしまいます。
例えば補中益気湯を上手に使えるようになったとします。
そして、そこから「気とはこういうことなのだろう」と、気の定義が定まってきたとします。
しかし、その定義は補中益気湯にのみ使える概念でしかありません。
補気剤はたくさんあります。補中益気湯のみならず、他の方剤でも通用する「気」の定義を練り上げていかなければなりません。
そのためには、たくさんの処方を使い、そこから定義を導き出すというのが一つの手法です。
しかし、その手法は効率が悪く、センスがあるとはあまり言えません。
才のある人は、一を知って十を知ります。
それが出来るのは、東洋医学が持つ「世界観」を感覚的に理解できているかどうかにかかっています。
東洋医学の歴史を知り、古人が何を考えていたのか、その感性を理解すること。
そうやって出来上がった東洋医学の世界観を持つ人は、
補中益気湯の使い方を理解した時点で、他の処方も使い方も理解します。
私の考えでは、この世界観を理解していること、感じられていることこそが、
臨床のセンス。
才能を分かつ要素だと思います。
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私にも「気」の定義があります。
しかしそれは、おそらく本やネットには書いていないと思います。
私自身の経験の中から掴んできたもので、
当然、完成されたものではありません。
ですが、少しだけ話をします。
どうやって気の定義を掴んでいったかという話です。
まず、臨床を通して理解してきたということ。
そしてもう一つは、漢方の世界観から回答を求めようとした、ということです。
要点を言います。
東洋医学は始め、その理屈を原始的な手法によって構築しました。
二元論です。
世の中のものを二つに分類するという手法。
陰と陽、表と裏、火と水、月と日など。
混沌とした世界を知るために、まずは二つに分類するという手法で、東洋医学は理論が作られています。
そして気という概念も、この原始的理論を構成するものの一つとして発祥しています。
であるならば、気にも「対になるもの」があります。
まずはそれを知り、そこから気とは何かを推測する。
気を理解するための、一つのヒントです。
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