漢方治療の経験談「疲労倦怠感治療」を通して

2021年11月08日

漢方坂本コラム

体がだるい・寝ても疲れが取れない・朝からしんどい・夕方になると横にならずにはいられない・・・。

漢方治療において最もご相談の多い症状は、おそらく「疲れ」。いわゆる「疲労倦怠感」だと思います。

もしそれが主訴ではなかったとしても、疲れていますか?と聞けば多くの方がイエスと言います。

そして漢方薬を服用すると、主訴と同時に疲労も不思議と取れてくるものです。

多分、歴史上、漢方薬が最も取り除いてきた症状はこの疲労倦怠感ではないかと。

それほど疲労という症状は、大なり小なり様々な病に付きまとう症状だと思います。

そういう意味では「疲労を制する者は、病を制する」と言えるかもしれません。

西洋医学ではなかなか対応することが難しいため、漢方の有効性が発揮されやすい症状であるとも言えるでしょう。

ただし、この疲労倦怠感、

言うほど簡単に取れるというものではありません。

あくまで東洋医学的な解釈に基づく治療を行うことが必要で、そうすることで初めて取ることのできる症状です。

今回は私が臨床を行う中で思う、疲労倦怠感治療の難しさを説明していきたいと思います。

漢方治療が有効であるとされる症状だからこそ、さまざまな視点から考えなければいけない症状だという現実を、伝えていきたいと思います。

多くの場合、「疲労」と言えば「元気がない」という状態を想定することが普通です。

元気がない、つまり「気」がない。故にこれを「気虚(ききょ)」という。これが東洋医学の一般的解釈です。

ただし、この解釈のまま薬を選んだとしても効果は表れません。

取れたとしてもごく一部のもの。多くの方が縦横無尽に訴えられてくる疲労倦怠感が、この「気虚」という概念だけで対応できるはずがない、というのが現実だと思います。

疲労という訴えには、多くの状況が考えらえます。

力が入らない・寝た気がしない・体が重い・気持ちが前向きにならない。

疲労という言葉は、ある意味とても便利な言葉です。これらの症状を包括して、ただ「疲れている」と言うことができるからです。

漢方治療においてはここが肝要です。「疲れている」という訴えの背景にある、正確な状態を把握しなければなりません。

そして、それを東洋医学的に把握できるかどうか。

まずは、そこが勝負になります。

例えば重くて体が疲れているなら、その「重さ」を取るべきです。

気をいくら補ったとしても、重りを抱えたままの体ではいつになっても疲労は取れません。

夏場特有の疲労や、お子さまであれば起立性調節障害などにおいてしばしば見受けられます。

補うのではなく、体にのしかかっている重りを取る。その重りの実態は「浮腫み」であることが多く、この浮腫みを取ることで回復する疲労というものが実際にあります。

また寝ても疲れが取れないのであれば、それは体の回復という睡眠本来の目的が果たされていない、ということです。

つまり眠りに問題があるケース。寝つきを良くし、より深く眠れるように導くことが、疲労を回復するためには必要になります。

したがって、不眠治療の要領をもって疲労の回復を図らなければなりません。

眠りと疲労回復との関係。動けるようにすることばかりが、疲労を回復する手段では決してありません。

このように、いくら「疲れ」には漢方薬が良いといっても、単に「気」を補えば良いという問題ではなく、

なぜ疲労しているのかを把握する必要があります。そうすることで、初めて体に元気が戻ってくるものです。

では「補気剤」と言われている補中益気湯ほちゅうえっきとう十全大補湯じゅうぜんたいほとう、そして人参養栄湯にんじんようえいとうなどが、

実際に疲労に効果が無いのかと問われれば、答えは「否」です。

効きます。効くときがあります。これらの方剤を上手に使えば、確かに体が軽くなり、日中の活動がスムーズになることがあります。

「気虚」と呼ばれる病態は確かにあり、そのとき補気剤を使えば効果を発揮することができます。

しかし、だとしてもこれだけは言えます。

これらの方剤は「元気がない」=「気を補う」という短絡的な使用方法では、やはり効果を発揮することが出来ません。

免疫力がない・体力がない、だから「補気剤を使う」という考え方でも全く同じことが言えます。

「免疫力がない」という状態を、そして「体力がない」という状態を、具体的かつ東洋医学的にどう解釈しなければいけないのか、という考察をちゃんと用意しておかなければなりません。

つまり「気虚」とはいったいどういう状態を指すのか。

そして「気剤」とはいかなる方剤なのか。

「気」という概念への造詣ぞうけい

効果を発揮させるためには、どうしてもこれが必要になります。

そもそも、「気」というものは非常に曖昧な概念です。

本やネットに載っているあらゆる解釈は、どのようなものであってもすべて、一般的解釈や個人の見解の域を越えません。

ただし「気剤」とは何かということに関しては、ある程度の回答を用意することができます。

「気剤」とは、一般的には補気薬と言われる「人参」や「黄耆おうぎ」を配合している処方を指しています。

すなわち、気を考える場合は、人参や黄耆などの補気剤がどのような薬能を持っているのかを知る、という視点からまずは考えていきます。

私の現時点での結論から申し上げると、

人参や黄耆といった補気剤を論じる上で避けては通れない要素は、おそらく「身体の水分」です。

黄耆は自汗じかんと呼ばれるにじみ出る発汗に用いる生薬で、

かつ人参は口渇こうかつ口乾こうかんと呼ばれる口のかわきにおいて用いる機会が多くあります。

両者ともに身体の水分に何らかの形で関与する薬であることが伺える、

であるならば、いったいどのような形で水に関与し、その上で身体の疲労を回復していくのでしょうか。

おそらく考えるべきは「水の形」です。

「水」と聞けば、誰しもがまずは液体を想像されると思います。

しかし、水の形は液体だけではありません。

蒸され、蒸発する霧。

それだって水の形の一つだと言えます。

液体としての形を失い、霧のように舞う水の形。体内にはこの充満する水が必要で、古人がもしこの水のことを「気」と呼んでいたとしたら。

そう考えると、私には腑に落ちるところがあるのです。

「気剤」とは、蒸された水を身体の隅々にまで行き届かせる薬なのではないかと。

ただし、これが回答であるとは私は思っていません。

単なる一考察にしか過ぎない。しかし、このような考察が必要である・・・・・・・・・・・・・とは、深く確信しています。

漢方家一人一人が、臨床を通してそれぞれの視点で考察を深めていくこと。

本に書かれていた気の定義を、誰かが言っていた気剤の使い方を、

そのまま鵜呑みにするのではなく、一人一人が考えて見つけていくことが大切なのだと思います。

疲労倦怠感には、漢方薬が有効である。

これが真実であるということを証明するためには、そういう努力が必ず必要になります。

だからこそ、疲労という漢方で治ることの多い症状であっても、実際に治そうとすると、難しさを伴うのです。

現実を申し上げれば、中にはなかなか回復へと導くことのできない疲労感もあります。

そういうものを目の当たりにするたびに、

未だどこかにある造詣の浅さ。自分自身の短絡的思考を省みる必要性を痛感するのです。



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